逃避
「死ぬって?」
その時、さっきのベテランっぽい看護師が「失礼します」とカーテンを開けた。
「あら、まだ寝てないんですか?」
「あ……はい……澤村さんとお話を……」
このタイミングで看護師が見回りに来て、未散はホッとした。
「澤村さんはどうですか? 吐き気は治まりましたか?」
と祐子の静かに落ちる点滴をチェックし始める。
「はい。今日はこのまま眠れると思います」
「それは良かったです。おしゃべりは程々にして早く眠って下さいね」
「あっ、冷蔵庫にプリンとゼリーが入ってるの。良かったら食べて下さい。夜勤はお腹が減るでしょ?」
「でも、規則ですから、いただけません」
「お見舞いに貰ったのはいいけど、賞味期限とかあるし……お願い、助けると思って」
「……それじゃ、内緒で、ちょっとだけ」
看護師は祐子の冷蔵庫の中から「いただきますね」とプリンやゼリーを持ってカーテンから出て行った。
そのあと、病室のドアが静かに閉まる音がした。
「で、どうする?」
「えっ?」
「田嶋さんもプリンかゼリー食べる?」
「あ……いい……です」
「そう。私、甘いもの大好きなんだけど、今は見るのも気持ち悪くてね……ようやく食べられる様になるともう賞味期限切れ……」
「どうせなら、賞味期限が長いの持ってきてほしいですよね?」
「ほんとほんと!」
場の空気が明るくなったので、未散は安心した。さっきのは悪い冗談だったのだと……でも……。
「ねぇ、最後にお願い聞いて欲しいんだけど……」
「えっ? またお願いですか?」
「今夜はもう看護師さん見回りに来ないと思うんだけど……」
「はい?」
「私、ここ抜け出したいの」
「えっ?」
「ここで死ぬのは嫌なの……だから……」
「死ぬって?」
「やだ、何度も聞かないでよ。さっき言ったの冗談だと思った? 本気よ。私、今夜死ぬつもり。でももし見回りに来たら、トイレに行ったとか言って誤魔化しておいて」
さらっと……まるで寄宿舎を抜け出す学生のような口振りだったので、未散は思わず「OK!」なんて答えてしまいそうだった。
「そんな事できない……」
「どうして? 死にたい私の気持ち分かってくれない? 分かってくれると思ったから頼んでるのに」
「で、でも……」
「最初は、みんなが言う様に前向きに手術も治療も頑張ってきたつもり……でもね、もう誰の励ましの言葉も慰めの言葉も白々しく感じてしまう」
もう全て諦めたような顔をする祐子はフフッと笑いながら……。
「段々分からなくなってきた……何でそんなに生きていたいのか……この先、何か良い事あるのかな……毎晩そんな事考えるの」
そう言いながら、祐子はいつの間にか点滴を外していた。
「家も会社も、私がいなくてもやっていく……最初は悲しくても、両親には兄夫婦や孫がいる。高坂くんもあの女と幸せになる……」
そして重そうな身体をゆっくりとベッドから下ろし、部屋の隅のロッカーへ向かう。
「友達はみんな当たり前に結婚して子供もいて……まぁ、そうじゃない子もいるけど……でも、これから私にはそんな幸せは来ない」
「そんな事分からないじゃん……」
祐子は未散のその言葉を「私に子供は授からない」と遮った。
「えっ?」
「手術で摘出したの。もう子供は出来ないし……もちろん産めない…」
未散は、透がここは婦人科の病棟だと言っていたのを思い出す。
素早く前開きのシャツワンピースに祐子は着替えていた。
バンダナを外した頭には、殆んど髪の毛がない。その頭に帽子をかぶり、首にストールを巻いた。
「それじゃ、行くから。今日は話ができてよかった。さよなら」
と未散のベッドの前でお別れの挨拶をした。
「ちょっと待って!」
「何?」
「……えっと……」
どうしたらいいのか分からず、未散は下を向いた。その時、祐子がスリッパを履いている事に気付く。
「澤村さん、靴履いてないよ……スリッパ!」
「あら! やだ……最近履いてないから……」
と慌てて自分のベッドの下に揃えて置いてあるスニーカーに履き替える。
未散は、恐々と自分の右腕の点滴を外そうとしていた。
「田嶋さん、何してんの?」
「待って! 私も……私も一緒に行くから!」
「えっ?」




