第217話 ジャックの影 三
「悪魔とは、また随分な言い草だね。化け物だ何だと言われるのには慣れてるけど、流石に面と向かって悪魔と言われたのは初めての経験で驚いているよ」
いつの間にヴィルの拘束を逃れたのか、影の中でヴィルとジャックの距離は十メートルまで離れていた。
とは言え地面があればこの程度、剣士の脚力であれば一足一刀の間合い、油断は出来ない距離だ。
更に影の中で受ける影響は未知数、ジャックにとって有利な舞台だと考えて動かなければならない。
警戒しながら、ヴィルはジャックに言葉を返す。
「そうだろうな、誰もお前の醜悪な裏の顔に気付けない。俺だって『潜翠』が無かったら気付かなかっただろうさ。同じ闇に潜らないと、『影の木』を見ないと気付けない」
ここに来て、ジャックは最早その瞳に宿る敵意を隠そうとはしていなかった。
或いは、私怨による標的と思われるウィンスタント子爵に対するものと同等にも思える激情。
ヴィルは自身から伸びる影、恐らく罪や嘘、業といった本人が抱える負の潜在意識の集合体を見る事は叶わない。
ジャックの影も見えない事から、彼の言うこの影の木は『潜翠』と呼ばれる裏の世界から地上を見る事でしか観測出来ないのだろう。
この影の世界を知った事でヴィルは理解した、納得した。
ジャックが自分を憎悪する、その理由を。
「僕の『影の木』とやらは、そこまで大きくなっていたのか」
「自覚はある筈だろ。具体的に何をやってきたのか、何を隠しているのか、俺はまだ知らない、知る意味も無い」
「そうかな?見ただけじゃそれが罪なのかそれとも嘘なのか、君にも判断が付かないんじゃないかな?もしかするとただ大量で重大な隠し事をしているだけかもしれない」
「隠し事?陰で違法薬物を流通させ、一つの村を怠慢で滅ぼし、あまつさえその証拠を揉み消す為に無辜の民を殺すようなクソ貴族。そんな奴の影の木よりもデカい秘密があるって?ふざけるのも大概にしろよ」
「流石に信じてはもらえないか」
影の木が複数の要素から成る以上、ジャックの言うヴィルの闇の構成要素は、その大部分が嘘によって成り立っている。
本名も身分も使命も結末も、全てを偽っているヴィルの影の木は、さぞ大きく濃く根を張っている事だろう。
その世界の存亡を左右する秘密の質は、きっと大抵の悪事よりも高い。
……ただ一つだけ、ジャックの言葉にも正しい部分がある。
それはヴィルに罪があるという点、その一点においてジャックは正しい。
決して法律で裁かれる罪ではない、決して誰かに糾弾される罪ではない、きっと本人に咎められる罪でもない。
それでもヴィルだけは罪の意識を覚えている、誰が何と言おうと清算しなければならない罪人であると、他ならない自分が覚えているからだ。
「認めよう。確かに僕には罪がある、隠し事もある、その事を否定はしない。僕もいつかは清算しなければならない時が来るだろうね」
「開き直るのかよ。そうやって問題を先送りにして……」
「今はまだその時ではない、というだけだよ。それに――僕を裁くのは君じゃない」
「っ…………!」
ヴィル一人が認める罪を裁けるのはただ一人だけ、それはジャックでもヴィルでもない。
その一点だけは譲れない、ヴィルを突き動かす原動力の一つだった。
だがその真実を、新年をジャックは知らない。
教える事も叶わない国家機密であるが故に、ジャックの無理解は許容値を超えた。
「さっきから言い訳ばかり……!」
歯の鳴る音が聞こえた瞬間、ジャックがヴィルとの距離を一気に詰める。
足場の無い闇の中において宙を蹴るような常軌を逸した機動力。
どういった原理かは不明だが、この空間を作り出している術者だけあって足場を作り出せるらしい。
一直線に飛び掛かって来るジャックに対し、ヴィルには踏ん張る為の足場が無い。
せめてもの手段とヴィルは自身の相対座標を固定し、剣を前にジャックの斬撃を迎え撃つ。
激突――――エネルギー操作魔術だけでは受け止めきれず、吹き飛ぶヴィルの身体。
頭上に地上の景色が映っていなければ、比較対象の無い闇の中だけでは上下の感覚すら見失っていた事だろう。
ぐるぐると回る視界の中、何とか体勢を整えようとするが、ジャックの追撃がそれを許さない。
二度、三度、四度、繰り返し繰り返し、先のように捕まる事を嫌ってかすれ違いざまの斬撃を見舞うジャック。
『第二視界領域』のお陰でどうにか最低限の防御だけは出来ているが、縦横無尽という言葉に相応しい全方位からの攻撃に、ヴィルは防戦一方を強いられていた。
「お前は何なんだ!自分が常に正しいみたいな態度で!一歩引いたような眼して!そのくせ他人の厄介事ばっかり首突っ込んで!全部一人で解決して!胡散臭いんだよ!今も俺の邪魔をして、結局何がしたいんだよ!」
燃え上がる激情と比例するように苛烈になっていくジャックの攻め手。
最早本能的な反射だけで猛攻を凌ぎ続けるヴィルは、しかし冷静な思考を保っていた。
「君の怒りは筋違いだよ、ジャック。君も本当は分かっている筈だ。交流会が開かれている今、騒ぎを起こすのは間違いだと。分かっていても尚、邪魔をする僕に腹が立って仕方が無い。だから代わりに行き場の無い怒りを、憎悪を、分かりやすい対象にぶつけたいだけ。それに……」
「分かったような口を利くな!今しか、今しかないんだよ!俺の怒りも憎しみも正当な権利で、俺の責任は俺が果たさなきゃいけないんだよ!誰にも理解されない、誰に理解してもらおうとも思わない。俺の、邪魔を、するな――――ッ!!」
咆えるジャックが柄を両手で握り、大上段からの渾身の一撃を見舞おうと振りかぶる。
この上も下も無い闇の中で全力をまともに受ければ、どこまで叩き落とされるか。
微かな溜めの後、刹那、闇を裂く音。
ジャック渾身の一撃が、ヴィルの頬を掠めていった。
「避けた……?何で…………」
「理解されない、か。一つ言わせてもらおう。ジャック・エリエクタスという人間が、今日まで学園で一体何をしてきた?自分から望んでやった事が何か一つでもあったかい?答えは何も、何もしていない。誰に話し掛ける事もなく、誰に働きかけるでもなく、ただ受け身に、流されるままに時間を過ごしただけだ」
「うるさい……」
「中には他者との交流を苦手としたり望まない生徒も居る。アンナやルイ、ローラなんかがそうだね。けど二人は君とは違う。アンナは過去のトラウマで人と接する事を苦手としていた。それでも諦めずに立ち上がり、努力して自ら歩み寄り、今じゃクラスメイトと普通に会話出来るようになってる」
「黙れ…………」
「ルイは自分が一人でも成長出来ると信じ、学園でもその在り方を貫こうとした。けれど己のやり方に限界を感じ、周囲との協調を選んだ事で大きく成長してる」
「関係ないんだよ…………」
「ローラは自らの出生に苦しんで、傷付くのが怖くて、だから傷付けてでも他者との距離を保っていたんだ。だけど本当はローラも好んで人を傷付けたい訳じゃなくて、霊峰の一件をきっかけに勇気を出して一歩を踏み出し始めた」
「それの何が…………!」
「――君はただ、怠惰なだけだ」
「…………は?」
ジャックの意識が漂白される、それ程の衝撃だった。
怠惰なだけ、そんな台詞を面と向かって言えるのは、彼の人生を知らない者だけだ。
彼の境遇を知る者ならば、冗談でもそんな事が言える筈が無いのだから。
「何を、言って……」
「周りに人が居ないのに、誰かに理解される筈も無い。その原因は義賊の活動にかまけて学業を疎かにした結果、君はクラスの輪に入れなくなったんじゃないのか」
「ふざけるな!俺がそんな理由でこうなってると思ってるのか!?何にも知らないくせに、好き勝手言ってんじゃねぇ!!」
「何にも知らない、その言葉通りだよ。僕はジャックという人間の表面的な部分しか知らない。クラスの皆もそうだ。何が好きで、何が嫌いで、何を良しとし、何を悪しきとするのか。そんな基本的な事すら知らないんだ。過去も理由も、僕が知る筈が無いじゃないか」
アンナもルイもローラも、今に至った経緯を知っているのは三人が自ら歩み寄り、過去を打ち明けてくれたからこそだ。
けれど、
「誰にも話さず、誰にも明かさず、ただ一人で抱え込み、他人を拒絶している。理解されないから拒絶するなら納得だ。でも君は一度でも自分から歩み寄った事があるのかい?無い筈だ。ずっと誰かのせいにして、自分を被害者にし続ける為に理解者は邪魔だったんだ」
「違う!」
闇が揺らぐ。
ここが魔術によって作り出された場所だとすれば、その強度は術者の魔力操作、もとい精神の状態によって安定性は大きく揺れ動く。
それまでは怒りに染まっていたジャックの表情が、少しずつ歪んでいく。
「一体何が違うって言うんだい?君は他者を拒絶している。クラスの仲間だけじゃなく、義賊の仲間すらも信用し切れていない。その原因は君が人間関係に重きを置かず、放置してきた結果じゃないのか」
「違う!!俺は……俺は…………!」
「何が違う!ジャックの過去も思想も、自分から歩み寄らなきゃ誰も察してなんかくれない!孤独は当人が拒む限り解消されない!」
ヴィルはこれまで、幾人も心を閉ざしたクラスメイトに手を差し伸べてきた。
望む者には寄り添うように、望まざる者にはぶつかってでもその心に触れてきた。
一人で居る方が幸福だったのか、皆で居る方が幸福なのか、結果はヴィルにも分からない。
それでもこれが最善だと信じた道を、ヴィルはただ進み続けるだけだ。
例え目の前に居るクラスメイトの表情を、これ以上歪める事になっても。
「僕に教えてくれ!君が怠惰でないというのなら、ジャック・エリエクタスが恐れているものは、何だ!!」
「俺は――――!」
それまでは表面的な怒りやウィンスタント子爵への憎悪を募らせていたジャック。
しかしヴィルから強い感情をぶつけられた事で表層の感情は打ち砕かれ、深層からくる本当の感情を発露する。
「――俺は、人が信じられないんだ」
そうして引き出された本音は、耐え難い苦痛に耐え続けた、重苦しい声色で語られた。
伏せられた状態で窺えない表情は、きっと聖職者に告解する罪人のようだった。
「この力を手に入れてから、人の持つ影を見れるようになってから、ずっと。だってそうだろ?『影の木』は誰にでも存在する。善人も、悪人も、聖人みたいな奴にだって。でも、その影が何を表しているかだけは俺にも分からないんだ。隠したのか、盗んだのか、嘘を吐いたのか、殺したのか。そんな得体の知れない奴らの事を、どうして信じられるんだ」
ジャックとその他の人では世界の見え方が違う。
普通では見えない他人の影や裏の表情といったものを、ジャックだけはその存在を知覚出来てしまう。
生半可に知覚出来るが故に、彼は常に知らなくていいものを見てしまうのだ。
全てが理解出来る訳でも、真実を断定出来る訳でもない、ただ裏があるという事実だけが否応なく突き付けられる。
「笑ってる顔の奥に、言葉の裏に、隠された感情と欲が渦巻いてるんだ。クラスの連中も、教師も、貴族も、全員真っ黒の罪人だ。――だから、俺は誰も信じない。このクソみたいな世界が少しでもマシになるように罪人を裁き続ける。村を滅ぼした貴族も、お前も、俺が……!」
歯を食い縛って睨むジャックを見て、ヴィルは似ていると思った。
ヴィルは誰かを心の底から憎悪した事が無い、自分以外の誰かに何もかもを投げ出したくなるような怒りを抱いた事が無い。
それでも使命感と強迫観念に突き動かされ、歪んだ決意の炎を灯すその姿には覚えがあった。
――それは責任という名をした、自分で自分を縛る鎖だった。
「そうか、ジャックの行動の根底にあったのは『不信』だったんだね。ようやく君という人間を少しは理解出来た気がするよ。意固地になる理由も、納得がいく。その上で言わせてもらおう」
結論を告げる言葉にジャックが顔を上げ、変わらず目線を正面に向けていたヴィルと目が合う。
その目には、それまでは無かった確信が浮かんでいて――
「――君には僕は倒せないよ。人を信じられない、君には」
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