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完璧令嬢の辺境開拓記〜私を捨てた王太子が国を傾けている間、私は辺境を世界一豊かな地にし、私は運命の人と世界一幸せになります〜  作者: 虹の箸
辺境伯流スローライフ

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薄氷の勝利

吹き荒れる吹雪が、領主の館の分厚い窓ガラスを容赦なく叩きつけていた。

暖炉の火が爆ぜる薄暗い執務室で、次男・クロードは血走った目で帳簿と為替の報告書を睨みつけていた。疲労で頬はこけ、指先は微かに震えている。

「……神聖国め。完全に我々の息の根を止めに来ましたね」

ひび割れた唇から絞り出すように呟いたクロードの前に、重い足音を響かせて当主レオンハルトと長男ジークが入ってきた。二人の防寒具は酷く裂け、赤黒い血と泥に塗れている。

「親父殿、南の穀倉地帯を狙った偽装傭兵団はあらかた片付けた。……だが、第二倉庫が火矢を浴びた。備蓄の三割が灰だ」

ジークが槍を壁に立てかけながら、苦々しく吐き捨てる。レオンハルトも無言で頷き、傷ついた腕の止血帯をきつく締め直した。叔母のルイーザや従妹のミラも、前線で国境線を死守しているはずだ。辺境の過酷な冬の中、物理的な力だけで守り切れる限界が近づいていた。

「これで冬を越すための麦が完全に足りなくなりました」

クロードが重苦しい事実を口にする。

「神聖国の筆頭財務卿、ルキウス・ヴァン・アーデルハイト。奴は西側諸国の小麦の先物を、ダミー商会を使って徹底的に買い占めました。我々が周辺国から買おうにも、そこまでの余裕もなく。……それだけではありません。奴らは我が辺境伯家の資金を枯渇させるため、意図的に市場価格を吊り上げ、我々に『追加の担保』を求めてきています」

神聖国は武力ではなく、圧倒的な資金力による「兵糧攻め」を仕掛けてきたのだ。

あと数日以内に莫大な違約金を払うか、法外な高値で小麦を買わなければ、辺境伯領はデフォルト(債務不履行)に陥る。そうなれば、同盟国である王国オズワルド王でさえ、国際法上、辺境伯家を庇うことはできない。合法的に領地を解体され、神聖国に飲み込まれる。

「……打つ手はないのか、クロード」

レオンハルトの絞り出すような問いに、クロードは沈黙した。経済という戦場において、手元の弾(資金と麦)が尽きれば、どんな天才的な知略も無力だ。

「いいえ。勝機は、ほんのわずかですが残っていますわ」

静かな声が響いた。

部屋の奥、影に包まれたソファから立ち上がったのは、母・セレスティアだった。彼女の顔にいつもの穏やかな微笑みはない。氷のように冷たく、底知れぬ覚悟を秘めた双眸が、地図上の「東」をじっと見据えていた。

「敵は国庫を担保に、限界までレバレッジをかけて買い占めを行っています。つまり、価格が暴落すれば、奴らは逆に莫大な借金を背負って破滅する。……クロード。今この瞬間、神聖国の全保有量を超える『空売り』を仕掛けなさい」

「なっ……母上、正気ですか!?」

クロードが弾かれたように立ち上がる。

「空売りとは『後で必ず小麦を調達して渡す』という契約です! 暴落させるだけの莫大な小麦を、期限の三日後までにどこから調達するというのですか! 万が一調達できなければ、我々は今度こそ一族もろとも死に絶えます!」

「調達の目処はついています。……キースが命を懸けて、今、運んできていますわ」

セレスティアの言葉に、クロードは息を呑んだ。

暗殺者上がりの工作員・キース。彼がここ数週間、姿を見せなかった理由。

「まさか……東の『中華国』ですか?」

「ええ。前回の戦いで、あの大国の覇王マオ・キンには、私が直接『手紙』を書きました。もし我が辺境伯領が飢えで滅びるようなことがあれば、最後の足掻きとして、一族の全戦力を以て中華国の帝都を火の海にし、あなたを地獄の底まで道連れにする……と」

外交という名の、国家間の極限の恐喝。

トラウマを抱える覇王の恐怖心と生存本能を逆手に取り、帝国の国家備蓄を根こそぎ「超・低価格」で吐き出させるという、薄氷を踏むような盤外戦術。だが、海が荒れるこの季節、巨大な輸送船団が予定通りに到着する保証などどこにもない。

「母上……それは、あまりにも賭けが…過ぎます」

「ええ。ですが、辺境で生き残るということは、そういうことでしょう?」

セレスティアの揺るぎない眼差しに、レオンハルトが大剣の柄を強く握りしめた。

「……やれ、クロード。俺とジークは、何があっても港までの輸送路を死守する。神聖国の妨害工作員が何百人来ようと、麦の一粒たりとも触れさせん」

「……分かりました。地獄の底まで付き合います」

クロードは決死の覚悟で、空売りの指示書にサインを走らせた。

三日後。市場の決済期限の朝。

神都の豪奢な執務室で、財務卿ルキウスは勝利の美酒に酔っていた。

「間もなく開場だ。辺境伯家は追証を払えず破産し、あの忌まわしい領地は我が神聖国のものとなる」

だが、開場を告げる鐘が鳴り響いた直後。

飛び込んできた部下の顔は、恐怖で蒼白に染まっていた。

「る、ルキウス様! 暴落です! 小麦の価格が、突如として十分の一以下に大暴落しました!!」

「なんだと!? 馬鹿な、市場に小麦など出回っているはずがない!」

「そ、それが……東の海から、中華国の国旗を掲げた数百隻もの巨大輸送船団が、西の王国の港に到着したのです! 辺境伯家の名義で、市場の全需要を賄って余りある量の小麦が、一斉に『引き渡し』として市場に放たれました!」

ルキウスの手にしていたワイングラスが床に落ち、粉々に砕け散った。

「あ、あり得ん……! 中華国が、なぜ辺境の弱小貴族のために自国の備蓄を吐き出すのだ!?」

価格が暴落したことで、高値で買い占めていたルキウスのポジションは致命的な損失を抱えた。市場からは容赦のない「追証マージン・コール」が叩きつけられる。

資金がショートした神聖国は、自ら抱え込んでいた小麦を投げ売りをせざるを得なくなり、それがさらなる暴落を招くという死の螺旋に陥った。

「お、終わりだ……。神聖国の国庫が……空になる……っ」

ルキウスは絶望のあまり、その場に崩れ落ちた。

「……私たちの、勝ちです」

薄暗い執務室。届いた速報を読み上げたクロードは、糸が切れたように椅子に深くもたれかかった。極限の緊張から解放され、全身からどっと冷や汗が吹き出す。

港からの輸送路を守り抜いたレオンハルトとジークが、血まみれの包帯姿で帰還した。彼らの背後には、凍える民衆たちに温かい麦粥を配るセリアの姿がある。

「よく耐え抜いてくれましたね、あなたたち」

セレスティアが、傷だらけの家族たちに温かいタオルを渡しながら、静かに労った。

「ギリギリだったな……。船団の到着が半日遅れていれば、首を括るのは俺たちの方だった」

レオンハルトが疲労困憊の表情で笑う。冷酷なまでの計算と、命を削るような前線の死闘、そして敵の心理を抉る泥臭い交渉術でなんとか切り抜けた危機。

神聖国の経済的な息の根を止めた辺境伯一家だったが、彼らの戦いに安息はない。冬はまだ、始まったばかりである。


お読みいただきありがとうございました。

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