辛勝
そして、中華国の内部が薬の蔓延によって限界を迎えていた頃。
最前線の防衛陣地では、追い詰められた中華国軍の強硬派が、最も非道な「違法ギリギリのグレーゾーンの侵略」に打って出ていた。
「歩け! 立ち止まるな! 止まった者はその場で射殺する!」
中華国の将校に銃を突きつけられ、辺境伯軍へ向かって「人間の盾」として歩かされていた共和国の民間人たち。彼らの頭上を、突如として巨大な「影」がいくつも通り過ぎた。
「な、なんだ!?」
中華国の将校が見上げた先。それは、辺境伯陣地から放物線を描いて飛来した『巨大な木箱』の雨だった。
「そりゃあっ!!」
陣地の奥で、レオンハルト、ジーク、そしてルイーザとミラの大剣母娘が、その「規格外の筋力」を総動員し、数百キロの木箱を次々と大遠投していたのである。
ドスォォォンッ!!
飛来した木箱は、民間人の群れと中華国部隊の『ど真ん中』に正確に叩きつけられ、派手に砕け散った。中から溢れ出したのは――香ばしい匂いを放つ「大量の焼きたてパン」と、グリスの塗られた「大量の銃」、そして「弾薬」だった。
呆然とする戦場に、魔法道具を通したクロードの冷徹な声が響き渡る。
『――共和国の哀れな民たちよ。そのまま前へ進んで我々の罠で死ぬか、立ち止まって後ろの奴らに撃たれて死ぬか。……それとも。
目の前のパンを食い、その銃を拾って……貴方がたを虫ケラのように扱う後ろの連中をブチ殺すか。お好きなものを選びなさい。我々は援護しますよ』
飢えと絶望に染まっていた民間人たちの瞳に、どす黒い炎が点った。
「俺たちの国を返せェェェッ!!」
一人の男がパンを口に押し込み、小銃を引ったくったのを皮切りに、何万という民間人たちが一斉に武装。瞬く間に「反乱軍」へと変貌し、津波のように中華国部隊へと襲い掛かった。
「撃て! 撃ち殺せ!」と叫ぶ中華国の将校たちだったが、彼らの軍隊はすでに『悪魔の薬』の蔓延によって規律が崩壊し、まともに戦える状態ではなかった。薬の禁断症状で手が震える兵士たちは、怒り狂う民衆の波に呆気なく飲み込まれ、陣形はズタズタに引き裂かれていく。
「……さあ、皆の者。我々も『哀れな民衆を助けるための、正当な人道的介入』と行こうではないか」
レオンハルトの号令と共に、辺境伯一家の規格外の暴力が戦場に解き放たれ、崩壊した中華国軍を嬉々として粉砕していった。
この「武装蜂起」は局地戦では終わらず、辺境伯軍から与えられた食料と武器を手にした民衆の反乱は、またたく間に旧・共和国全土を巻き込む巨大なゲリラ戦へと発展していった。
遥か東方。中華国の広大な宮殿の奥深く。
玉座に腰掛ける中華国皇帝『マオ・キン』は、将軍からの絶望的な報告を聞き終えても、その表情に一切の焦りを見せなかった。
「……見事だな。武力を使えないこの局面において、『我が国の腐敗』と『抑圧された民衆の怒り』を武器として、状況ごとひっくり返してくるとは」
王国での買収工作は潰され、巨大ダムは崩壊。
国内は『悪魔の薬』の蔓延で行政と軍事の規律が崩壊し、さらにバッファであだだはずの共和国領では、辺境伯の支援を受けた民衆の大反乱が起きている。
「へ、陛下! すぐに本国から大軍を派遣し、辺境伯領ごと火の海に――」
「愚か者」
マオ・キンの冷たい声に、震え上がった。
「薬で内側から腐りかけている軍隊を、辺境伯と反乱軍が入り乱れる泥沼に突っ込ませてどうする。中華国本国にも火の粉が飛んでくるぞ、これだけの武と智を持ち、大国たる王国のバックアップを受けた辺境伯と薬でボロボロになっている我が国。今、武力衝突しても負ける、負けるとは全て失うという事だ」
マオ・キンは立ち上がり、国境線に置かれた自軍の駒を、無造作に後ろへと下げた。
「対外遠征軍に告ぐ。辺境伯領の国境から直ちに撤退せよ。まずは軍を反転させ、共和国領内の反乱の鎮圧と、国内にはびこる『薬』の密売組織の根絶、そして腐敗した役人どもの大粛清に全力を注ぐのだ」
「て、撤退ですか!? それでは、西への領土拡大の野望が……!」
「『放棄』するとは言っておらん。局面を一度リセットするだけだ」
マオ・キンは地図上の『辺境伯領』を鋭く見据え、獰猛な笑みを浮かべた。
「辺境伯レオンハルト。そして、この悪辣な盤面を描いた未知の参謀よ。今回は貴様らの勝ちだ。……だが、我が大中華の野望は潰えぬ。西の大地は、いずれ必ず我が手中に収めてみせよう」
覇王は決して折れたわけではない。
確実に国益を守るための「冷徹な損切り」を行い、次の侵略の機会を虎視眈々と狙うために、一時的に牙を隠したのだ。
「……中華国の軍勢が、完全に国境から撤退を開始しました」
辺境伯領の執務室。クロードの報告を聞き、張り詰めていた空気が一気に弛緩した。
「ふぅ……流石に今回は冷や汗をかいたぞ」
ジークがドカッとソファに倒れ込み、オズワルド王もハンカチで額の汗を拭う。
「ええ。流石はマオ・キン、引き際も鮮やかです」
クロードは静かに地図を見下ろした。
「奴らが国内の薬の浄化と、反乱軍の平定を終えるまで、短くとも数年、長ければ十数年はかかるはずです。……中華国は当分、我々に手を出せません」
圧倒的なシステムと物量で迫り来る超大国に対し、規格外の武と漆黒の知略で真っ向から危機をひっくり返した辺境伯一家。
しかし、覇王マオ・キンが西への野望を捨てていない以上、いずれ再び激突する運命にある。
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