13◇Lucia
――気まずい。
ルーシャはベッドに横たわりながらも眠れなかった。
どうしてブラッドに向かってあんなふうに言ってしまったのだろう。
恥ずかしくて――本当にただそれだけだった。
ブラッドはルーシャに興味がないのだから、わざとではないのはわかっていたはずなのに。
自然すぎて、気がゆるんで、言わなくていいことまで言ってしまうようになった。
他人なのに。
悪いことをしたと思う。謝ったけれど、すっきりしない。
一緒に住んでいると距離を保つのが難しくなるものなのだと、この時になって初めて思った。
出した料理を喜んでくれたり、家事を手伝ってくれたり、そんなことで気を許しすぎたのだろうか。
ルーシャはいつもよりも早くベッドから抜け出し、朝食と昼食の支度をし、ブラッドが起きてくる前に家を出た。
こんなことをすると拗ねているのかと思われそうだけれど、顔を合わせづらい。
だからといって避けていたのでは余計に気まずくなっていくだけなのだけれど。
どうにもならなくなったら、レーンに契約を破棄してもらってもいいだろうか。
あれから怪しい影は見ないし、きっともう大丈夫だ。
ブラッドが去ったら、今度こそ本当の犬にしてほしい。
そうしたら、本当の家族として迎えられるから。
ルーシャは大きなため息をつきながら、あまり人の歩いていない早朝の道を行った。
店はまだ開いていないかなと思ったら、中で動く人影があった。ルーシャが窓に張りつくと、それに気づいたレーンが開けてくれた。
「なぁに? 早すぎない?」
レーンはまだパジャマを着ていた。シルクの艶やかなパジャマはセクシーだ。オネエ言葉がその口から飛び出さなければ。
「おはようございます。ちょっと早く目が覚めたんで」
「ブラッドと喧嘩したの?」
グサッといきなり直球が放たれた。なんでこんなに鋭いのだろう。
「い、いや、その……」
「したのね? それで、どっちが悪いと思う?」
「わ、私でしょうか」
「わかってるのなら早めに謝りなさいね」
はい、とルーシャは消え入りそうな声で返事をした。せめてもの慰めに、レーンは頭を撫でてくれた。
「大丈夫よ、ブラッドは許してくれるから」
そうだろうか。面倒くさいヤツだと思われていることだろう。
悪いのはブラッドではなく、上手く人との距離感をつかめないルーシャの方だ。
一連の出来事をルーシャは手を動かしながらナタリーに聞いてもらった。縫いつけていたパールの粒が指先からポロポロ落ちる。
「そ、それは災難としか言えないわ。大変だったのね、ルーシャ」
「うん、災難」
「それでも帰りは迎えに来てくれるんでしょう?」
「多分……」
そういう仕事内容だから、来るのではないかと思う。
今日の仕事が永遠に終わらなければいいのに、とルーシャは泣きたくなった。
「やだ、もう。今日は残業したい!」
ブラッドが迎えに来る時間が刻一刻と迫っているかと思うとつらい。
やっぱり、家に男性を住ませるというのが無理なのだ。女性に興味がないといっても、見た目は若い男性なのだから、ルーシャの方が変に意識してしまう。
ルーシャが泣き言を言うと、ナタリーは心底困った顔をして心配してくれた。
「わたしの家があって泊めてあげられたらよかったのに。ごめんね、ルーシャ」
「ううん、愚痴ばっかり零して、こっちこそごめん」
この調子では優しいナタリーを困らせるばかりだ。もうこの話はやめよう。自分で解決しなくては。
――けれど、どうやって解決できるだろう。
それを考えた時、真っ先に浮かんだのはパンケーキだった。
嬉しそうに食べてくれたから、パンケーキを焼いて、それでもう一度謝ろうか。
そうしたら、この気まずさも少しは薄れると思いたい。
パンケーキを焼く材料はまだ残っていたはずだ。
ただ、つけ合せにもう少しフルーツを足したいし、できればソースも作りたい。そうなると買い物に行かないと。
ブラッドに買い物につき合わせるのは嫌だった。嫌な態度を取ってしまったのはこちらなのだから、パンケーキを差し出してから謝りたい。ルーシャが何をしようとしているのか先に読まれたのではやりづらくなる。
買い出しならすぐできるから、フルーツを買って、それで空のバスケットに詰めて何食わぬ顔をして戻ってくればブラッドに気づかれずに済むだろうか。
そうと決まると、永遠に残業していたいなんて言っていられなくなった。
「ナタリー、三十分でいいから今日は早く仕事を終えたいの。頑張る!」
「う、うん!」
脱力していたかと思うと、急に張りきり出したルーシャに押されながらナタリーも手を動かしてくれた。
そんなわけで、ルーシャはいつもより早く仕事を終えることができた。
レーンに一人で抜け出すところを見られると怒られそうなので、何も言わずに裏口からサッと出た。
八百屋目がけて走ると、八百屋の店主はルーシャの勢いに驚いていた。
「お、おう。どうした?」
「あのね、フルーツがほしいの!」
「フルーツな。今日はオレンジとレモン、マルメロがある」
「……なんでそんなに黄色っぽいのしかないの?」
「他は売れちまったからさ」
もっともな理由だった。
もう夕方だ。品物が豊富にあるとは限らなかった。
柑橘もいいけれど、そればかりでは困る。もっと豪華にしたかった。ベリー系の果物がほしい。
ここが一番近い店だけれど、町の中で八百屋がここ一軒というわけではない。もう少し行けば他の店がある。どちらかというとここは小さな店だから、変わったものがほしければ別の店を覗いてみることもあるのだ。
ただ、そこに行けば絶対手に入るとも言えない。
空を見上げると、日が沈みかけている。行って帰ってきて、ブラッドの迎えに間に合わないかもしれない。
けれど、どうしても買いに行きたかった。
急いで行けば、ほんの少しの誤差で間に合うかもしれない。
よし、と心を決めてルーシャは駆け出した。




