春と冬
辺境伯領の深緑に包まれた大聖堂。
澄み切った初夏の青空の下、西の王国のオズワルド王をはじめとする要人たちを招き、次男クロードとミラの結婚式が厳かに執り行われていた。
ステンドグラスの光を浴びて祭壇へと歩み寄る花嫁の姿に、クロードは静かに息を呑んだ。
長女セリアが編んだ真珠のような光沢を放つ特製の純白ドレス。それは同時に、いかなる凶刃をも防ぐ強靭な防刃繊維で織り上げられている。いついかなる時も死線と隣り合わせにある辺境伯家にとって、それは不吉な意味ではなく、互いの命を絶対に守り抜くという確固たる意志の象徴だった。
祭壇の前。静寂に包まれた堂内で、二人は向き合う。
「……私、クロード・ヴァン・レオンハルトは、ミラを生涯の伴侶とし、君の歩む道からあらゆる理不尽と脅威を退け、その未来を私の知略のすべてを懸けて守り抜くことを誓う」
「私、ミラは、クロードを生涯の伴侶とし、あなたの知略と命を脅かすあらゆる外敵に対し、私が誰よりも先陣を切り、その剣となってあなたの道を切り拓くことを誓います」
それは、甘い言葉で飾られた誓いではない。知略を司る者と、武力を司る者。背中を預け合い、過酷な世界を共に生き抜くための、生涯をかけた盟約だった。
誓いの口づけが交わされた瞬間、堂内は温かく、そして割れるような祝福の拍手に包まれる。
最前列では、ミラの父キースと母ルイーザが静かに目頭を押さえていた。
その隣で、長男ジークは少しも曇りのない、真っ直ぐで清々しい笑顔を二人に向けている。戦友として、そして家族として、彼らの門出を心から祝福するその姿に、クロードは静かな敬意と共に深く頭を下げた。
式は、これまでの過酷な闘争が嘘のように、穏やかな平和の中に幕を閉じた。
――だが、その平和が長くは続かないことを、クロードは誰よりも理解していた。
同日の夜。
披露宴の喧騒から離れた辺境伯邸の執務室。
クロードが新郎の夜会服のまま、薄暗い部屋で一人グラスを傾けていると、音もなく扉が開き、キースが姿を現した。
ミラの父であり、辺境伯家の最大の諜報網を束ねる男の顔に、宴の熱気は微塵も残っていない。極度の緊張感を纏ったその佇まいに、クロードはグラスを置いた。
「……義父上。東の動きですか」
「ああ。……覇王マオ・キンが、ついに動いた。それも、我々の想定を遥かに超える規模でだ」
キースは、厳重に封印された筒の中から一枚の地図と分厚い報告書を取り出し、デスクに広げた。
これまでの東の超大国『中華国』は、辺境伯一家へのトラウマから、代理戦争や経済的な揺さぶりなど、間接的な手段に終始していた。しかし、報告書に記されていたのは、恐怖を乗り越え、国家の存亡を懸けたマオ・キンの「狂気とも言える決断」だった。
「……蒸気機関、そして大陸を横断する『鉄道』ですか」
報告書に目を通したクロードの瞳が、剣呑な光を帯びる。
「そうだ。奴らは莫大な国家予算と労働力を投じ、全土のインフラを近代化させている。さらに東の海では、鋼鉄の装甲を纏った『巨大装甲艦』の建造が確認された」
キースは地図上の、西の大陸へと伸びる不気味な黒い線(鉄路の予定地)を指差した。
覇王マオ・キンは「産業と科学」という暴力的な力に手を出したのだ。
規格外の身体能力を持つ辺境伯一家といえど、生身の人間である。機関車によって無尽蔵に運ばれてくる数十万の軍勢。そして、剣の届かない遥か遠方から放たれる、鋼鉄の艦隊と大砲の雨。
これは、個人の武力が戦況を左右した時代の終焉を意味していた。
「奴らの狙いは明白だ。鉄の道と装甲艦隊で西の大陸を完全に包囲し、圧倒的な物量と長距離火力によって、我々を安全圏からすり潰すつもりだ」
キースの声が、重く執務室に響く。
「……見事な判断です。恐怖に屈せず、時代のパラダイムシフトを引き起こすことで我々を打倒しようというのなら、覇王の名に恥じぬ見事な一手」
クロードは報告書を静かに閉じた。
「しかし、急激な近代化は必ず国家の経済に致命的な負荷をかける。鉄と石炭を確保するためのサプライチェーン、膨大なインフラ債券、そして労働者の軋轢……。付け入る隙は、山ほどあります」
その時、執務室の扉が静かに開いた。
そこに立っていたのは、ウェディングドレスから、機動性の高い実戦用の軍装へと着替えたミラだった。背中には、彼女の半身とも言える大剣が静かに鞘に収まっている。
「……風向きが変わったわね、クロード」
ミラは静かな足取りで夫の隣に立ち、デスクの上の地図を見下ろした。
そこに新婦の甘さはなく、ただ一人の冷徹な戦士としての覚悟があった。
「ああ。どうやら、新婚旅行は少し過酷な旅になりそうだ」
クロードは地図上の東の帝都に駒を置き、冷酷な参謀の顔で告げた。
「敵が巨大な鉄の道でこちらへ攻め入るというのなら、我々はそのレールの上を辿り、奴らの心臓部へ直接『死』を運ぶまで。……大砲の射程外から経済と兵站を破壊し、あの国のインフラを丸ごと借金の海に沈めてやる」
「あなたは道筋を作って。物理的な障害は、私がすべて断ち切るわ」
ミラはクロードの手を、力強く握りしめた。
大砲と鉄路という近代の暴力に対し、法律と経済、そして極限まで鍛え抜かれた個の武力が真正面から激突する。
辺境伯一家と東の覇王による、大陸の命運を懸けた真の最終戦争が、この静寂の夜を境に、いよいよ幕を開けようとしていた。
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