12◆Bradley
朝から至高のパンケーキが出てきて驚いた。
どこの店にも引けを取らない。あれを食べたら、ミリアムもきっと感動するだろうなと思う。
ルーシャは公爵令嬢なんかにならず、パンケーキ屋になればいいのにと思ってしまう。
とにかく、かなり美味しかった。今日は一日、何があっても頑張れそうな気がする。
それと――。
今日は休みだからなのか、ルーシャの雰囲気が柔らかく感じられた。あんなふうに笑うのかと、ちょっと意外に思うほどには軽やかな笑い声を聞いた。
ああして笑っていたら、ストーカーはつくかもしれない。もう少し、彼女のことを知りたいと思う男は出てくるだろう。
思えばルーシャは貴族になるのだから、自由恋愛とは無縁になる。
政略結婚とか、本人にとっては嫌なものだろうなと、ブラッドはぼんやり考えた。
休みだからゆっくりすればいいものを、ルーシャはよく動いた。
朝から洗濯ばかりしている。洗って、干して、を繰り返していた。
「手伝う」
ブラッドが手を貸そうとしても断られた。
「じゃあ、ブラッドが使っているシーツも洗ってしまいましょう。外してきて」
「もう少し使ってからでいいよ」
「ついでだからいいの」
大きな盥でジャブジャブと自分のシーツを洗っている。ただ、嫌々やっているのとは違う気がした。
どこか楽しそうにしている。
ブラッドがシーツを外して持ってくると、ルーシャが洗濯物を挟んで水気を切る機材を使っていた。ハンドルを回すと洗濯物が絞れる。ブラッドが手を出し、さらに水気を切る。
ただし、やりすぎると生地が裂けそうだからほどほどにしておいた。
「ありがとう」
「これ、干せばいいのか?」
「うん。これは庭の方ね」
「じゃあ、干してくる」
洗ったシーツを手に歩きながら振り返ると、やはりルーシャは楽しげに洗濯していた。大変な作業なのに何が楽しいのだろう。
二人分のシーツや服を洗い終えると、ルーシャは庭で大きく伸びをした。
「天気がいいからよく乾くわね」
それが嬉しくて機嫌がいいらしい。本当にささやかな幸せだ。
今に洗濯なんてすることはなくなるのだが。
洗濯を終えると、ルーシャは昼食にパングラタンを作ってくれた。それを食べたら今度は家中の窓を開け、換気をしながら庭の手入れを始める。それが終わると家の中の掃除、そして夕食の支度。
休日なのに全然じっとしていない。余計に疲れるのではないのかと思ってしまう。
けれど、本人にはこれが普通らしい。ミリアムだったら、シーツを一枚洗濯したら疲れて今日はもう何もできないと言い出すだろう。
夕方近くになると、ルーシャは乾いた洗濯物を取り込み始めた。ルーシャは二階の窓辺に干している分を先に集めている。ブラッドも気を利かせて庭のシーツを取り込む。
この時、ふわっと何かが頭上に降ってきて、ブラッドは反射的にそれを受け止めた。白っぽい小さな何かだった。とても柔らかい。
なんだろうと思って手を開くと、白地に黒いレースがついた布だった。ハンカチ――ではない。もっと小さい。
その正体に気づいた時、全身からドッと冷や汗が噴き出した。恐ろしくて上を見られなかった。
落としたぞ、と言って手渡せるはずもなく、かといって放り投げるわけにもいかず、どうしていいのか困ってブラッドは石像と化した。そうしているうちに、ルーシャが階段から落ちるのではないかという足取りで下りてきた。
悲鳴を上げることこそなかったが、ルーシャは辿り着くなりブラッドの手から下着を奪い取った。
これは不可抗力であって、ブラッドに非はなかったはずだ。なかったはずなのだが、こうした時は男の方が悪いということになってしまうのか。
ルーシャは真っ赤な顔をしてブラッドを睨んだ。
「拾わなくていいし!」
何かわかっていたら拾わなかった。わざとではない。
それなのに下心があるように思われるのは心外だ。ちょっとイラッとして、思わず言い返した。
「じゃあ落とすなよ」
「好きで落としたんじゃないわよ!」
「俺だって好きで拾ったんじゃない」
これを言った瞬間、怒っていたルーシャの顔からスッと血の気が引いた。地雷を踏んだのはすぐにわかった。
それでも、自分が悪いとも言いたくなかったし、思いたくなかった。
「……そうよね。ごめん」
ほんの少しだけ打ち解けたかに見えたけれど、この瞬間には初対面の時と同じくらいの溝ができたのだと感じた。
ルーシャはその日、ほとんど口を利かなかった。夕食ができたと、そんなことしか言わない。
怒っているのとは違う。
ただ、目の前にいるのが他人だと思い出したようだった。
家族でもない。
友達ですらない。
短いつき合いしか予定されていない同居人だ。
それをしばらくだけ忘れていたのは、ブラッドも同じだったのかもしれない。
あんなふうに言い合いをして、それで修復できるほどの信頼関係は端からなかったのだ。




