第218話 ジャックの影 四
「君には僕は倒せないよ。人を信じない、君には」
淡々と告げられたその言葉は、刃よりも鋭くジャックの胸に突き刺さった。
ただのハッタリだ、戯言だと簡単に切り捨てられない確信を伴う発言に、安易に否定する言葉が喉から出ない。
「君の境遇には同情する。君の負う責任には共感する。誰に押し付けられたでもなく、自分で背負い込んだ責任を果たそうとする決意も認めよう。その為に手段を選ばず、他を顧みない姿勢にも納得がいった」
自らの利益や目的の為に、他者の損害を無視するのは決して間違いでは無い。
それでも叶えたいという願いを持つ事も、決して間違いでは無い。
だが、
「その上で、僕は君の歩みを阻む。君が自分の責任を果たそうとするように、僕も僕の責任を果たす。当然認めてくれるね?ジャック」
「お前の責任ってなんだよ」
「王国の利益だよ」
「貴族でもないくせにか?」
「不思議かな?」
「偽善者め……」
吐き捨てるように言い、ジャックが深く腰を落とす。
前進の溜め、筋肉が膨張し、魔力が高まり、闇に緊張が張り詰める。
対するヴィルは直立、というよりも闇に身を任せたまま。
足場が存在しない以上仕方のない事ではあるが、ヴィルは言葉にした通り、勝利を確信していた。
虚空を蹴り、ジャックが一気に距離を詰める。
今度は空中での身じろぎも許さない、細かく逃げ場の無い連撃。
しかし、結果としてジャックの攻撃はヴィルに一条の傷を付ける事も叶わなかった。
――ジャックと同じように虚空を蹴り、ヴィルが見事な宙返りを披露する。
「なんで……!」
「さて、どうしてだろうね」
涼しげな表情を崩さない美丈夫に、ジャックは歯噛みした。
『潜翠』で作り出した影の世界において、ジャック以外の人間は水の抵抗のない水中のような感覚を覚える。
ふわふわとした感覚が頼りなく、縋る足場も無い虚無の場所。
ただ一人だけ、ジャックだけが影の中で立つ事が出来る。
平面も傾斜も段差も壁も、魔力の許す限り自由自在に作り出す事が出来るのだ。
自分にだけ許された有利状況を生み出す特権、それが侵害されたとあればジャックが焦るのも当然だった。
「来ないのかい?ならそろそろ僕から行かせてもらうよ」
来る――そう警戒し、ジャックが咄嗟に防御の構えを取る。
剣士にとって今の間合いはあってないようなもの、まして相手がヴィルであれば警戒しすぎるという事もない。
しかし来ない、待てども待てどもヴィルに動く気配は無く、すわブラフかと思いつつも視線を外さず剣を構える。
何も起こらず、ただ睨み合う時間が続いているかに思える。
ぐらり、影の世界が揺らぐ。
最初は気のせいかと考え、雑念として処理しようとしたジャックだったが、すぐに気付く――ヴィルの魔力が『潜翠』を揺るがしていると。
影を構成するジャックの魔力とヴィルの昂る魔力が相反し、拒絶反応を起こしているのだ。
このまま続けば強制的に地上に弾き出される可能性もある。
ジャックに選択の余地は無かった。
「――――!」
待ち構える姿勢から仕掛ける姿勢へ、転じるジャックがヴィルとの距離を詰める一歩を踏み出そうとして――
「――――ッッ!?」
判断を下した一瞬、体勢を変えた一瞬の隙にヴィルが肉薄、超至近距離で視線が交錯する。
突然の接近にジャックの思考が漂白され、対処が僅かに遅延する。
その無防備な腹に、ヴィルの前蹴りが突き刺さった。
「ご――――」
背中を引っ張られるような突き抜ける衝撃がジャックを襲い、凄まじい勢いで影の中を吹き飛ばされる。
遅れて鈍痛が視界を真っ赤に染め、腹いせのように上がってきた胃液を吐き捨てた。
減速し、反転し、影に靴先を食い込ませるように体勢を立て直す。
腹筋が痙攣し、内側で中身がずれたような感覚が残る。
「負けられるか」
それでも折れないのはただその一点、負けられないという意地にも似た感情だ。
ヴィルを超えた先に目的がある、復讐を遂げる責任がある、だが何よりヴィル・マクラーレンという人間がどうしても認められない。
人を信じないジャックと、人を信じるヴィル、根本から相容れないのだ。
「人の醜さに蓋をして、光ばかりに目を向けるお前なんかに――――!」
流れる血の熱さに身を任せるように剣を振るう。
視野を狭めたり冷静な判断力を失ったり、弱点が多く語られがちな怒りも力の放出という一点では何物にも負けない強さがある。
下から掬い上げるような斬撃、ヴィルはそれを地面が無い事を利用した三角跳びで回避、ジャックの死角へと潜り込む。
繰り返し繰り返し、全方位から攻撃を仕掛けるヴィル。
通常意識する事が無い真下からの攻撃、ジャックは苦い表情をしながらもなんとかヴィルの猛攻を凌ぎ続ける。
ジャックのみが歩く事を許される影の中で、何故ヴィルがここまで自由自在な挙動を取れるのか。
その答えはエネルギー操作魔術にあった。
運動エネルギーを継続的にゼロにする事によって発生する空気塊、ヴィルはそれを足場に跳躍を繰り返していた。
まるで我が物顔で影を跳び回るヴィルに、ジャックの怒りは過熱する。
「ここは俺の世界だ。これ以上好き勝手させねぇよ」
掌を前に突き出し、握り込む。
するとヴィルの動きが目に見えて鈍り、ここにきて初めて明確な隙が生まれた。
周囲の影がその密度を増し、ヴィルの動きを阻害したのだ。
すぐ傍に迫る黒剣、咄嗟に跳び退こうとしたヴィルだったが、結果としてその目的は叶わなかった。
重く圧し掛かる影の分力強くなった踏み込みに、空気塊の方が耐えられなかったのだ。
足を踏み外したような体勢のヴィルへ、ジャック渾身の二段構えの斬撃が叩き込まれる。
一度目は剣を払う斬撃、そして二度目が本命の、致命の一撃。
それは間に割り込んだ腕などものともしない、確実にヴィルの命脈を断つに足りるものだった。
だが、
「しぶとすぎんだろ……!」
「僕の数少ない取り柄の一つなんだ」
肉を斬る感覚と骨に切り込みを入れた感覚こそあったものの、ヴィルの命には指が掛からない。
間合いも最後まで十分、それでも骨を断つには足りなかった。
「ジャックの言う通り、人には醜い部分もある。弱さと言い換えても良い欠点だ。けど君の台詞を借りて反論させてもらうなら、君は人の尊さに蓋をして影ばかりに目を向けているように見える」
血を流す左腕をものともせず畳み掛けるヴィルの剣技は、返答に意識を割けば一瞬の内に命を奪われる鋭さがあった。
それでも、ジャックはヴィルの考えに反論をせずにいられない。
「それがどうした!お前の言う尊さなんて、人に良く見られたいって見栄からくる仮面でしかない!その下にあるのは嘘と虚飾が絡み合う地獄なんだよ!なんで分からないんだ!?」
激情のままに振るうジャックの剣筋は、戦闘開始直後の冴えをすっかり失っていた。
癇癪を起こす子供にも似た雑な剣技、いなし、突き刺し、戦いを終わらせるのはヴィルには容易い事。
だがこの戦いの勝利条件は、最早命のやり取りから離れた。
故に、ヴィルは剣を合わせるに止め、ジャックの主張に否を唱える。
「君の意見を完全に否定しているんじゃない。嘘は武器だ。人は弱い、弱いから嘘を使う。弱点を守るため、自分の全てを知られないため、他人を傷付けないため。理由は幾らでもあるけど、人は嘘と無縁ではいられない。龍が嘘を吐かないと言われているのは、そんな小さな武器に頼る必要が無いからだ」
人は集団で生き、一つの弱点で容易に立場や命を失うが、龍は個で完成している。
他者を慮る必要が無く、面倒事は爪を振るえば解消される。
頭を捻って嘘を考え相手を騙すなど、面倒な手間の割に効果の小さい行為などやってられないのだろう。
「人は嘘を吐く生き物、それは変えられない。けどそれが全てじゃない。君の結論は極端で、しかも半分の事しか言っていない。人は常に嘘を吐く生き物じゃないんだ、人の全てを嘘かもしれないと疑ってかかるのは、ただの疑心暗鬼だ」
否定も批判も無い、ただ純粋に事実のみを並べ立てるヴィルの言葉に、ジャックの剣勢が鈍る。
代わりに、堰を切ったようにジャックの口から言葉が溢れ出た。
「何が……それの何が悪いって言うんだよ!?極論でも暴論でも、人に裏の顔があるのは紛れもない事実だろうが!母さんは馬鹿正直に貴族の評判を信じて騙された!真っ直ぐな人だったから、人の善性を信じる人だったから、疑う事すらしなかった!それだけなら俺の復讐だ、俺だけの復讐だ。けど、母さんを信じたエレナの母親と、ネスターとノーラの母親もその巻き添えになったんだ。責任が、あるんだよ。あいつらの人生を歪めた責任が!もう間違えられない。間違える訳にはいかないんだよぉ!!」
心の奥の奥にしまっていた分だけ、吐き出す為には力を必要とする。
今にも泣きそうに、苦しそうに、噴き出す感情が抑え切れない。
少し、『潜翠』の闇が薄れた気がした。
「……疑う事で自分の身を守ってきた君にとって、それは正しい選択だったのかもしれない。裏切られて大切なものを失ったのなら、二度と同じ事を繰り返したくないと願うのは必然だ。けどね、ジャック――疑う事と信じない事は全くの別物だ」
ヴィルの言葉は鋭く、しかし殴られたような鈍い衝撃をジャックに与えた。
『潜翠』の影の世界に、裂けるような音と共に罅が入る。
「赤の他人や僕を疑うのは良い。見ず知らずの相手を警戒するのは当然の事だし、『影の木』が大きい相手を信じられない気持ちは分かるよ」
実の所、ヴィルは自身の『影の木』の正体の大分部に思い当たる節があった。
それは『嘘』だ。
ヴィルは人一人が抱えるにはあまりにも大きすぎる嘘を抱えている、即ちシルベスター家次期当主であるという事実、世界を救う使命を背負った勇者であるという事実である。
個人の秘密としてこれ程大きな規模もそう無いだろう。
「けど純粋にジャック・エリエクタスという生徒を案じてくれたクラスメイトは別だ。君は裏切られる事を恐れるあまり、手を差し伸べてくれた人達の善意すら振り払っている。リリアはクラスで孤立する君をいつも気に掛けていた。フェローも食堂や酒場に誘っていた筈だ。君はそれを全て拒んだ」
「……信じられる保証なんか無かった」
「二人に下心があったと、本気で思っているのかい?もう半年以上同じ教室で過ごして、二人を見てきた筈なのに。いや、それとも見ないふりをしてきたのかな。いずれにせよ……」
「お前は……!ッ…………!?」
戦闘を再開しようとしたジャックの動きが止まる。
ヴィルはただ立っているだけ、剣すら構えていない棒立ちの状態だ。
見るからに隙だらけで明らかな好機、それでも尚ジャックは動けない。
――尋常でない量の魔力が、ヴィルを中心に渦巻くように放たれていた。
それはまるで嵐のように、ただ存在するだけで周囲を傷付けかねない魔力による暴力。
普通の空間でも脅威となる濃密な魔力が、『潜翠』によって作り出された影の世界で渦巻けばどうなるか。
術者の精神が不安定になった事で生じた亀裂が、ヴィルの魔力によって押し広げられ、損壊していく。
「させるかよ!」
我に返ったジャックが、そう叫びながら突進する。
柄を握る手に力を込めて駆けながら、反対の手を魔力を渦巻かせるヴィルに向け、掴む。
ひび割れる世界でありったけの影を集めながら、それらを膨張する魔力ごと圧縮するようにヴィルを覆い尽くしていく。
先の動きを鈍らせるだけの影の使い方とはまるで違う、押し固めるような濃密な影。
だがそれだけでは足りない、今も溢れる魔力が影を押し返そうと圧力を増している。
元より影だけで押し潰せるとは考えていない、その上から剣で叩き斬る。
「終わりだ」
剣を振り上げ、遮るものも何もない距離を詰める。
誰がどう見ても詰みのこの状況、しかし口に出した台詞とは裏腹にジャックの中に勝利への確信は無かった。
ヴィルの言葉が繰り返し繰り返し、頭の中を反響している。
勝てる筈だ、負けない筈だ、そう強く考えていても、どうあっても望む未来が想像出来ない。
そこでジャックは悟った。
「――ジャック!」
影の中を、エレナが落ちてくる。
招かれざる客の存在に、ジャックの意識が逸れてはいけない所から逸れる。
それはヴィルを拘束する影の塊であり、三人が存在する影の世界であった。
「――言った筈だよ、ジャック。人を信じない君には、僕は倒せない」
ヴィルの声を皮切りに、影の世界が崩壊していく。
蛹から孵化する蝶のように魔力が溢れ、影を解き、世界を壊していく。
崩壊は加速度的に進んでいき、作り出したジャックにも止めようがなかった。
やがて致命的な亀裂が闇中を走り、影の世界が崩れ去る。
ジャックが見た最後の光景は、眩く溢れる太陽の輝きだった。
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