第209話 親善交流戦 銀華
Sクラス本隊の戦い決着から遡る事十分前。
サリア・クレベール=サリノアは、木の枝から枝へ跳び移りながら戦場を離れていた。
その手元には木製の弓、背には矢筒と矢が背負われており、彼女が弓兵である事を表している。
また、彼女は長耳族であった。
長耳族の名の後ろには=故郷の村の名前が付く事は有名な話だが、そうした知識が無ければサリアがそうだとは誰も分からなかっただろう。
と言うのも彼女の耳は尖っておらず丸い、普通の人間と区別のつかないものだったからだ。
戸籍の分類上では長耳族だがサリアはクウォーターエルフ(純粋な長耳族をエルフ、片親がエルフの場合ハーフエルフ、片親がハーフの場合クウォーターエルフと称し、それらをまとめてエルフとしている)で、外見に人間の血が強く出た場合人間と区別がつかないというのは、クウォーターのよく抱える悩みだった。
そんなサリアは外見にこそ長耳族の特徴が現れなかったものの、その技能には長耳族の特長がよく現れていた。
――それは弓術、自然に親しんだ彼女の祖先が獲得した、今や種族のイメージとして定着した技能だった。
サリアはそんな長耳族の中でも突出した弓の才を有しており、威力のみならず矢の隠密性についても優れているというのが周囲の評価。
魔術の研究が進むにつれて冷遇されていった弓という武器だが、弓兵達は矢に魔術を付与する事で威力の問題を解決してきた。
しかしそうすると魔力で探知され、弓の強みである隠密性が損なわれるという問題があり、結局弓は安価で使いやすいが魔術には劣るという評価に落ち着いたのが二千年前。
そして千六百年前に評価を覆したのが長耳族であり、サリアはその教えを受け継ぐものの一人だった。
(赤髪と青髪は仕留めた。出来れば銀髪も仕留めたかったけど居なかったな……アステローゼ様が聴き間違えたとは考えにくいけど)
サリアは戦場全域を掌握するアステローゼの指示でトーリィ達の戦場へ介入していた。
標的は指折りの実力者であるバレンシアと、あらゆる負傷を瞬時に癒すというアンナ、そしてアルケミア学園代表を務めていたヴィルの三人。
最後の一人だけは残念ながら見つける事が出来なかったが、標的の内二人は仕留めた、その感触があった。
弓から放ち手元を張れた矢に感触というのも変な話かもしれないが、魔力を纏わせた事により矢の軌道や射抜いた感触を僅かではあるが感じられるようになったのは、弓術が進化した恩恵と言えよう。
そうして目標を達成したサリアは戦場を離脱し、次なる戦場へと向かっている、その時だった。
「ッ…………!」
薄く研ぎ澄まされた殺気に気が付けたのは、森と獣と共に在る長耳族故か。
なりふり構わず跳躍したサリアは、つい先程まで自分が居た位置を剣閃が走ったのを目撃した。
寸前まで全く気配を悟らせなかった恐るべき手合い、彼女の本能はすぐに反撃では無く逃走を選択した。
正面を向いて木々を駆けるサリア、その薄緑の目に焼き付いていたのは陽光を返す銀髪。
姿の見えなかったヴィル・マクラーレンが、逆に奇襲を仕掛けてきたのだ。
「なんでこんなタイミングで……!大体位置だってバレるようなヘマ……」
弓兵、特に森の中での戦闘を得意とする長耳族にとって、矢の軌道から位置を悟らせない技術、本人の隠形などは初歩の技術として数えられている。
サリアは弓術のみならず隠形技術についても高く評価され、彼女も自信を持っていたのだが、今回自慢の隠形を破られた事でその自身も揺らいでいた。
枝と枝とを高速で渡り跳ぶサリアと、彼女に変わらぬ速度で追従するヴィル。
退路を悟られないようジグザグに、見失う事を祈って上下に高低差を作って逃げるがどうしても振り切れない。
一瞬振り返って弓で反撃……そんな思考が脳裏を過らなかった訳では無い。
だが充分な溜めも無く、姿を視認された状態からの射撃が通じる相手とも思えず、サリアは反撃したい気持ちを必死に押し殺してただひたすらに逃走を選択していた。
そうしてどれだけ逃げ続けただろうか、いつの間にか追い縋る気配が消えていた。
「……………………」
足を止め、警戒心はそのままに耳を澄ます。
森の声を聴く、というと少し不思議な印象を持たれるかもしれないが、実際その行為は役に立つ。
風以外の要因で鳴った木や葉はすぐにそれと分かるし、風そのものも高速で動く物体があれば乱れが生じ耳に伝わる。
形こそ普通の人間と変わらないサリアの耳だが、その性能はエルフのものとも一線を画していた。
(人の気配は……無い。見失って追うのを諦めた?けど万が一もあるかもだし……)
サリアはアステローゼから、有事の際は独り言で報告をするよう命令されていた。
アステローゼの探知範囲は広大だ、この森一つ程度であれば人の呟きを聞き逃す事は無い。
サリアはアステローゼの位置を誰にも悟られないよう、報告する手段を知らされていた。
(報告内容は標的二人を仕留めた事と、ヴィルを仕留め損ねて追われた事。後は次の指示)
指示を完遂出来なかった事を咎められるだろうか、と一瞬逡巡して、すぐに首を振って思い直す。
もし報告しなければその事こそを咎められるだろう、ここは正直に事実を伝えるべきだと。
そうして意を決し、サリアは口を開いて――
「ぶ――――」
口から出たのは声では無く血、信じられない量の血を吐いて、サリアは最初痛みでは無く驚きを覚えた。
そこからぐらぐらと頭が揺れて意識が保てなくなっていき、彼女の身体が木から落ちる。
身体が地面に落ちた時には、とうにサリアの意識は闇に飲まれていた。
―――――
(報告される前にはやれたか。近くに誰かいる感じは無かったから念話か、或いはフェローの『順風耳』のように遠くの音を拾う魔術か。いずれにせよあまり意味は無さそうかな)
恐るべき技量を持つ少女の首を気配を消して掻き斬り、敵戦力を一人削る事に成功したヴィルは思考の中でそう結論付けた。
アルケミア側が不利な戦いを強いられたのは、地力の差が理由ではないと考えている。
その根拠は度々遠方から照射される可聴域を超えた音波、恐らくアステローゼかそのクラスメイトが発しているだろう魔術。
所謂反響定位という技術で、ローゼン・クレーネ側は戦場の状況を把握し、事前情報などから自分達が優位に立てるよう的確な人材をぶつけているのだ。
何故ヴィルが可聴域に無い音を感知できたのか、それはヴィルもまた出力こそ低いもののエネルギー操作を使った反響定位を扱うからだ。
そうでもなければ、音を使った戦場操作に気付く事は出来なかっただろう。
耳を澄ませる、とは言葉通りの意味では無く、魔術で感受性を強化した結果だが、耳を澄ませると微かに空気が振動しているのが分かった。
発生源はそう遠くない、ヴィルは地面へと降り、木々の間を縫うようにして発生源へと近付いて行く。
段々と音が大きくなっていき、そうして辿り着いた場所には――
「ぐ……くぅ…………」
「…………」
「本当に、呆れるくらい頑丈な方。もう内側もぐちゃぐちゃになっているでしょうに」
細剣を突き付けつつ呆れ声を出すアステローゼと、両膝と片手を地面に突き息も絶え絶えになっているカストール、そして地面に倒れ伏し意識の無いローラがそこには居た。
そこは人の手の入っていない山中であるにも拘らず、周囲を土属性魔術で作られたと思しき建造物が鎮座しており、さながら城といった所か。
二人と一緒に居る筈のフェローが居ない事に気が付き、不測の事態かと考えたのもつかの間、アステローゼの視線がヴィルへと向けられる。
ヴィルはこの時点ではまだ隠形を切っておらず木の裏に隠れていた、にも拘らず気付かれたという事実は一つの答えを指し示す。
即ちアステローゼこそが音を駆使して戦況を操っていた、戦場の支配者。
ヴィルはそれ以上隠れている意味を認めず、声を掛けられる前に自分から姿を見せた。
もしかしたらまだバレていないかも、そんな淡い期待を抱いていれば、今アステローゼが浮かべている薄い笑みは落胆へと変わっていたかもしれない。
「これはヴィル様。このような場所で会うとは偶然ですわね。それとも私に会いにいらしたのでしょうか。生憎と満足に歓迎も出来ないのですが……」
「お構いなく。実を言うと、私はアステローゼ様に会いにこの場に来た訳では無いのですよ。もっとも、私が会いたかった人物は結局アステローゼ様だったようですが」
「と、言うと?」
「あなたですね?戦場に音をばら撒き戦況を操っていたのは」
「――へぇ。私の『反音響界』が気取られたのはあなたが初めてです。本当に規格外で面白い。だからこそ目障りな訳ですが」
そう呟き、アステローゼが身体ごとヴィルへと向き直る。
その手に握られた細剣は油断無くヴィルに向けられており、彼女のヴィルへの警戒度合いが窺える。
しかし警戒しているのはヴィルも同じ事、視線を固定したまま足は弧を描くように、アステローゼとの距離を保ったままカストールとローラの下へと近付いて行く。
「大丈夫かいカストール。立てる?」
「ごふっ……ごぶっ……面目ないが…………」
「分かった。もうすぐアンナ達が来る筈だ。それまでローラを連れて下がっていて」
「ヴィル、音だ。音に、気を付けよ」
「ああ、ありがとう」
ヴィルはアステローゼへと向き直り、剣を抜き放ち手から下げるように構える。
アステローゼは変わらずヴィルを見つめたまま、薄い笑みをほんの僅かに深めた。
――王国代表と帝国代表、両学園の最強が今激突する。
「しっ」
先手を取りに行ったのはヴィル、有力な遠距離攻撃を持たない彼にとって、何より障害となるのは彼我の距離。
アステローゼが扱う魔術が音に関するものである以上、相手に狙いを付けられないよう弧を描いたりジグザグに距離を詰めるのは得策とは言えない。
故の直進、ヴィルにとって唯一にして最善の一手。
「では小手調べと行きましょうか」
対するアステローゼの手札は豊富で、遠近の縛りに囚われない。
ヴィルが接近戦に絶対の自信を持っている以上、相手に距離を詰められないよう立ち回るのが最善なのだろうが、頑なに相手の土俵に立つ事を嫌う姿勢を見せるのは皇族としての沽券に関わる。
故の小手調べ、アステローゼにとっては無数にある選択肢、その一手。
細剣が振るわれた際の風切り音が増幅され、飛翔する斬撃と化してヴィルを襲う。
二度三度と立て続けに放たれる斬撃を、ヴィルは体捌きのみでのらりくらりと躱し、ほぼ速度を損なわないままに剣の切っ先をアステローゼへと届かせた。
ヴィルは全力疾走、斬撃の速度は十分驚異的ながら距離を詰め切った彼の技量は驚愕に値するものだったが、至近距離で痛い目を見たカストールにとって、その行動は迂闊としか言いようが無い。
「『聖円反心響』」
案の定カストールとアンナをほぼ一撃で戦闘不能に陥らせた音の魔術が、アステローゼを中心に正円状に放たれた。
鼓膜から脳を、体表から内臓を、空間ごと魔力を狂わせる不協和音を発生させる大魔術。
カストールの『身体硬化』すら貫通した威力を誇る音撃は文字通り音速でヴィルに直撃し、その身体がびくりと大きく震える。
そのまま地面に倒れ込むヴィルの姿を幻視したカストールは言わんこっちゃないと唇を噛むが、次の瞬間目に飛び込んで来たのは予想だにしない光景だった。
「おや」
意外そうな声を零したアステローゼが微かに上体を仰け反らせ、すれすれの位置をヴィルの横薙ぎが駆け抜ける。
続けて牽制の突きと縦振りを挟み、本命の蹴りがアステローゼを吹き飛ばす。
数メートルの後退を余儀なくされたアステローゼは、直前の蹴りを辛うじて細剣の鍔で受けていたが、その表情は既に驚きではなく興味深いものを見る目に変わっていた。
「まさか今のを完全に防いだばかりか反撃を許すとは。私の目にはまともに受けたように見えたのですが、一体どういう原理なのですか?」
「語って聞かせる気はありませんよ。知りたいのであればこの戦いで見事見切ってみて下さい。それから一つ訂正を。残念ながら今の魔術は完全には無効化出来ませんでした」
「そのようですね。どうやら自信を無くさずに済みそうです」
隙の無い立ち姿を見せるヴィルだったが、その内側は見た目程無事に済んではいない。
振動はヴィルのエネルギー操作による防御を貫通し、内臓や筋肉に少なくないダメージを与えていた。
それでもアステローゼに蹴りまで繰り出す事が出来たのは、音の影響を一部とはいえ軽減する事に成功していたからだ。
しかし出来たのはそこまでで、追撃をする余力は無く、肉体の痙攣を抑えるのに数秒を要した。
これはアステローゼが吹き飛ばされて、体勢を整えるのに要した時間とほぼ同じ。
「それにしても面白い。その術理、暴かせてもらいますわ」
「ご自由に。アステローゼ様の慧眼がこちらに届く前に、私達の剣があなた様に届くでしょうから」
ヴィルの発言に眉を顰め、アステローゼがヴィルを迎え撃つために切っていた索敵用魔術『反音響界』を発動し直す。
その結果は、魔術のみならず肉眼でももたらされた。
――周囲にはバレンシアやフェローを始めとした、アルケミア学園の生徒達が続々と集まって来る。
殆ど欠ける事無く集う敵の姿に、さしものアステローゼも心中穏やかには居られない。
彼女は自らの音魔術と事前に集めさせた情報から、自分達に有利になるように差配し戦場を支配していた。
完勝とはいかないまでも、最終盤で優勢を保つのは確実だと見積もっていた。
しかし現実は真逆、人数的に圧倒的な劣勢を強いられ、いつの間にか孤立無援になっているではないか。
負傷や疲労も散見されるが、アルケミアにはアンナが居る為、その問題も瞬時に解決される。
「なるほど。確かにこれだけ数を揃えればまぐれでも届くかもしれませんね」
「ナ~ニそのヤな言い方。こんだけ戦力差があんだから素直に降参したら?」
あくまで余裕の笑みを崩さないアステローゼに、クレアが降伏勧告を行う。
その口調は不敬罪に問われかねないものだったが、この場に咎める者は居なかった。
「降参、ですか。私の戦場に降伏はあり得ません。いずれかの陣営の最後の一人が倒れるまで、この戦いは終わりませんわ」
毅然とした態度は一見、倒れた同胞に報いる為の死闘に身を投じる情に厚い指揮官のようにも思える。
だが何故だろうか、どう考えても覆し得ない戦況にも拘らず、アステローゼの瞳に勝利への確信があるように思えてならないのは。
仲間が残した土の城を背景に、絶対優位のアルケミアと単独のアステローゼが相対し、親善交流戦の最終決戦が幕を開けた。
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