古城
病院の辺りには結構タクシーが走っている。
割と簡単に病院を抜け出せて、タクシーもすぐに止められた。
外をぼんやり眺めている祐子の隣で、未散はこれからどうなるのか不安だった。
どうしてついて来たのか? 自分でも分からない……。
「ねぇ、私の事、弱い人間だって思う?」
突然の質問に、未散は何も答える事が出来なかった。
「……弱かったのかな、私。死んだら皆に、あいつは弱い女だったって言われるのかな。ガンという病気に負けたって……」
「……弱いって思われるの、嫌?」
「嫌よ。だって強く生きてきたつもりだもん。でも、今はそんな事どうでもいい……」
中年の運転手、未散と祐子をミラー越しに見ている。
「お客さん、こんな遅くに退院ですか? それとも外泊?」
「退院……みたいなもんかな……」
祐子は明るく答えた。
「みたいって? ああ、また戻って来ちゃうかもしれないって事ですか?」
「もう戻ってきませんよ、絶対」
「そうですよね、戻って来たくないですよね。私も入院した事あるんですけどね、一ヶ月も。もう嫌で嫌でね、同じ部屋の奴が神経質で……」
話し続ける運転手だが、どこか上の空で聞いてない祐子。
未散は、ダブついたワンピースから出ている祐子の細い腕を見つめる。
タクシーに乗って一時間程で祐子の目的地に到着。
そこは、結構古めの白い二階建てのアパートだった。
「ホワイトキャッスル楓」の楓の文字が一部剥がれている。
「ここ、私が住んでるアパート。キャッスルというよりもコーポって感じでしょ?」
「ちょっと昭和っぽくていいね」
「えっ、昭和? 私は平成生まれなんだけど……」
と階段をゆっくり上り始める祐子の身体はかなり辛いそうなので、未散は祐子の背中を支えた。
「ありがと……やっぱり階段は辛いわ……」
未散の手のひらに、祐子の背骨のゴツゴツした感じが伝わる。
「カチッ」とスイッチの音と共に、部屋が明るくなった。
玄関を入ってすぐ横にはキッチン。
よくあるアパートの典型的な流し台には何も置かれていない。
壁には卵焼き用のフライパンと一般的な丸いフライパンが掛けられている。
小さな食器棚のガラスの向こうにはぎっしりと食器が並んでいて、その上には結構年季が入った電子レンジが置かれていた。
「おじゃまします……」
「どうぞ」
キッチンを通り、奥の部屋に向かう祐子。後に続く未散。
部屋にぶら下がっている紐を素早く二度引っ張り、蛍光灯を点ける祐子は安堵の表情を浮かべた。
白を基調とした綺麗に掃除された部屋。
布張りのソファーは優しいベージュで、背もたれの部分には水色のカバーが掛けられていた。
「綺麗にしてるね」
「入院する前に掃除したから……ふぅ……」
と小刻みに呼吸をして、ゆっくりとソファーに腰掛ける。
「隣の部屋も見ていい?」
「どうぞ……あ、ゴメンね。お茶とか出せないけど……」
未散は隣の部屋の襖を開けた。
シングルベッドとチェストが置かれていて、至ってシンプルな寝室。
「ちゃんと寝室があるっていいね」
「そうね。ここは会社から少し遠いけど、ワンルームの便利な場所よりも寝室がある2DKを選んだの。ちょっと古くて音とか響くけど……住みやすかったし……少し大袈裟だけど、私にとってここはお城だった……」
祐子はソファーに身を沈めて部屋を見渡した。
「何年住んでたの?」
「15年かな……あっという間だった……座ったら?」
祐子がトントンと隣の席を軽く叩いた。
「死ぬ前にここに来たかった……」
祐子の隣に腰掛け、未散は動揺した。やっぱり本気だったようだ。
「あの……ここで?」
「死ぬのかって? ここは嫌?」
「えっ!」
「冗談よ。事故物件にするわけにはいかないもん……ここのオーナーさん、いい方だし……」
そう言うと、祐子は未散をじっと見つめて微笑んだ。
「大丈夫よ。一緒に死のうなんて思ってないから。勝手に一人で死ぬから」
「……どこで?」
「私、海はあんまり好きじゃないの。でも、海の見える場所は好き。思い出の場所。彼とよく行った山。家族と行った事もあるの。学生の頃、友達とも。眺めがよくて……大好きな場所」
「彼って……」
「二十代の頃から五年間付き合った彼氏」
「五年も?」
「そんなに長く感じなかった。一緒にいるだけで凄く楽しくて、まるでいつも学生みたいな気分だった……」
「……結婚とか、考えなかったの?」
「うーん……彼は夢追い人だったからなぁ……」
「夢って?」
「仲間とバンドやってたの」
「へぇ……澤村さんってそういう人と付き合っちゃう人なんだぁ」
「なーんかね……自分は現実的だからそういう人への憧れ? みたいなものがあったのかな……」
懐かしそうに話し始めた祐子の表情にはその恋が苦しいものではなかったのだと、未散に思わせた。
「何で別れたの?」
「……彼が故郷に帰るって言い出したの……」
「ああ……夢をあきらめて?」
「まぁ……そうかな……その頃メンバーの人が他のバンドに移ったり辞めたりして、バンドは解散したの。そのタイミングで、急に故郷に帰るって」
「まさか、親が病気になったとか、家業を継がなきゃとか?」
「違う。他にやりたいことができたって……陶芸家になるって……」
「えっ……」
「元々彼の故郷って陶芸が栄えてる地方らしいんだけどね……」
どのスイッチが入ったのか、祐子の元カレは突然そんな事を告げて故郷へ帰って行ったのだ。別れるとか、一緒に付いてきてくれとか、そんな話はなかったらしい。
「マジで? 信じらんない……普通、話さない?」
「そうだよね。でもね、そういう事ちょくちょくあったから、ひょっとしたら戻ってくると思ってたけど、戻って来なかった」
「じゃあ、それからずっと会ってないの?」
「そう。で、四年後にあれが届いたの」
と指を差す先には、本棚の上に飾られてある小さな壺型の青い花瓶。
澄んだ海の色の様な美しいその花瓶は、とても部屋に馴染んでいた。
「ああ……頑張ってるんだって思ったわ……」
「また会いたいっていう意味だったんじゃ?」
「その頃、私付き合ってる人いたし……すぐに別れちゃったけどね……」
「……もう、いいの? 元カレとの事」
「今じゃいい思い出……彼とのこと悩んでる時、色々話しを聞いてくれたのが高坂くんだった」
「……そうなんだ……」
「じゃあ、もう昔話はこれでおしまい。私行くから……あ、鍵とか閉めなくていいから適当に病院に戻
って……」
すっと立ちあがるが、祐子はふらりと倒れそうになる。
未散は咄嗟に祐子を支えた。
「ダメだよ。無理しちゃ……も少し休んでからにして……」
「ねぇ、何で付いてきたの? まさか止めるつもり?」
「……それは多分、難しいことでしょ?」
「そうね。思い付きで言ってるんじゃないもの」
「私が何て言おうと……死ぬつもりなんだよね? あなたより不幸な人は沢山いて、それでも頑張って生きてるよ……とか、あなたが死んだら悲しむ人が沢山いるよ……とか、そんな言葉、きっと通じないんだよね……私だって、そんなこと言うつもりじゃなかったけど……でも、何て言っていいのか分かんない……」
祐子、必死で話す未散の顔を見つめる。
「……ゴメンね……変なことに巻き込んじゃったね。でも、ありがと……」
と玄関に向かって、ふらふらと歩き出す祐子を目で追う未散は、決心したように追いかける。
「待って! やっぱり私も行くから…」
「は? 何言ってんの!」
未散は祐子の腕を掴み、放そうとしなかった。
「本気?」
「私は今夜死んでたの……真衣のマンションで……だからいいの」
と祐子と手を繋いだ。
「行こう!」
「同情?」
「違うよ」
「無理しないでいいから!」
「無理なんてしてないって!」
未散の手を離そうとするが、祐子の頼りない力では離すことは出来ず……。
「お願い、離して!」
「離さない! 絶対に!」
もみ合う未散と祐子。
その時、どこからか小さく、ガタガタと音がする。




