第222話 銀翼を背負う騎士 三
「――銀翼騎士団副団長、ヴェイク・フォード・シルベスターが相手をさせてもらおう。二人同時でかかってくるといい」
戦場に突如生まれた静寂を切り裂く、落ち着き払った口上。
強者故の余裕と挑発、構えも何もない直立姿勢は緊張も弛緩も存在していない絶妙な均衡を保っている。
即ち、緊張するに値しない相手と侮られているという事。
「舐めるな!」
「ちょっと……!」
テュリンの静止を聞きもせず、吸血鬼の脚力で男が疾走する。
血走った眼球から発せられる殺気は尋常では無く、常人であれば足が竦み、戦いに慣れている者でも動きを鈍くしてしまう程の凶悪な気配。
そんな殺気を浴びて、ヴェイクは平常、淀み無く重い斬撃に剣を合わせる。
金属同士がぶつかる甲高い音、だが衝撃は正面から受け止められた訳ではない。
僅かに角度を変えられた刃は滑り、力の向きを逸らされ受け流された剣が地面を抉る。
「なっ――」
驚愕の声が上がり切るよりも早く。
すれ違いざま、ヴェイクの剣が男の腹を掻っ捌き、耐えかねた中身が溢れ出す。
今まさに膝を折ろうとしている男への追撃、首を落とそうとした剣が一瞬で翻り、背後からヴェイクを狙っていた鞭を弾き落とした。
「このクソバカ!こんなバケモノ一人で相手できるわけないでしょ!」
テュリンの怒声が飛ぶ。
「クソッッッッタレがああああああああ!!」
怒りと苦痛の混じった絶叫、時が巻き戻るようにぶちまけた内臓が腹へと納まり、二人の吸血鬼が足並みを揃えてヴェイクに迫る。
そこから始まったのは、あまりに一方的な一対二の戦闘だった。
剣撃と鞭撃が荒れ狂う嵐の中心で、滑らせるようにいなし、強く弾き、或いは一寸の猶予を以て躱す。
数的不利をものともしない剣捌きで確実に吸血鬼の身体を斬り裂き、その血を地面へと吸わせていく。
力任せの斬撃も、鞭による不意を突く奇襲も意に介さない、覆しようのない圧倒的実力差が存在していた。
「こいつ……っ!マジでどんな反応速度してんのよ!」
テュリンの鉄鞭は音速を超え、通常の人間であれば防戦一方を強いられるような代物。
その上二人掛かりなのだから、対処の難しさは語るまでもない。
にも拘らず正確無比に二人の攻撃を打ち落とすヴェイクの技量に、テュリンの口から悲鳴にも似た悪態が漏れ出る。
――ヴェイクの強さの秘密はただ一つ、眼である。
彼は妻や息子のような強力な魔術には恵まれず、剣才では今代の剣聖に遠く及ばず、ニアのような異能も有していない。
それでもヴェイクがシルベスター家の婿として銀翼騎士団副団長の席に収まった理由。
それは彼の目が異常に優れていたから。
視界内のどんな些細な情報も見落とさず、眼球の動きや筋肉の収縮、銃身の移動などを瞬時に読み取り、それらの情報から次の動作を予測する。
更に魔力の流れすら視覚情報として捉え、魔術の前兆を見抜く。
――それが見えている限り、ヴェイクには如何なる攻撃も通用しない――そう評したのは友人であり現正騎士団団長であり剣聖だった。
予測を超えた未来予知にも迫る精度を持つ眼と、ただひたすらに積み重ねた努力の時間から成る剣技。
ただ一つの才を磨き上げ、ただ一つ人生で初めて心から望んだものを手に入れた男、それがヴェイクだ。
「『幽月』」
緩急を付ける事により剣筋を読ませない斬撃が男の防御を掻い潜り、深い裂傷を刻む。
男は負傷を無視し、強引に反撃を放つが、ヴェイクはこれを紙一重の間合いで避け続ける。
当たると確信した攻撃が当たらないもどかしさは、焦りとなってヴェイクの優位を確かなものにしていた。
「いい加減に……死ねっ!」
鉄鞭が唸り、ヴェイクの首を刎ねる軌道で振るわれる。
二人の中に王国への被害を最小限にする、という目的は最早存在しない。
やらなければやられる、その確信が一時的に本来の目的を忘れさせていた。
しかし致命の一撃も、見えている以上ヴェイクには通じない。
合わせる剣で鞭撃を防いだかと思えば、そのまま巧みな剣捌きでテュリンの鞭を絡め取り、左手で掴み、完全に捕らえた。
吸血鬼と言えど性差の壁は確かに存在する、現に得物の取り合いで引き合った結果ヴェイクに軍配が挙がり、テュリンが引き倒される。
「させ、るかあぁぁあああああ!!」
あわや倒れたテュリンの首が飛ぶという所で男が割って入り、血飛沫が地面を汚す。
だが身体を張った甲斐あってヴェイクの攻撃は届かず、その隙にテュリンは鉄鞭を手放し距離を取る事が出来た。
だが武器を失った吸血鬼と満身創痍の吸血鬼、そして傷どころか血飛沫一滴浴びていないヴェイク。
力の差は歴然だった。
「力の差は理解してもらえたと思うが、どうだろうか。投降してもらえるとこちらとしても凄く助かるのだが」
「ざけ……やが、って…………」
再生自体は行われているものの無制限ではないのか、悪態を吐く男は見るからに体力を失っていた。
腹から流れる血が雨が降った後のように石畳を濡らし、傷口が塞がる速度も明らかに遅くなっている。
前衛としてテュリンの前に出続けた代償に、その命を風前の灯火にまで翳らせていた。
「……テュリン、お前はフランチェスカの援護に向かえ。王女は向こうだ」
「あんたは、どうすんの?」
「どの道長くはもたねぇからな、最後くらいはせいぜい派手に散ってやるさ」
不敵な笑みを浮かべる男と、表情を消して後退るテュリン。
しかしそんな発言を聞いて、銀翼騎士団がはいそうですかと行かせる訳が無い。
女を逃がすまいとじわじわと包囲網を狭めていく中心、男の魔力が爆発する。
「銀翼騎士団副団長ヴェイクよ、しかと刮目するがいい!このガルナードの!最後の輝きを!!」
名を明かした男の身体が原形を留めない程に膨張し、破裂する。
思わず目を背けたくなるような凄惨な赤黒い景色、やがてガルナードだった血肉は見上げる程に巨大な血の竜巻へと変わり、周囲の建物を蝕み始めた。
「退避しろ!巻き込まれるぞ!」
狭めていた包囲を解き、騎士達が慌てて散開していく。
その隙にテュリンは包囲網を脱したが、最早これを止められる段階にはない。
屋根を渡っての逃亡を見逃し、ヴェイクはガルナードが命と引き換えに起こした血の竜巻へと剣を向ける。
ヴェイクに魔術的な大技を相殺するような真似は出来ないが、破壊する方法はある。
目を凝らし、剣を縦に構え、タイミングを見計らい、放つ。
「――『繊月』」
狙い澄ました斬撃が弧を描き、魔力によって伸びた剣先が血の竜巻を微かに抉る。
どう見ても竜巻全てを破壊するには足りない斬撃、しかし現実に起こった結果として血の竜巻はぐらぐらとその姿を揺らがせ、最後には中程から折れて血の濁流と化し、大通りの地面を染め上げていった。
弱点はどんな生物にも物体にも、魔術にも存在する。
魔術を構成する術式は術が強大になればなる程複雑になっていき、弱点となる部分一つ欠ければ成り立たないという事もざらだ。
通常であれば荒れ狂う魔力の中で術式を見分けるのは至難の業だが、ヴェイクには特別な眼がある。
物理では干渉出来ない術式に魔力の刃で干渉し、術式の核となる部分を斬り裂いた。
それがヴェイク自身が編み出しヴェイクにしか扱えない、ただ一人の為の絶技。
「ご無事ですか、ヴェイク副団長」
「問題無い。残りの吸血鬼は?」
「残念ながら。逃げた吸血鬼は闘技場方面へ向かった模様です。追いますか?」
「いや。私達はこのままドラウゼンの包囲網を維持しつつ、逃走を図る吸血鬼の掃討に移る」
「よろしいので?」
「向こうには頼れる騎士がいるからね。かの騎士に任せるとしよう」
部下に方針を伝え、第一翼は戦況の維持へと動き始める。
剣を鞘に納めて走り出す隊長の顔には、一厘の不安も無い全幅の信頼が浮かんでいた。
―――――
「強そー、とか、カッコいー、とかあってもいいじゃんって思うんだけど。なのにみんな剣の方ばっかり見てわたしには目もくれないんだから。ほらちゃんとよく見て。細身で可愛いわたしと無骨でデカくてカッコいい剣。組み合わせとしては意外性があって逆にアリ……」
「隊長。無駄口はそのくらいにして仕事をして下さい。本来であれば隊の指揮も隊長の仕事なんですからね」
「えー」
「えーではありません。他の隊長方は皆様されている事ですよ」
「やっぱわたし隊長向いてないと思うんだよ。戦略と戦術の区別もあんまりついてないし、頭で考えながら戦うのも苦手なんだもん。ほら、わたしって――ただ強いだけじゃん?」
そう無邪気に笑うアイリーンの姿に、第四翼の副隊長は大きくわざとらしく溜息を吐く。
銀翼騎士団随一の苦労人と名高い騎士、アドラー・クオルツ。
ほっぺたを膨らませて抗議するアイリーンに見られないよう伏せた顔には少し苦く、しかし確かな笑みが浮かんでいた。
「ではその強さとやらを早く発揮して下さい。現在ここドラウゼンでは隊長が不在の第七翼を除いた全部隊が活動しています。どの部隊も華々しい戦果を挙げる中で第四翼だけが後れを取るなどと言う事になれば七翼の名折れですよ」
顔を上げたアドラーは真面目ったらしい表情で剣を抜き、背中に背負っていた丸盾を構える。
発破を掛けるアドラーに呼応するように、アイリーンもまた巨剣の柄を握る手に力を込める。
「確かに負けてはられないよねー。よし!それじゃいっちょやったりますかー!」
「「「「おおぉぉおおおお!!」」」」
鉄壁隊が地面で盾を打ち鳴らし、魔術隊が杖に強く魔力の光を宿し、士気が一気に向上する。
ただでさえ強大な魔獣と戦う第四翼は、他の隊よりも高い連携を求められる。
日々の鍛錬は言わずもがな大切だが、戦場では部隊の士気力が何より重要視される。
剥き出しの殺気を前に怯まない精神力、仲間の為に前に出る事を厭わない勇気、そして仲間への信頼。
「来ぉい!銀翼騎士団ッ!!」
腰を落とし、拳を打ち合わせて待ち構える男を、血の渦が呑み込んでいく。
雄叫びを上げる男が次に姿を現した時、その姿は大きく変わっていた。
ただでさえあった上背は今や三メートルを超え、四肢はより太く強靭に、特に肩から先は直立しているだけでも地面を擦るのではないかといった有様で、雑に振るうだけでも相応の被害が予想された。
そんな変身を遂げた男だったが、ゴリゴリガリガリと地面を削って巨剣を引き摺るアイリーンを待つ時間は、戦いに焦がれる者にとってはあまりにもどかしいものだった。
「んんんん遅い!何だその有様は!!」
一歩の踏み込みごとに石畳を割りながら、男が突進する。
その瞳に浮かぶのは失望や落胆、そして怒り。
振り抜いた拳を数人がかりで阻まれ、振り下ろした足を盾に受け止められても、その目はアイリーンを射抜いていた。
「その剣はハッタリか!?俺を馬鹿にしているのか!?」
「そんなつもりないってば。これからこれか、ら!」
ゆったりと、しかし徐々に加速していくアイリーンと男の距離が縮まっていく。
そこに割り入る騎士が三人、何故か手にした盾をアイリーンへと向け、しゃがみ込みながら斜めに構えたではないか。
何事かと訝しむ男は、アイリーンに浮かぶ笑顔を見てその可能性に思い至る。
「そう来るか!」
「はぁありゃああああああ!」
地面をこそぐ横薙ぎの斬撃は、さながら射出台のように構えられた盾に跳ね上げられ、足元から胴を薙ぐものへと変化した。
巨剣を持ち上げる力を他者に頼り、振り抜く力にのみ注ぐ事によって威力を底上げしているのだ。
だが、
「まだ遅いわ!」
アイリーンの攻撃は天高く振り下ろされる拳に打ち落とされ、巨剣がずんと地面に沈む。
そのお返しと言わんばかりに両腕の筋肉が音を立てて膨張し、乱打が始まる。
「鉄壁隊!」
「オラ!オラ!オラ!オラァ!!」
繰り返し、繰り返し、岩すら砕く重撃が騎士の持つ盾に叩き込まれる。
巨大な魔獣の攻撃すら涼しい顔で受けて見せる精鋭達が、一手受ける度に苦鳴を上げながら後退っていく。
それ程までに男の拳撃は重く、長い時間耐えられるような代物では無かった。
「それ以上好き勝手にはさせん!」
第四翼の頭脳を務めるアドラーの判断は早く、吸血鬼の攻撃を耐えられないと見るや鉄壁隊の隙間を縫うようにして肉薄、すれ違いざまに男の足の腱を斬り裂いた。
薙ぐ反撃を左腕に装着した丸盾で受け流し、背後から男の脇腹を剣先で突き刺す。
「ちょこまかと……!そんなもので俺は仕留められんぞ!」
「元より殺せるなどと思い上がってはいない――隊長!」
「――いつでもいけるよ!」
アドラーの声に男が振り返れば、そこには再び巨剣を腰溜めに構えるアイリーン只一人の姿。
先程まで男を囲んでいた騎士達は少し離れた位置まで後退しており、遂に一対一の状況に恵まれたと歓喜した。
だが巨剣の位置はまだ腰の後ろで、先の振り抜く速度から考えて奇襲には届いていなかった。
「やはり遅いな!女騎士!」
「それはどうかな――――」
握り合わせた両拳を振り上げる男の攻撃が、アイリーンが巨剣を振り抜くより先に届く事は間違いない。
にも拘らずアイリーンの表情に焦りは無く、寧ろ勝利を確信した笑みがあった。
――アイリーンの持つ巨剣は、神が手ずから創り出したものであると言われている。
魔に属する巨人の為に創られ、その手で人類を窮地に陥れた銘無き厄災の欠片。
人の為に創られたものではないが故に、神代からここまで誰一人として使い手に恵まれなかった巨剣には、ある能力が備わっていた。
それは質量増加、最大で一倍から三倍まで自由に可変が利くというもの。
普通の剣であれば便利な能力だが、ただでさえ扱い辛い重量を持つ巨剣に質量を追加した所で、枷にしかなりえない。
人の手に余る重量と刀身、能力を持つ歴史上最大の剣は三千年もの間再び振るわれる時を待ち続け、この時代に遂に巡り会った。
アイリーン、姓無き女騎士。
有史以来初の使い手に声無き歓喜の声を上げる巨剣が唸り、そして――
「――おやすみ、吸血鬼さん」
瞬きをした騎士が居た。
その騎士が瞬きの直前に見ていた光景は、吸血鬼が拳を振りかぶり、アイリーンが巨剣を腰溜めに構えるというものだった。
だがひとたび瞬きをしてみればどうだ――アイリーンは巨剣を斜め上に振り抜いた姿勢で静止しており、吸血鬼は膝から下を残してその他は綺麗さっぱり消えてしまっている。
遅れて、暴風が吹き荒れる。
近くの窓を片っ端から割って回り、散乱する瓦礫を更に細かく粉砕し、衝撃に空が歪む音がした。
そうして全てが終わった後、ずしん、振り抜いた巨剣が地面へと落ちた。
――身体強化の遅延・多重発動、それがアイリーンが持つ特異な魔術特性。
通常の身体教派は発動した瞬間から効果を発揮する単純なものだが、アイリーンはそれを遅延させて秒数を調整する事で、一瞬の間に通常の身体強化の何倍もの出力を実現しているのだ。
多重の身体強化は十秒程度しか持続しないが、その十秒でアイリーンは巨剣を小枝のように振るい、如何なる魔獣をも叩き潰してきた。
それは吸血鬼であっても例外ではない。
「お疲れ様でした。やはりいつ見ても戦うお姿は見事なものですね」
「"は"?今"は"って言った?助詞間違えてない?わたしはいつも見事でしょうよー。レイドヴィル様はいつもカッコいいって言ってくれるし」
「……あまり甘やかさないよう進言しなくてはいけませんね」
やれやれと首を振るアドラーと、頬を膨らませて抗議するアイリーン、そしてそんな二人を見て笑みを浮かべる第四翼の騎士達。
こうして市民に親しまれるドラウゼンの市場は守られた……舗装された道路や建物の窓を犠牲に。
周囲への被害を出さない戦い方は、アイリーンの目下の課題なのだった。
カイル・エレナート君の話はまたいずれ、という事で
だってカイル君の敵灰になっちゃったし……




