第215話 ジャックの影 一
――黒剣と銀剣が衝突し、至近距離で視線が交錯する。
剣身が噛み合った瞬間、火花が散り、互いの呼吸が届くほどの距離で二人の意識が正面からぶつかり合った。
「邪魔!すんじゃねえよ!!」
「学園とは随分違うんだね。本心を隠して……いたのは僕も同じか」
片方は激情を宿して、片方は静謐を湛えて、『黒煙』が二人を覆う。
舞台の幕が下ろされたように、周囲の光景が闇に呑まれていく。
炎の燃焼による煙ではない、ジャックの闇属性魔術による煙幕だ。
魔力を基にした『黒煙』は術者に効果を及ぼさない、一方的に外部の視界を遮り、戦いを有利に進めるジャックの得意魔術。
闇そのものを撒き散らすその魔術は、戦場に混乱をもたらす事を目的とした極めて実践的な魔術であった。
しかし、そんな『黒煙』の中でも剣戟の音は鳴り止まない。
闇に覆われる前と全く変わらない澄んだ音の響きに、ただの観客と化した義賊達は驚きを露わにしている。
絶え間無く響く高音は、ヴィルが視界を遮断される中でも十全に戦える事を示していた。
『第二視界領域』――魔術の評価項目の一つである有効範囲の広いヴィルは、通常の魔術師よりも広範囲の魔力の動きを鋭敏に捉える事が出来る。
対象が世界に存在するものである以上、位置が移動すればそれに従って魔力も移動する。
その魔力の動きを視る事で一定範囲における疑似的な第二の視界を実現する、それがクォントにも匹敵するヴィル固有の異能、『第二視界領域』である。
『黒煙』内での数秒間の応酬の後、ジャックも前回の戦いと合わせて目くらましが無意味である事を悟ったのか、濃密な闇は霧散した。
――しかしそれと同時に、ヴィルの上半身がぐらりと傾ぐ。
両者の距離は十分に離れており、暗器などを用いた直接攻撃の類いではない事が見て取れる。
であればその原因は、ジャックの魔術に他ならない。
だが、
(視界が回る。上下の感覚が狂う。『第二視界領域』が無ければ負けていたな)
「なっ……!」
反転する視界、上下逆さに立つジャックの表情が驚愕に彩られる。
繰り返す十の斬撃、その全てがヴィルの剣に弾かれる、防がれる。
傾いていたヴィルの上半身は元通りに、身体を温まってきたのか技の冴えはより輝きを増して、ジャックを追い詰めていく。
元より身体能力や剣力に差のある二人が拮抗していたのは、ジャックの闇属性魔術がヴィルの行動を妨害していたからだ。
その均衡が崩れた今、戦局は急速に傾き始めていた
眩暈を起こす『先見無明』、精神に直接痛みを与える『幻肢痛』、黒煙とは異なり個別の対象の視界を奪う『落天陽光』。
これらは初見の相手に絶対的な力を発揮するが、逆に言えば二度目以降、対処法を持つ相手には通じにくいという事でもある。
相手がヴィルであれば尚更、このまま続けてもいたずらに魔力と体力を消耗するだけだ。
そう判断したジャックは、早くも切り札を切る事を選択した。
「やはり潜るか。妥当だね」
その声音には一切の動揺が無かった。
ヴィルを睨むジャックが地面に、正確には影に沈んで消える。
三日前の戦いでも見せた、魔力によって広げた影の中に潜る正体不明の能力。
魔術にしては特異で、魔法にしては魔力が薄く、クォントや魔道具やアーティファクトにしてはジャックの魔力が馴染み過ぎている。
そんな魔力が蠢く影――『潜翠』が、ヴィルの立つ地面を含めて覆い尽くしていく。
しかし一度目では奇襲として通用したそれも、今や既知の技でしかない。
――見渡す限りの影の海、その中央、ヴィルは目を閉じて直立不動の体勢で佇んでいる。
一見無防備にも見えるその姿勢は、しかし一切の隙を晒してはいなかった。
視界を遮断して余計な情報を削ぎ落とし、聴覚と第六感を以て相手の気配を探る構え。
ヴィルの知覚は影の中に及ばない、だが敵意や殺気は感じ取る事が出来る。
例えそれが、影の中からのものであっても。
「殺気が駄々漏れだよジャック。それじゃ僕は倒せない」
その言葉は教師じみた指摘であり、図星を突く挑発だった。
影から飛び出してきた剣を柄で受け止め、ヴィルが不敵に笑う。
揺らぐ気配、ヴィルはその隙を見逃さず軸足に力を入れ、反対の脚でジャックの剣を思い切りに蹴り飛ばした。
くるくると宙を舞う剣は地面に突き刺さるかと思われたが、大地を覆う影が爆発的に更に広がり、剣は影へと沈んでいった。
無機質な影が生き物のように蠢き、剣を呑み込んでいく様子は不気味の一言。
剣が消えると同時、ヴィルはその場にしゃがんで右手を地面につく。
一瞬の静止、その間に魔力を練り上げ、集中させ、発勁の要領で一気に放つ。
解き放たれた魔力は瞬く間に影の内部を駆け巡り、やや遅れて影の海が波紋を広げる。
魔力による衝撃は内部にも伝わるのか、耐えかねたジャックが猛攻を仕掛けていく。
潜伏からの奇襲という一方的有利を捨ててでも攻勢に転じなければならない、そう追い詰められての判断だった。
絶えず散る火花、或いは剥き出しの殺気さえなければ剣舞の一幕にも見えるかもしれない。
ジャックによる影の中から繰り返し跳躍しながらの奇襲は予想がつかず、変幻自在の動きは実戦的で殺意混じりながらも見る者の目を惹く。
対するヴィルの剣技は流麗、駆け回りながら神出鬼没の剣を捌く姿は一枚の絵画のようで、圧倒的な技量の上に華がある。
息吐く間も無い剣戟の最中でありながら、ヴィルは以前から抱いていた疑問をジャックへとぶつけた。
「ジャック、君がウィンスタント子爵を狙う理由はおおよそ予想がつく。あの家は確証こそ無いけど黒い噂もあるし、何か過去に因縁があったんだろう。復讐の理由は正当なものなのかもしれない。それを阻もうとする僕に対して殺意を抱くのも不自然な事じゃない。だけど」
一層苛烈になるジャックの剣だが、気持ちが先行して動きに無理が出てきてしまっている。
焦燥が剣速を押し上げる一方で、精度が犠牲になっていた。
かえって精彩を欠く攻撃がヴィルに届く筈も無く、余裕の生まれたヴィルは更に言葉を紡ぐ。
「僕への憎悪だけは理解出来ない。それは道に立ち塞がる障害へ向けられたものではなく、僕自身へと向けられたものだ。こればかりは覚えが無い。少なくとも、最初に会った時はこうじゃなかった筈だ。気が付いた時には既に僕に対して憎しみを抱いていた。その理由を教えてくれないかな?」
怒り、或いは憎しみを抱いている相手に対して覚えが無いと真正面から伝える、これ程怒りを激化させる悪手もそう無いだろう。
実際ジャックの怒りはここで頂点に達し、影を裂くような踏み込みと共に、殺意が一点へと収束する。
ここまでの最高速まで加速して突進する刺突がヴィルの背に迫り――
「――捕まえた」
「ッッ!!」
納刀しながら振り返り、死角からの攻撃を躱すヴィル。
それだけではなく、剣を持った手首と肘を掴まれ、関節を固められた事でジャックが目を見開いて驚きを露わにする。
一連の流れは予測していたかのように滑らかなもので、一切の淀みが無かった。
ニヤリと口端を上げながら見下ろすヴィルと、関節が軋む痛みに脂汗を流しつつ睨むジャック。
次の瞬間、二人の姿が掻き消える。
エネルギー操作を活用した助走無し、ゼロ秒で至る最高速度での全力疾走。
「ぐううううぅぅぅぅ…………!」
呻き声は風に千切られ、まともに形にならない。
風すら置き去りにするような速度で駆けるヴィルのすぐ傍には、苦悶の表情を浮かべ苦鳴を零すジャックの姿があった。
ただでさえ自力で至る事の難しい速度での全力疾走に足が追い付かないというのに、関節を極められて無理矢理に並走させられているのだから、その損耗は相当なものだ。
付き合えば体力が底を突き、無理に抵抗すればたちまち利き腕の関節が真逆に折れ曲がる。
早急に手を打たなければジリ貧だと焦燥に駆られるジャックだったが、突如手を離され、蹴り上げられた事で我慢比べは終わりを迎えた。
防御の上からでも骨に響く重さがあり、受け止めた両腕が痺れて感覚を失いかける。
咄嗟に両腕で受けたお陰で直撃こそ逃れたものの、凄まじい威力で繰り出された蹴りの衝撃波は受け流せず、空中へと打ち上げられてしまう。
辺り一帯を見回せるような高高度、ひとまず難を逃れたと安堵したのも束の間、地上から跳び上がるヴィルが追撃を仕掛ける。
拳で、肘で、脚で、踵で、打つ打つ打つ、乱打する。
闇雲な攻撃ではなくその一撃一撃が明確な狙いを持ち、急所と体勢を削っていく。
どうにか防ごうと構えた剣は初手で落とされ、身体ごと回る視界でジャックは必死に防御を固め耐える。
だが足場の無い空中では踏ん張りも利かず、落下しながら一方的な攻撃が続く。
逃げる為の方向転換すら叶わず、ただ衝撃を受け止めるしかない。
痛覚によって一秒が異様に引き延ばされる時間の中、墜落の時が迫る。
延々と殴られ蹴られ続ける今の状況は紛れもない脅威だが、落下時の衝撃も無視は出来ない、もし満足に受け身も取れず落ちれば容易く命を落とすだろう。
もう幾許の猶予も無い、ジャックは攻撃をまともに喰らう覚悟を決めつつ、受け身を取る姿勢を固めて――
「――一人だけ逃れられるとは思わない事だよ」
「っ……お、前…………!」
完全に落下への対処に移っていたジャックの思考を、ヴィルの思わぬ行動が打ち砕く。
背後に回ったヴィルに首を絞められ、気道が圧迫される。
組み付かれた影響はそれだけに留まらず、着地に致命的な遅れが出てしまっていた。
首を絞められた状態での着地は現実的ではなく、ヴィルを振り払うには時間がなさ過ぎる。
決断は一瞬だった。
「――俺の見えてる景色を見せてやるよ。世界の醜さを、全部」
「ああ、是非見せてくれ。君の根源を」
真っ逆さまに墜ちる二人が、『潜翠』へと沈んでいく。
影は海のように波打ち広がっているが水ではない、飛沫が立つ事も大波を作る事も無く、穴に落ちるように音も無く消えていく。
最後の一閃を踏み超えて、ヴィルがジャックの闇を暴く。
影の底で二人の正義が衝突する――幕引きは、まだ先だ。
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