初めての邂逅
電車に揺られ1時間ちょっとで街並みはすっかり変わってしまった。
深く被せられた帽子と地面の間からは、行き交う人の多さと車の渋滞がのぞける。
アスファルトと整備された歩道のコントラストの強さが印象的だった。
正直情報の多さに頭がついてこないぐらいだ。
電車の中で目を開けていいと言われてからお父さんはずっと黙っている。
私もなんだか話す気になれなくて、お父さんと手を繋いだまま静かに過ごした。
お父さんの表情は気になるけど、あまり見上げると視界が広がってしまう。
美代を思い出さないように、できるだけ記憶は刺激しないよう気をつけなきゃいけない。
「疲れてないかな」
1時間ぶりに聞いたお父さんの声はいつもと変わらない。
それが少し寂しいような安心するような複雑な気分にさせる。
「平気だよ」
足元を見ながらそう伝える。
お父さんが足を止めて少し屈んだ。
「やっぱり」
「抱っこはだめ!」
手でバツを作るとお父さんの目が揺れた。
「君の意見は尊重したいけど、僕が君を心配することは許して欲しい。…お願いだ」
もちろんそれは嫌ではないし嬉しい。
でもここは誰もいない山奥の家ではない。
知らない街で多くの人がいる。
その中でお父さんに抱っこされる13歳は絶対に目立つ。
なにより恥ずかしい。
「心配してくれるのは嬉しいよ。でも私は今、一人で歩きたいの」
「君がそう望むなら、仕方ないね」
寂しそうに微笑むお父さんをみると、胸がギュッと締め付けられた。
いつもならここで根負けするが、今日は絶対抱っこされない。
「早くおじいちゃんの家に行こ」
手を軽く引っ張り歩くように誘導すると、お父さんは後ろ髪を引かれるようにしぶしぶと立ち上がり歩き出した。
しばらく私の歩幅に合わせてゆっくり歩いていくと、少し奥まった場所に蔦にすっぽりと覆われた小さな建物が現れた。
「ここがお父さんの店なんだ」
窓は小さく看板もない、人を招こうともしていない風貌の小さな建物が本当に店なのか疑ってしまう。
「なんのお店なの?」
「漢方薬を取り扱っているんだよ」
困ったように微笑むとお父さんは迷わずドアを押した。
まだ心の準備ができていないのに、扉は重たい音を立てて開いてしまった。
私が、初めて嗅いだ匂いが鼻を掠めた。
店内は薄暗く、いたる所に乾燥した植物が吊るされているため狭いのにさらに圧迫感がある。
鼻をつく薬の匂いや薄暗さは嫌なのに、不思議と安心している私がいた。
「あぁ、きたのか。お前にしては少し遅かったな」
掠れた声が店内に響いた。
ギッとしきむ音が聞こえるとカウンターから長細い体が現れた。
薄汚れたエプロンとヨレヨレのシャツ、髪は長くボサボサであちらこちらに白髪が混じっている。
汚い。
初めての祖父との対面に抱いた感想はそれだった。
スタスタと足早に進んでくる祖父はお父さんと少し似ている気がした。
近くにきた祖父はお父さんの匂いと似ていた。
「おかえり」
くしゃりとお父さんの頭を撫でつけた祖父をみてなんだかモヤモヤしてしまう。
「ただいま」
少し照れくさそうにしているお父さんはなんだか違う人にみえた。
気がつけば、繋いでいた手に力が入っていた。
「紹介するね、君の祖父にあたる…」
「紹介しなくていい」
お父さんが私の紹介をしようとすると止めた。
「口があるんだから、自分から名乗り挨拶をするべきだろう。なんでもこの子に任せるな。俺は自ら行動しない人間に名乗るなんて、まっぴらだ」
私を見下ろしながら祖父は冷たく言い放った。
祖父の言い分はもっともだと感じるが、私は美代だと名乗るのが嫌だ。
美代だと名乗ってしまえば、彼女を私だと認める気がするからだ。
「……」
どうしようかと考え込んでいると、深いため息が落ちてきた。
「お前が何者であろうと構わない。だがこの子の子供だと言うなら、お前は俺に名乗るべきだと思うが?それとも名前すらなくなったのか?」
喉の奥がギュッと閉まるのを感じる。
目が覚めてから穏やかな毎日を過ごしていたのに、今目の前で責めたてられている現実を受け止められない。
どうしてこの人はこんな言い方をするのだろうか。
「お父さん、あまりいじめないでください。彼女は記憶がなくて今は気持ちの整理をしている段階なんです。」
お父さんが私の前に出て祖父の視線を遮ってくれた。
「お前のそれは優しさじゃない、甘やかして自立することを遮っているだけだ。前も言っただろ、自身で歩めてこその人生だと」
お父さんが口ごもり祖父から目を逸らした。
そんなお父さんを少し横に押して、また私をまっすぐにみて祖父は言葉を続ける。
「それで、お前は誰だ?名を言ったからそれになるわけじゃない、お前がライオンだと言ってもお前はライオンにならない。さっさと名を言うんだ。」
はっとした。
確かに名前で全てが決まるわけではない。
言葉は乱暴だけど、言っていることは的を得ている。
「大井川、美代…です」
祖父の顔を見ると少し意外そうな顔をしていた。
「なんだ、しようと思えばできるじゃないか」
少し祖父の表情が柔らかくなった気がした。
粗雑な態度でお父さんとは似ても似つかないが嫌な人ではなさそうだ。
「私は名乗ったから次はおじいちゃんの番だよ。おじいちゃんは何て名前なの?」
「それは知らない方がお前のためだ。お前は指名手配犯の名を知りたいのか?世の中には知らない方がいいことだってある。」
これは名前を言いたくないから冗談を行っているのか、本当に指名手配犯なのかわからない。
助けを求めてチラリとお父さんの顔を見るが、なぜか寂しそうな顔をしていた。
「子供は知らなくてもいいことだ。」
そういうと私に興味がなくなったのか祖父はお父さんに向き合った。
「少しお前に話がある。美代はここで座って待っていろ。」
名前を呼ばれたのに、嫌な気分にならない。
「お父さん、彼女を置いていくのは…」
「お前は美代を甘やかすことが正義だと思っているのか?人は時に、1人で過ごして1人で考える時間も必要だ。さっき自己紹介できたように、困難に当たった時こそ成長する。」
お父さんの腕を引っ張り祖父は店の奥へと入っていった。
お父さんは私に手を振りながら、待っててと口で合図した。
2人が消えた暗い廊下が気になった。
聞いては悪いと思いながらも、お父さんたちの話し声がするかと耳をすませてしまう。
その直後、重たい扉が閉まる音がして体が飛び上がった。
鉄と鉄が当たるような音だったから、どうやら普通の部屋ではなく、声が漏れないような部屋へ入ったようだ。
余程聞かれたくない話をしているのか、それともその部屋に本当に用事があるのか分からない。
知らない場所に1人にされたうえ、祖父にお父さんを取られてしまったみたいだ。
寂しい。
怖い。
そんな感情が湧き出てくるが、支配されないように蓋をした。
祖父は私に座って待っていろと言った。
ただ座って過ごすのは、することがなく退屈だ。
それに1人で考える時間と言われても、正直何を考えたらいいのかわからない。
こんな時お父さんなら何を考えるんだろう。
いや、そんなこと考えなくても分かる。
なら私は1人で何を考えよう…
これからのこと?
美代のこと?
お父さんとのこと?
何一つはっきりしたことがないのに考えようがない。
お父さんと祖父が話していた姿が自然と思い浮かんだ。
私と話している時と祖父と話している時お父さんの雰囲気が変わって見えた。
普段は優しく頼りになって、なんでもできるお父さんだ。
でも祖父と話していると叱られたり、困ったりしていた。
想像もできないけど、お父さんも私みたいに子供の時があったのだろう。
私が大人になっても、祖父とお父さんみたいな関係になるのだろうか。
それなら大人になるのも、悪くない気がした。
少しして奥の部屋からお父さんと祖父が出てきた。
こんな短時間でも私を1人にしたくないなんて、お父さんは本当に心配性だ。
自然と笑みが溢れる。
ふと祖父と目が合った。
「なんだ、笑えるのか。普段からそうしていろ。子供は感情を出すことが仕事だ。」
コツっとおでこを小突かれた。
おでこがじんわりと痛いが、嫌な痛みではなかった。
「お父さん、彼女に暴力を振るうのはやめてください。」
お父さんが私と祖父の間に入り、おでこの確認をする。
こんなに慌てているお父さんを見れることは少ない。
「ふふっ、お父さん大袈裟だよ。痛くないから大丈夫」
心配そうな顔がおかしくて、気がつけば笑ってしまった。
「暴力はいけないことだから、ちゃんと抗議しないとダメだよ。」
小突かれた場所を、優しく撫でるお父さんの肩越しに、祖父がこちらを見ていた。
「しかし、つくづく思うがこれで本当に良かったのか?彼女にそっくりで、お前には似てな」
「やめてください」
お父さんが祖父の話を遮った。
手を強く握り込んでいるお父さんを祖父は静かに見つめていて、空気がヒリヒリしているのが分かる。
彼女とはきっと私の母のことだろう。
私も全く似ていない髪色を気にしていたのは事実だ。
だけどそれよりも本当に良かったのかとはどういう意味だろうか。
私を引き取ったことを祖父はお父さんに良かったか聞いたのかもしれない。
でもなんだか引っかかってしまう。
「美代が大人になったらどうするつもりなんだ?前にも言っただろ、ずっと黙ってそばにいることは不可能だ。少しずつでもいいから話せと約束したのに、美代が起きて半年は経っているな。」
「まだ…その時じゃありません。」
お父さんの声が揺れる。
お父さんを守りたいのに、隠されていることが気になる。
「なら半年後か?一年後か?先延ばしにしてもいずれその日はくる。美代が成人するまでもう5年もない。全てを一気に話すつもりか?」
「それは…」
返答に詰まるお父さんに祖父は再び口を開く。
「いつまでも過去に縛られるな。お前は父親になると決めたんだろ?」
ついにお父さんは反応しなくなった。
秘密を知りたいと何度も思った。
でもお父さんにこんな辛そうな顔をさせるなら、真実なんてどうでもいいとも思ってしまう。
「お前は気にならないのか?目の色や顔立ち、髪の色だって父親と違うだろ。」
祖父がこちらを向いて話す。
目の色や顔立ち…
どうして気が付かなかったんだろう。
私は目覚めてから一度も鏡を見たことがなかった。
「髪の色が違うことしか知らない。…だって家に鏡なんてないから」
「何?…あぁ」
祖父はお父さんの顔を見たが、すぐに目を逸らした。
お父さんはすごく苦しそうな顔をしていて、その顔を見るだけできっと美代のことなんだと分かる。
何をしていようとも気がつけば美代が出てきて私からお父さんを奪っていく。
それは紛れもなく私なのに、私では無い。
苦しいのは私の方だ。
気まずい沈黙を破ったのは祖父だった。
「はぁ…少しいいか?」
祖父は大きく頭を掻きむしり、しゃがみこんで私の顔を覗き込んだ。
真正面からみた祖父の顔はお父さんにどことなく似ていた。
「俺からみても過去に囚われすぎているのは確かなんだが、美代を守りたいと行動している。それは間違いなく本当だ。昔の記憶が戻らなくても何も変わらない。これだけは真実だ。」
少し前にお父さんに記憶が戻らなくてもいいと言われたことを思い出した。
それを今日初めて出会った祖父に言われただけなのに、胸の中にストンと落ちた。
「2人とも似てるね」
口元からは自然と笑みが溢れるのに、目からは涙が流れた。
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