武人の旅立ち
東の超大国『中華国』を丸ごと買い取るという、前代未聞の敵対的買収から数ヶ月。
辺境伯領は、莫大な東のインフラと資金を吸収し、かつてないほどの繁栄と平和を謳歌していた。
領内の脅威が完全に去ったある日のこと。
辺境伯邸の大広間に一族が集められ、当主レオンハルトから重大な発表が行われた。
「うむ!皆に集まってもらったのは他でもない、東の覇王も大人しくなり、我が領地は盤石となった! わしもそろそろ前線を退き、セレスティアと共に隠居して、悠々自適な筋肉トレーニング生活に入ろうと思う!」
豪快に笑うレオンハルトは、玉座から立ち上がると、長男であるジークを見据えた。
「というわけでジークよ。次期辺境伯の座は、長男であるお前に譲る! これからはお前がこの広大な領地をその力でまとめていくのだ!」
だが、その言葉を受けたジークは、腕を組んだまま全く動じることなく、短く首を横に振った。
「親父。その話だが……俺は辺境伯にはならない。爵位は放棄する」
「……ほう?」
レオンハルトが目を細め、広間が水を打ったように静まり返る。
「長男としての権利を捨てるというのか。理由を聞こうか」
ジークは組んでいた腕を解き、真っ直ぐな瞳で傍らに立つ弟――クロードを指差した。
「簡単なことだ。俺は領主という『器』じゃない。俺ができるのは大砲をへし折り、山を割ることだけだ。だが、これだけ巨大化した領地と経済を回していくには、書類の山と格闘できる冷徹な頭脳が必要になる」
「兄上……」
クロードが僅かに目を見開く。
「それに」と、ジークはクロードの隣に立つミラを見て、ニッと人の良い笑みを浮かべた。
「クロードにはミラという最高の妻がいる。あいつらなら、いずれ知略と武力を兼ね備えた最強の後継ぎを作ってくれるだろう。俺のような戦いしか知らない男が玉座に座るより、クロードに爵位を譲るのが、辺境伯家にとって最も『合理的』な判断だ」
ジークの言葉には、一片の未練もなかった。
己の役割と限界を完全に理解し、弟の能力を誰よりも高く評価しているからこその、清々しいまでの固辞だった。
「……なるほど、筋は通っているな」
レオンハルトは深く頷き、ニヤリと笑った。
「ならば問おう、ジーク。領主の座を捨てて、お前はこれからどうするつもりだ?」
ジークは待ってましたとばかりに、背中に背負った愛用の大槍をドンッと床に突き立てた。
その瞳の奥には、東の帝国を平定してなお、全く衰えることのない純粋な闘争の炎が燃え盛っていた。
「冒険者になる」
「冒険者、だと?」
「ああ。世界は広い。東の帝国を越えた先、あるいは海の向こうの未知の領域には、俺の血を滾らせるような『強え奴』や『見たこともない魔獣』がまだまだいるはずだ。俺は旅に出て、そいつらと戦いたい!」
地位も名誉も財産もいらない。ただ己の肉体と槍一本で、世界中の強者と死闘を繰り広げたい。
それが、最強の武人ジーク・ヴァン・レオンハルトの出した答えだった。
「……ガッハッハッハッハ!!」
レオンハルトの腹の底からの大笑いが、大広間を揺らす。
「それでこそ我が息子! 地位に縛られず、己の強さのみを求めて荒野を往くか! よかろう、ジーク! お前の旅立ちを、辺境伯家当主として許す!!」
数日後。辺境伯領の巨大な城門の前。
旅の外套を羽織り、巨大な槍と少しの荷物だけを背負ったジークを見送るため、辺境伯一族が立っていた。
「……全く。兄上らしい豪快な決断ですね。おかげで俺は、新婚早々から領主として書類仕事に忙殺されることになりましたよ」
クロードが眼鏡を押し上げながら、やれやれとため息をつく。
「ははっ、悪いなクロード! だが、お前ならこの世界の経済を丸ごと支配できるさ。ミラのことも、よろしく頼むぞ」
ジークが笑いながら弟の肩をバシバシと叩く。その遠慮のない力強さに、クロードは顔をしかめながらも、どこか嬉しそうに口角を上げた。
「ジーク兄様、体に気をつけてね。はい、これ」
セリアは薬品の小瓶の束を差し出す。
「私特製の『超回復薬』よ。あなたの事だから心配してないけど、無茶して死なないでね」
「ああ、ありがたくもらっておく! セリアもミラも、クロードの背中をしっかり守ってやってくれ!」
ジークは皆に背を向け、大きく手を振った。
春の温かい風が、彼の外套を大きく揺らす。
「じゃあな! 俺は俺の戦いを見つけてくる!!」
振り返ることなく、最強の脳筋武人は真っ直ぐに地平線の彼方へと歩き出した。
彼が歩む先には広大な未知の世界が広がっている。
(待っていろ、世界の強者ども。俺が今から、全員ぶっ飛ばしに行ってやる!)
知略と経済で平和と繁栄を得た辺境伯家の物語は、ここに一つの結末を迎えた。
そして舞台は、己の肉体と槍一本で世界の果てを目指す、長男ジークの痛快にして豪快な『冒険譚』へと、新たな幕を開けるのであった――。
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