鉄路の簒奪
東の超大国『中華国』から西の大陸へ向けて、漆黒の煙を吐き出しながら伸びる巨大な近代インフラ――「大陸横断鉄道」。
しかし、その最前線である辺境の渓谷地帯で、鉄道建設は完全に頓挫していた。
「……どういうことだ。なぜこれ以上、レールを敷けない!」
現場を指揮する帝国の将軍が、天幕の中で怒声を張り上げた。
「は、はいっ! 予定ルート上に存在する『水源』と『鉄鉱石の採掘権』を、西のダミー商会にすべて買い占められておりまして……!」
技師が青ざめた顔で報告する。
「蒸気機関車を走らせるには、中継地点での莫大な水の補給が不可欠です。しかし、商会は水源の通行料として、現在の国家予算の『三倍』を要求してきており……迂回しようにも、渓谷の地盤調査の権利すら、すでに彼らの手に……」
将軍はギリッと歯を食いしばった。
蒸気機関という巨大な近代技術を運用するには、水と石炭のサプライチェーン(補給網)が生命線となる。
その急所を、参謀クロードは王国の豊富な資金力を背景に、合法的な「不動産と権利の買収」によって完璧に締め上げていたのだ。帝国は今、前進することも撤退することもできず、ただ毎日天文学的な維持費(赤字)を垂れ流すだけの状態に陥っていた。
「……ええい、小賢しい西の蛮族どもめ! 権利書など紙切れに過ぎん!」
将軍はついに実力行使を決断した。
「我が国が誇る最新鋭の『蒸気装甲列車』を出せ! 砲撃で渓谷一帯を吹き飛ばし、強引にレールを敷いて前進する! 立ち塞がる者は大砲の餌食にしてくれるわ!」
数日後。
切り立った絶壁が続く『大蛇の渓谷』。
その谷底に敷かれたばかりの真新しいレールの上を、凄まじい轟音と黒煙を上げて、帝国の巨大な蒸気装甲列車が突き進んでいた。
先頭車両には分厚い鋼鉄の排障器が備えられ、後続の貨車には無数の大砲がハリネズミのように搭載されている。それはまさに、陸を走る鋼鉄の要塞だった。
「見ろ、あの分厚い鋼鉄の装甲を」
渓谷の遥か上、崖の頂からその威容を見下ろしていた長男ジークが、鋭い視線を落とした。
「どんな大剣も槍も弾き返す、完璧な物理防御ね。それに、あんな遠距離から大砲を撃たれたら、いくら私たちでも近づく前に蜂の巣だわ」
軍装に身を包んだミラが、背中の大剣を抜き放ちながら静かに笑う。
「だからこそ、クロードは言っていた。真正面から叩く必要はないと」
「ええ。機関車がどれだけ頑丈でも、それが走る『地面』はただの岩だものね」
魔法がない世界において、列車の弱点は明確である。
「レール」という物理的な誘導路に依存しなければ、一歩も前に進めないという絶対的な構造的欠陥だ。
「行くぞ、ミラ!」
「ええっ!!」
二人は絶壁の頂から、谷底のレールに向かって一気に跳躍した。
自由落下の加速度。そして、辺境伯一家が極限まで鍛え上げた規格外の身体操作。
機関車の運転席で前方を見張っていた帝国の兵士は、上空から二つの影が降ってくるのに気づいた。
「て、敵襲!? 上空から……!」
「馬鹿め、この鋼鉄の装甲は絶対に貫けはしない! そのまま轢き潰せ!」
将軍が冷酷に命令を下す。
だが、ミラとジークの狙いは、機関車そのものではなかった。
二人は機関車の数十メートル前方の「レールが敷かれた岩盤」に着地するや否や、全身のバネと落下の運動エネルギーを極限まで圧縮し、己の得物を足元の『地面』へと深々と突き立てた。
「穿てェェェェッ!!」
ジークの剛槍と、ミラの巨大な大剣。
二つの規格外の物理的衝撃波が、岩盤の断層を正確に打ち抜いた。
魔法ではない。純粋な物理法則に基づく、極大の運動エネルギーの伝達。
ドドドドォォォォォォォンッ!!!
大地が悲鳴を上げた。
機関車の装甲がどれほど強固であろうと、数百トンの車体を支える地盤そのものが崩壊しては意味をなさない。
レールの敷かれていた岩盤が、まるでビスケットのように砕け散り、巨大なクレバスとなって口を開けたのだ。
「なっ……地面が……!?」
将軍の絶叫が轟音に掻き消される。
「ブレーキだ! 逆噴射ぁぁ!!」
運転士が死に物狂いでレバーを引くが、数百トンの質量を持つ装甲列車の慣性が、急に止まるはずもない。
摩擦火花を散らしながら、蒸気装甲列車は崩落した岩盤の穴へと、頭から真っ逆さまに突っ込んでいった。
凄まじい金属の拉滅音。
自重と落下の衝撃によって、最新鋭の装甲列車は自らの車体を押し潰し合い、無惨な鉄屑の塊となって谷底の底深くへと沈んでいった。大砲を一発も撃つことなく。
「……素晴らしい。見事だ」
渓谷を見下ろす安全な高台に設営された前線司令部。
望遠鏡で谷底の惨状を確認したクロードは、満足げに手元の分厚い計算書にペンを走らせていた。
「装甲列車の建造費、失われた石炭と弾薬、そして補給線の完全な分断……。これで東の覇王の国家予算の約15%が、文字通り谷底へ消えた計算になります」
そこへ、土煙を払うこともなく、ミラが上機嫌で司令部のテントへと戻ってきた。
「ただいま、クロード! 予定通り、綺麗に脱線させてやったわ!」
「おかえり、ミラ。怪我はないようだな」
クロードは立ち上がり、完璧に任務を遂行した妻の頬の泥を、自らのハンカチで優しく拭い取った。
「ええ、大したことないわ。でも、やっぱりあんな巨大な鉄の塊が動くなんて、東の国の技術も侮れないわね」
「だからこそ、彼らの投資をこうして無価値化させる意味がある。インフラの近代化を力技で進めれば、ひとたび物流が停止した際の経済的ダメージは致命傷になるからな」
クロードはハンカチをしまい、冷徹な参謀の顔から、一人の夫としての穏やかな顔へと表情を和らげた。
「君と兄上が物理的な障害を排除してくれたおかげで、帝国のインフラ債券は明日、世界中の市場で紙屑となる。……さあ、彼らが完全に破産する前に、次の戦いの準備を始めようか」
東の大陸への侵攻という、過酷にして極悪なハネムーン。
武力と知略を完璧な精度で噛み合わせた辺境伯一家の反撃は、帝国の誇る近代化の象徴を物理的に粉砕し、圧倒的な優位性をもって第一歩を踏み出したのである。
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