不器用な誠意と、猛将たる公爵
雪解け水が川を潤し、辺境領に本格的な春が訪れようとしていたある日。
執務室で向かい合って書類仕事をしていたレオンハルトが、ふと真剣な面持ちでペンを置き、セレスティアに向き直った。
「セレスティア。折り入って、頼みがある」
黄金と夜明けの蒼の双眸が、真っ直ぐに彼女を見据えている。
そのただならぬ雰囲気に、セレスティアも居住まいを正した。
「はい、何でしょうか?」
「君との結婚のことだ。王室からの命令で下された政略結婚とはいえ、俺たちは正式な夫婦として生きていきたいと、互いに心を通わせた。……だからこそ、君の父親であるグランチェスター公爵閣下に、きちんと挨拶がしたい。君を妻にさせてくれと、直々に頼みに行かせてくれないか」
その言葉に、セレスティアは驚きのあまり目を丸くした。
王太子からの理不尽な追放命令によって始まった関係だ。辺境の教会で書類は提出して、婚姻は成立している。しかし、彼は筋を通そうとしているのだ。
「レオンハルト様、お気持ちは大変嬉しいのですが……お父様へのご挨拶は、不要ですわ」
「なぜだ? 俺のような辺境の武骨者では、公爵閣下にお目通りする資格がないと……」
「違います!」
セレスティアは慌てて首を横に振った。
「お父様は、今回の婚約破棄と私への辺境追放の仕儀を知り、王太子殿下……ひいては王家に対して完全に心が離反しております。今、王都の貴族社会は公爵家を中心に真っ二つに割れ、血で血を洗うような激しい政争が起ころうとしているのです」
セレスティアは言葉を切ると、心配そうに夫の大きな手を取った。
「……私は、あなたやこの温かい領地を、王都の醜い権力闘争に巻き込みたくないのです。ですから、お父様には事後報告の手紙だけで済ませるつもりでした」
しかし、レオンハルトはセレスティアの細い手を優しく、けれど力強く握り返した。
「君が俺や領地を気遣ってくれていることは、痛いほど分かる。だが、それでも俺は譲れない」
「レオンハルト様……?」
「政争など関係ない。君は、公爵閣下が手塩にかけて育てた、目に入れても痛くないほど愛娘だろう。その大切な宝を娶るのだから、男として正面から君のお父上に誓いを立てたい。……どんな困難があろうとも、俺が君の盾となり、一生愛し抜くとな」
不器用で、飾り気のない言葉。だが、そこには彼が持つ絶対的な誠実さと、セレスティアへの深い愛情が詰まっていた。
どんなに恐ろしい政争の火種があろうとも、愛する妻の親へ顔向けできないような卑怯な真似はしない。その真っ直ぐな男らしさに、セレスティアは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
(ああ……私、本当に素晴らしい方と巡り会えたのね)
「……分かりました。あなたがそこまで仰るなら、お父様とお会いして下さいまし」
セレスティアが柔らかく微笑んで頷くと、レオンハルトはほっとしたように、力強く頷き返した。
数週間後。辺境伯領と王都の中間地点にある、公爵家が所有する別邸。
極秘裏にセレスティアたちを呼び出したグランチェスター公爵は、応接室の奥で腕を組み、仁王立ちで彼らを待ち構えていた。
「よく来たな、セレスティア。元気そうで何よりだ。……して、そちらが噂の『鮮血の辺境伯』殿か」
グランチェスター公爵は、現役の騎士団長をも凌ぐ巨躯と、歴戦の猛者であることを物語る鋭い眼光を持つ、昔気質の武人であった。
公爵が放つ威圧感は凄まじく、普通の貴族であればその場に竦み上がってしまうほどだ。
しかし、レオンハルトは一歩も引くことなく、公爵の正面に歩み出た。
そして、マントを翻して深く、美しい礼をとる。
「お初にお目に掛かります、公爵閣下。レオンハルト・ヴァン・アークライトと申します。……本日は、他でもないお願いがあって参りました」
顔を上げたレオンハルトは、黄金と蒼の瞳で、公爵の眼光を真正面から受け止めた。
「セレスティア嬢を、俺の……私の妻にさせてください。彼女は王都の誰よりも賢く、美しく、そして深い慈愛を持つ女性です。私は彼女を心から愛しています。公爵閣下の大切な宝を、この命に代えても必ず守り抜き、幸せにすると誓います!」
応接室に、レオンハルトの低く力強い声が響き渡った。
公爵は無言のまま、鋭い目でレオンハルトを上から下まで値踏みするように見つめている。ピリピリとした緊張感が室内に張り詰め、セレスティアは思わず息を呑んだ。
数秒の、永遠にも似た沈黙の後。
「……ぶっ! わーっはっはっは」
「お、お父様……?」
「いやぁ、素晴らしい! 実にいい目をしている! ひ弱で虚栄心ばかりのあの愚かな王太子とは、比べ物にならんほどいい男ではないか!」
公爵は嬉しそうにレオンハルトの肩をバンバンと叩いた。その衝撃でレオンハルトが少しよろめくほどの力強さだ。
「セレスティアから手紙で『不器用ですが、とても優しくて誠実な方です』と聞いてはおったが……なるほど、一目で気に入ったわ! おい辺境伯殿、娘を頼んだぞ!」
「えっ……あ、はい! ありがとうございます、義父上!」
あまりのあっさりとした快諾に、レオンハルトは目を白黒させながらも、感極まったように深く頭を下げた。
無骨で実力主義の公爵にとって、レオンハルトのような己の言葉と腕っぷしに嘘のない男は、まさに理想の義理の息子だったのだ。
笑い声を収めた公爵は、ふっと真面目な顔つきになり、レオンハルトの肩に置いた手に力を込めた。
「王都は今、あの馬鹿な王太子と神輿に担がれた男爵令嬢のせいで、泥舟のように沈みかけておる。……だが、お前たちは何一つ案ずるな。辺境で、二人で仲良く国でも創るつもりで存分にやれ」
「公爵閣下……」
「もし、王家の連中が手のひらを返してちょっかいをかけてきたり、何か困ったことがあったりしたら、迷わずこのワシを頼れ。グランチェスター公爵家の全力を挙げて、お前たちの盾となってやろう」
「……っ、感謝の念に堪えません!」
不器用な辺境伯の誠意は、見事に猛将たる公爵の心を打ち抜いたのだ。
固く握手を交わす巨大な男二人の姿を見つめながら、セレスティアは安堵の吐息を漏らし、花が綻ぶような心からの笑みを浮かべるのだった。
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