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五話 堕ちる


「おーい少年! すまない、タオルをもらえるだろうか」


 私は風呂から上がろうとしたが、タオルを貰い忘れていたことに気づいたため、少年を呼んだ。すぐに来てくれたので、脱衣所まで入ってくるように言うと曇りガラスに影が映る。


「タオルはドアにかけておきますからね?」


「いや、隙間からこちらにくれないか? もう上がる」


 私は浴槽から上がってドアを少しだけ開くと、そこから手を伸ばしてタオルを直接受け取ろうとした。


「いや、え、あ、はいどうぞ」


 少年は少し戸惑った様子でタオルを渡して来たので、さっきまでのギャップに可笑しく感じてしまう。


「間違えて入ってきてもいいんだぞ?」


「な、何言ってるんですか⁉」


「流石に冗談だ。でも、私からすれば少年は十分子供だぞ」


 言っていて悲しくなる。どうして人間は年を取るのだろうか。私は髪の毛の水分を拭き取りながら自問自答に陥りかけた。


「もう少し軽めの冗談でお願いします」


「検討しておくよ」


 もう他に何か困ったことはないことを確認した少年は脱衣所から出ていく。


「少年は歌手を目指しているのかい?」


 その言葉を聞いた少年が扉の向こうで足を止めたのが分かった。


 そんな彼に私は任務とは一切関係のない単純に気になっていたこと、さっき外から聞こえてきたギターと歌声について話題を振る。


「あぁ……うわ、もしかして聞こえてました?」


 恥ずかしそうにする少年は先ほどまでの印象とは全く違った。人間味のあるというとおかしいが、素の自分が出ているように感じる。


「君のオリジナル曲だよね、あれ」


 私は浴室から出て服を着替えながら話をする。


「そこまで聞かれてたか……えぇ、あれは僕のオリジナル曲です。でも、気の迷いというか、若気の至りで作っただけで、歌手を目指すなんてレベルじゃ」


「じゃあ、歌は嫌い?」


「大嫌いです」


 即答だった。あれだけの才能がありながら、彼は歌を嫌っているのだと言う。それを私は理解できなかった。


「何でそこまで歌を嫌う? 歌が苦手なら分かるけど、君は違うだろう」


 少年はどう返すのだろうかと考えたが、返答は予想の斜め上、いや捻じれの位置からだった。


「────堺さんは人を殺したことってありますか?」


 脳の理解をすり抜け、その言葉は滑り落ちる。


「昔は確かに歌手を夢見たこともありますよ。でも、自分の歌のせいで人が死んだ。ならそれを好きでいられますか?」


 ……彼の言う話は、きっと父親の話だろう。資料にそれが載っていた。


 彼の父は事故で死んだと書かれている。居眠り運転の車に巻き込まれ、崖から転落し命を落とした。どこにも少年が関わっているようには思えない。


「僕は歌っちゃいけなかった。あの日、父さんは誕生日なのに仕事だった。だからせめてハッピーバースデーだけは伝えたくて。そしたら、死にました」


 人を傷つける歌。それは十中八九、少年の力だ。妖力が関与する特別な能力、それを制御できなかったから起こった悲劇と言える。


「それは違う。君は呪おうとは思っていなかったんだろう?」


「違うんですよ。ずっとこうなんです。分かっていたのに、僕が歌うと誰かが傷つくことなんて」


「だからもう人のために歌うことなんて僕にはできません」


「少年が【お陰様】を追い払った時に出ていたのが、呪いかい?」


「よく見えますね。えぇ、今は少しだけ制御できるようになったけど、あれがそうです」


 でもそれは呪いの力ではない。私も似たような力を持っているから分かるが、あれはそんなものじゃない。


「さっきの質問に答えよう。あるよ。私も一人殺した。自分のせいで死んでしまった人がいるんだ」


 着替え終わった私は、鏡に映る自分と目が合った。あの日からずっとずっとこの目には焼き付いている

ものがある。


 それは両親の死。それは私が経験した世界の不条理だった。怪異に襲われて見るも無残な姿になった親をずっと覚えている。


 でもそれは世界に殺されただけだ。私が殺したのは、私を助けようとした人だ。その人は私をその怪異から逃がすために、犠牲になって死んでしまった。


「でも私は私のことが好きだよ」


「どう、して?」


「夢があるんだ、叶えたい夢が。そのためにもがき苦しみながらも諦めない自分が大好きだ」


「後悔とか、罪悪感とかないんですね」


「いいや、あるよ。でも、私は前を向いて生きなくちゃいけない。でなきゃ、あの人に合わせる顔がな

い」


「僕には無理だ。ずっとずっと囚われて生きてきた。今更変えることなんて」


 ドアの向こうで蹲っているであろう少年の姿が昔の自分に重なって見えた。全てを諦めて絶望していたあの日の自分、だから私は彼を助けたいと思った。自分には関係ない。そう訴えかけるのを壁越しに感じながら、それでもなお私は話を続けたが、今の少年に届かないのは知っている。


「私の夢はね────」


 だからこれは、今を乗り越えた後の更に辛い現実を乗り越えるための言葉だ。きっといつか届くはずだと、そう願った言葉は全て少年に渡すことができた。


「なぁ少年、君の夢は何だ?」


「……僕の歌でみんなを笑顔にしたかった」


 私は彼が話し終えるまでひと言も発することなく、ただ待ち続けた。少年の顔が少しだけスッキリしているといいなと、そう思った。


「今もできるよ、だって……ん?」


 体が鈍い。というか、少し酔っている?


 やけに動かしづらい体と、ぼやけ始めた視界。何かが起こっているのは確かだが、原因がわからない。


 ひとまず扉に体を寄せたが不調は治らない。ここまで酔うほど飲んではいなかった。


 ならば、別の、よう、い……


「ごめんなさい、堺さん」


 体を預けていた扉が開き、体勢を崩した私は少年にもたれかかる。その時、こちらを覗き込む少年の目を初めて直視した。


 その瞳の奥は淀んでいた。まるであの【お陰様】のように、光を浴びてなお輝くことのできないブラックホールかのように、そこにあったのは全てを飲み込む黒だった。


「僕にはもうこれしかないんです」


 そうか、私は彼を救えなかったのだ。




    意識が、闇に、



       底に、



            暗く昏く、



               堕ちていく。


【少年に語った瑞稀の夢について】

いま描写を避けたのは、少年がそれを理解していない、もしくは理解しようとしていないことを示すためです。現状、少年は全て諦めているので、届けたはずの言葉は受け取られませんでした。


もしも……この後少年が前を向けたなら、余談としてこのあとに投稿すると思います。


【瑞稀の過去について】

本編の外伝である本作ですが、さらに別の作品として、本編の読み切り版が存在します。その中で瑞稀の過去については描いたことがあり、過去編の内容は本編にもほとんど同じ設定として実在しています。つまり、その部分だけは正史と捉えていただいてもらって平気です。


なお、下記URLが該当箇所です。

https://ncode.syosetu.com/n8635iq/26

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