21◇Lucia
思えば、家族のように共同生活をしているというのに、ルーシャはブラッドのことをほとんど知らなかった。
今更ながらにそれを感じた。嗜好などはなんとなくわかるけれど、出身や経歴、家族――何も知らない。
ルーシャはレーンに作業の進捗具合を報告した最後に、ボソリと訊ねた。
「店長、ブラッドって過去に何かあったんですか?」
かなり飛躍したことを言ってしまったらしく、レーンが目を白黒させたので、ルーシャは慌てて補足した。
「あ、いえ、私はブラッドのことを何も知らないし、ブラッドも何も言わないから、もしかして過去に何かあって住み慣れた町を離れて流れてきたのかなって勝手に想像しただけです。すいません」
それを聞くと、レーンはプッと噴き出した。
「やだ、後ろ暗い過去を持つ子ならあなたに近づけたりしないわよ。身元は確かだから安心して」
「そうでしたね」
レーンの兄の伝手だ。人に言えない過去もないかとルーシャは苦笑した。
「あの子は訊けばちゃんと答えるでしょう。何も言わなかったのは、訊かれなかったからに過ぎないのよ」
そう言われてみると、ブラッドに私的な質問をしたことはなかった。訊いてもいいのだろうか。
すると、レーンが妙にニヤニヤし出した。
「なぁに、気になるの? ブラッドのことが」
「そうですね、気になります」
一緒に生活しているのだから、無関心ではない。正直に答えたところ、レーンはルーシャの返事に驚いたようだった。
「気になるの? あらら、そうはならないと思ってあんなこと言ったのに」
「え? なんですか?」
ルーシャが問いただすと、レーンは気まずそう――を装っただけのニヤついた顔で言った。
「ブラッドが男好きだとか、女に興味ないとか、あれ、嘘なの。あなたを安心させようと思ってとっさに言っただけよ」
「はぁっ!?」
とても大きな声を上げてしまった。窓を突き抜けて往来まで聞こえたかもしれない。
手遅れだが自分の口を押さえた。
となると、あの時、ごく普通の健全な男子にパンツを拾われたということになってしまう。
そんな済んだことは忘れた方がいいだろうか。遅れてショックがやってきた。
レーンはやっぱり楽しげに笑っている。
「ごめんなさいね。でも、あの子はある意味安全なのよ?」
ブラッドは――誠実だと思う。いつでもそうだった。
だからレーンもブラッドなら安心だと思ったのは理解できるつもりだ。
しかし、レーンが言うのはそういう意味ではなかった。
「あの子はすっごく一途なの。コレって決めた子がいる限り浮気なんてしないわ。そりゃあもう、傍目にイライラするくらい」
「イ、イライラ?」
「そうよ。若いんだからもっと他にも目を向ければいいのに」
何かひどいことを言った気もするが、まあいい。
さっきの衝撃も抜けきらないうちに、ルーシャの頭はグラグラと揺れた。
ブラッドにはこれと決めた相手がいると、そう仄めかしているのだろうか。
「それって、その……」
知りたいとは思う。けれど、知ってどうするとも思う。
どうせ契約期間が終了したら終わる生活なのだ。どうしても知りたいと思うのなら、その最後に訊ねるべきかもしれない。
下手なことを訊いて気まずくなりたくはなかった。
「なぁに?」
多分、レーンはルーシャが何を言おうとしたのかわかっている。わかっていてはぐらかすのだ。
ルーシャは気を取り直し、ゆるくかぶりを振った。
「――すいません、無駄口が過ぎました。仕事に戻ります」
やめておけ、と踏みとどまった自分は正しかった。ルーシャはそう思うことにした。
◆
モヤモヤした気分のままで仕事を終えた。
それでも、ブラッドが来たらそれに気づかれてはいけない。ブラッドのせいではないのだから。
ただし、ブラッドよりも先に来たのは、昨日の美青年だった。
「あの――」
とても細い声で扉の隙間から呼びかけている。
「あ、昨日の!」
レーンが扉を開くと、美青年は恐縮した様子で肩をすぼめた。
「あら、ジャックくん。いらっしゃい」
この人はジャックというらしい。
「こんにちは」
ルーシャが笑いかけると、ジャックは顔を赤らめた。ただでさえ綺麗な顔なのにそのリアクションは殺人的だ。
「あ、あの、実はずっと、ウェズリーさんの墓にお参りしたいと思っていて……」
「ありがとうございます。おばあちゃんも喜びます」
「で、でも、どこの墓地かわからなくて、その……」
とても恥ずかしがりなようで、それだけ言うのがやっとに見えた。
ルーシャはレーンを見上げる。
「ちょっと墓地まで一緒に行ってきますね。すぐそこですし」
けれど、レーンはいいとは言ってくれなかった。
「ブラッドが来るまで待って、三人で行きなさい。危ないでしょ」
「危なくないですよ。一人じゃないし」
とは言ったものの、ジャックは見るからにか弱くて、むしろルーシャが護ってあげなくてはならないかもしれない。戦力にはきっとならない。
「そんなこと言ってるうちに来るわよ。――はい、来た」
カラン、とドアベルが鳴って、ブラッドが顔を覗かせる。ただ、ジャックを見た瞬間にとんでもなく嫌な顔をした。
「お前……」
あまりに失礼なので、ルーシャの方が焦った。
「ジャックさんはおばあちゃんの知り合いで、お墓に参りに来てくれたの。今からお墓に案内してくるから」
そうしたら、すかさずブラッドが言った。
「俺も行く」
来てくれるらしい。ルーシャがジャックの方を振り返ると、ジャックはまた戸惑ったような表情をしていた。
「ジャックさん、すぐそこですから」
「は、はい」
本当に、こんなに美形なのに大人しい人だ。
ルーシャはせっかく来てくれたジャックが居心地の悪い思いをしないようにと微笑みかけた。ジャックはやっぱり照れた様子だった。
ブラッドはというと、信じられないくらい仏頂面だった。
ルーシャの祖母が眠る墓地は、店から南側の方角にある。墓地は広いが、入り口によっては近いところに墓があった。
飾り気のない板のような墓石だが、祖母は壊れにくくていいと言っている気がする。
「次からは花を持ってきます」
空手を恥じるように言ったジャックに、ルーシャは苦笑する。
「いえ、顔を見せてくれただけで十分ですよ」
ルーシャも祖母の墓に手を合わせて祈った。
祖母は今のルーシャの状況をどう思っているだろう。ハラハラしながら見守っているだろうか。ルーシャ自身も生活が一変してしまったことに驚く。
目を閉じて祈っていると、視線を感じた。ジャックがルーシャのことを見ていたのだ。ブラッドは少し離れて様子を窺っている。
「おばあちゃんとはいつからの知り合いなんですか?」
訊ねてみると、ジャックはルーシャから目をそらし、墓石を見つめながら語り出した。
「三年ほど前でしょうか。僕の研究がまったく認められなくて自暴自棄になっていた時、公園で声をかけてくださったんです。それで、たくさん話を聞いてもらいました。誰もが鼻で笑うような僕の話を、ウェズリーさんだけは真剣に聞いてくださって……」
祖母らしくて、ルーシャはそれが嬉しかった。
墓石を相手に話すようにすると、ジャックも緊張しないで済むのか、会話がスムーズだった。
話し慣れた祖母とはこうだったのかもしれない。そんな相手がいなくなることがどれほど悲しいか、ルーシャにもよくわかる。
ルーシャも一日の出来事を聞いてくれる祖母がいなかった一ヶ月、本当に泣いてばかりいたから。
今は――ブラッドがいて気が紛れている。いなくなったら、また祖母とブラッドがいない毎日に寂しさを募らせるのだろうか。
「おばあちゃんほど聞き上手ではないですけど、私でよければまた話を聞かせてくださいね」
そっと、労わるように声をかけた。そうしたら、ジャックの目にほんのりと涙が浮かんでいた。
優しい人だな、と思った。




