ん?なんか聞いた事があるような話アルね
共和国領の山岳地帯。辺境伯領の豊かな農業を支える巨大水源『大河ロータス』を塞ぐように建設された中華国製巨大ダムは、まさに超大国の威信を体現するような暴力的なまでの大さだった。
「素晴らしい。これぞ我ら大中華の誇る圧倒的なインフラ技術アル!」
完成間近のダムを見下ろす高台で、建設総責任者である中華国の高官・張は、ふんぞり返って満足げに頷いていた。
彼の足元には、ダムの下流に広がる谷間を利用して設営された「中華国軍の巨大な前線基地」が見える。数万の精鋭と最新兵器がひしめくその基地は、ダムによって水資源を完全にコントロールし、干殺しにされた辺境伯領へいつでも侵攻できるよう準備を整えていた。
「張長官。こちらが例の『お礼』でございます」
もみ手をしてすり寄ってきたのは、今回のダム建設に資材を納入した御用商人の男だ。男が差し出した分厚いアタッシュケースの中には、中華国の最高額紙幣がぎっしりと、それこそ目が眩むほど詰め込まれていた。
「んー設計通り規定通りの素材と筋金で、何故か、なーぜか予算の半分でこんな素晴らしいダムが出来上がるとは中華4千年の治水の技術の歴史があるからこそアル。中華国の技術力は世界一アル!浮いた正規の建設予算は、お互いの懐を温めるのに有効活用させてもらうアル」
張は下品な笑いを漏らし、札束の山を撫で回した。
大国特有の絶対的な権力構造は、同時に末端における『強烈な腐敗』を生み出す。中央の監視が届かないこの国境地帯で、彼は私腹を肥やすために極限までの手抜き工事を黙認していたのだ。
だが、張は知る由もなかった。
彼に賄賂を渡したこの御用商人が、辺境伯ほ諜報員であることも。
そして――彼が今、狂喜して撫で回している大量の中華国紙幣が、長女セリアの地下工房で刷り上げられた『本物と寸分違わぬ偽札』であることも。
「共和国の紙幣を完璧に刷れるなら、中華国の紙幣など造作もありませんわ。インクの匂いまで完璧な特注品ですのよ?」
ダムから数キロ離れた辺境伯側の山頂。
安全な崖の上に優雅なテーブルセットを用意し、絶景を楽しみながら紅茶を啜っていたセリアは、おっとりとした微笑みを浮かべていた。
その背後で、キースが双眼鏡を下ろしながら苦笑する。
「本当に恐ろしいお嬢様だ。……クロードの描いたシナリオ通り、中華国の役人は見事に『中抜きの誘惑』に負けたぞ。俺の部下が持ち込んだ格安の粗悪な素材と脆いクズ鉄を喜んで買い上げ、浮いた予算を懐に入れた。あの巨大な壁は今、文字通り『泥』でできているようなもんだ」
「ええ。人間の『強欲』と、巨大組織の『腐敗』。これほど扱いやすく、確実に組織を内側から食い破る猛毒はありませんわ」
セリアはティーカップを置き、眼下に広がる巨大ダムを見つめた。
折しも、季節は雨季。連日の大雨によって大河ロータスの水量は激増し、ダムの貯水量はすでに限界のラインに達しようとしていた。
「さて、キースおじ様。そろそろ『お茶会』のメインイベントのようですわよ」
セリアの視線の先。
限界まで溜まった数億トンという水の暴力的な圧力(水圧)が、ついに『泥の壁』に牙を剥いた。
◆
「お、おい! 水が漏れ出しているぞ! 壁に亀裂が!!」
ダムの管理室に、技術者の悲痛な叫び声が響き渡った。
視察を終え、下流の前線基地で将軍と酒を酌み交わしていた張長官の元にも、血相を変えた部下が転がり込んでくる。
「張長官! 大変です、ダムの壁面数十カ所に亀裂が! このままでは水圧に耐えきれず、決壊します!!」
「馬鹿なことを言うな! 我が国の最新技術で設計された絶対の防壁アルぞあ!? 多少水が増えたくらいで崩れるわけが――」
ズドドドドォォォォンッ!!!
張の言葉を遮るように、山そのものが真っ二つに割れたかのような、世界を揺るがす絶望的な轟音が谷間に響き渡った。
「な、なんだぁっ!?」
張と将軍が慌てて天幕から飛び出し、上流を見上げる。
そして、彼らは見た。
難攻不落を誇ったはずの巨大ダムが、中央から飴細工のように無惨にひしゃげ、粉々に砕け散る瞬間を。
「あ、あああ……あぁぁぁっ!?」
粗悪なセメントと規定値以下の鉄筋で作られた『おから工事』のダムは、莫大な水圧に耐えられるはずもなかった。
堰き止められていた数億トンの水が、まるで解放された巨大な水龍のように荒れ狂いながら、土砂やコンクリートの破片を巻き込んで谷を駆け下りてくる。
その直線上にあるのは――張たちがいる、中華国軍の巨大な前線基地である。
「ひ、避難んん! 高台へ逃げろオォォォッ!!」
将軍が絶叫するが、遅すぎた。
人間の足で、大自然の怒りを具現化したような鉄砲水から逃げ切れるはずがない。
「ひぃぃぃっ! た、助け――」
ゴオォォォォォォォッ!!!
数万の精鋭部隊。最新鋭の戦車。大量の弾薬と食料。そして私腹を肥やした腐敗役人たち。
辺境伯領を脅かしていた中華国の強大な軍事拠点は、一発の銃弾も交えることなく、彼ら自身が作り上げた『自らのダムの決壊』によって、瞬く間に濁流の底へと飲み込まれ、完全に消滅した。
◆
「まあ、見事な泥水ですこと」
遠く離れた安全な山頂から。
眼下の谷を蹂躙し、すべてを洗い流していく凄まじい濁流を見下ろしながら、セリアはパチンと優雅に扇子を開いた。
キースは、谷のさらに下流――国境を越えた辺境伯領の平野部へと目を向ける。
「中華国の軍勢は綺麗に片付いたが……おい、あの濁流はこのまま俺たちの領地にも向かうんだぞ。本当に大丈夫なのか?」
「ふふっ、ご心配なく。クロードがそんな『計算違い』をするはずがありませんわ」
セリアはおっとりと微笑み、辺境伯領へと続く大河のルートを扇子で指し示した。
「そもそも、奴らが長期間ダムで水を堰き止めていたせいで、我が領地の大河ロータスは完全に『干上がって』いましたの。つまり、あの途方もなく広大で深い川床が、今度はすべてを飲み込む『巨大な空の器』としてなりますわ」
さらに、とセリアは言葉を継ぐ。
「念のため、数日前からルイーザ叔母様とミラに頼んで、領内の要所の堤防を『物理的』に限界まで叩き固め、未開拓の荒野に『巨大な遊水地』を掘削しておきました。谷を抜けて平野部に入り、勢いが落ちた水は、すべてその遊水地へと誘導される手筈になっています」
キースはポカンと口を開け、やがて腹を抱えて笑い出した。
「くくっ、ははははっ! なるほど。ダムが崩壊するタイミングまで完璧に計算し、洪水すらも『干ばつを潤す恵みの水』として領地の農業用水に利用するってわけか! クロードの野郎、底知れねえにも程があるぜ」
「ええ。これで我が領地は、中華国の軍勢を排除した上に、向こう数年分の豊かな水資源まで確保できましたわ」
大自然の力と、人間の強欲を利用した、合法の大量破壊。
武力が通じないグレーゾーンの盤面において、クロードが描いた「第二の反撃」は、自国には一切の被害を出さず、むしろ利益に変えながら、中華国に大義名分を一切与えることなく彼らの前線基地を消し去るという結果をもって完遂されたのである。
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