政治的暗殺
国内が飢餓と同士討ちの地獄と化す中、それでも独裁者フーニンは宮殿の奥深くに引き籠もり、狂気じみた妄信に縋り付いていた。
「暴動などいくらでも起きるがいい。中華国の最新兵器と物資さえあれば、いつでも全てを力で鎮圧できる。中華国さえ味方につなぎ止めておけば、私の権力は絶対だ……!」
だが、彼が縋るその「最後の命綱」すらも、西の王オズワルドと元暗殺者キースの鮮やかな連携によって、今まさに断ち切られようとしていた。
外交的暗殺である。
◆
王国の王城。
この日、諸外国の特使や貴族を招いた豪華絢爛な夜会が開かれていた。
王オズワルドは、ワイングラスを片手に、わざとらしくため息を吐いた。
その立ち位置は、柱の影で聞き耳を立てている『中華国のスパイ』からわずかに数歩の距離。声量は、周囲の喧騒に紛れつつも、そのスパイの耳にだけは確実に届くよう精密に計算されていた。
「共和国のフーニン殿から、私宛てに密書が届きましてね。……なんでも、中華国に引き渡す約束だった鉱山資源を、我が国に破格の安値で横流ししてくれると。彼らを出し抜き、我が国を新たなパトロンに乗り換えようと目論んでいるらしい。まったく、節操のないコウモリ外交には困ったものです」
困惑したように肩をすくめるオズワルド。だが、グラスに隠されたその瞳は、暗闇で息を殺すスパイの動揺を冷徹な眼差しで見透かしていた。
オズワルドの毒牙が放たれたのと全く同時刻。
共和国の首都、最も警備が厳重なはずのフーニンの宮殿・執務室。
「……中華国製の最新セキュリティ機構。総機械仕掛けの物理ロックとは恐れ入るが……俺に開けられないほどでもないな」
暗闇の中、音もなく金庫の前にしゃがみ込んでいたキースが、重厚な扉をカチリと開け放つ。
彼は懐から、長女セリアが完璧に偽造した『オズワルド王宛ての裏切りを提案する内容の密約書』を取り出し、金庫の最も奥の書類の間に滑り込ませると、闇に溶けるように姿を消した。
◆
翌朝。
フーニンの執務室の重厚な扉が、静かに、そして極めて礼儀正しくノックされた。
入ってきたのは、豪奢な絹の服を着込んだ中華国の軍事顧問と査察団であった。
「……おはようございます、フーニン閣下。本日は定期的な『担保資産の監査』に伺いました。恐れ入りますが、そちらの金庫の中身を拝見してもよろしいでしょうか?」
軍事顧問は優雅にお辞儀をしながら、穏やかな声で要求した。
「な、急になんだ。いくら同盟国とはいえ、国家元首の金庫を勝手に――」
「おや? 我々のような『取るに足らない小国』に、何かお見せできないような機密でもおありで?」
扇子で口元を隠し、目が一切笑っていない顧問の圧力に、実質的な属国であるフーニンは逆らうことができず、震える手で金庫を開けた。
査察団が書類を一枚一枚、丁寧に確認していく。
そして――金庫の奥底から、真新しい一通の封書が恭しく取り出された。
「……おや。これは珍しい。王国の印章ではありませんか」
顧問が流麗な動作で封を切り、中の書面を読み上げる。
「『我が国の資源を、中華国の目を盗んで西の王国へ安値で引き渡す。ついては新たな支援を……』。なるほど、なるほど」
パチン、と扇子を閉じる音が、静まり返った執務室に響いた。
「ち、違う! それは偽造だ! 罠だ! 辺境伯の奴らか、オズワルドの陰謀に決まっている!!」
顔面蒼白で叫ぶフーニンに対し、軍事顧問は一切取り乱すことなく、むしろ同情すら滲ませたような声で応えた。
「弁明など不要でございますよ、フーニン閣下。どうやら貴国は、我が国がご提供した『ささやかな支援』ではご不満だったご様子。王国という新たな良き友を見つけられたこと、同盟国として心よりお祝い申し上げます」
「待ってくれ! 誤解だ! 見捨てないでくれ! あんたたちが手を引いたら、私は……!!」
フーニンは床に這いつくばり、顧問の絹の靴に縋り付こうとした。しかし、顧問は汚物でも避けるかのように優雅なステップで身をかわし、慇懃無礼な薄笑いを深めた。
「これ以上、我が国が貴国の『素晴らしい外交戦略』の邪魔をするわけにはまいりません。本日をもって、我々はすべての支援物資と共に撤退させていただきます。……外には、貴閣下と直接お話ししたがっている熱心な国民の方々が、大勢お待ちのようですしね。どうか、末長くお元気で」
深々と、しかし完全に馬鹿にするような一礼を残し、査察団は絶望に凍りつくフーニンを一瞥もせずに執務室を後にした。
◆
数日後、辺境伯領の執務室。
レオンハルトと次男クロードの前に、先ほどの「中華国の特使」が恭しく頭を下げていた。
「――ということでして。我が中華国は、共和国の不誠実な裏切りを受け、すべての支援物資を引き揚げいたしました。……辺境伯閣下。これまで我々の間には、少々の『誤解』もあったかと存じます。しかし、今後は互いに手を取り合い、この大陸の平和と繁栄を、共に分かち合いたいと考えております」
要するに、「もう共和国という不良債権は切り捨てたから、これからは勝者である辺境伯陣営と仲良く、新たな取引先としてやっていきたい」という、大国特有の厚顔無恥な擦り寄りだった。
レオンハルトは内心の嫌悪を完璧に隠し、「それは重畳。真の平和を築けることを歓迎しよう」と外交辞令で応じた。
特使が満足げに帰っていくと、クロードは冷たく笑い、地図上の「共和国」に立てられていた駒を指で弾き飛ばした。
「……彼らにとって、キースおじ様が仕込んだ密書が『本物か偽造か』など、最初からどうでも良かったのですよ。泥舟から損切りするための『大義名分』さえ手に入れば。これで、超大国の庇護という最後の装甲も剥がれ落ちました。完全に詰み(チェックメイト)です」
その頃、共和国首都。
「あ、ああ……あぁぁぁ……っ!!」
誰もいなくなった執務室で、フーニンはただ一人、絶望の叫びを上げていた。
宮殿の外からは、もはやどうすることもできない巨大な地鳴りが響いてくる。暴徒と化した数十万の帰還兵と飢えた市民たちが、督戦隊のバリケードを打ち破り、いよいよ城門へと殺到する凄まじい怒号だった。
「ひぃっ……! くるな……私を誰だと思っている! 私は偉大なる――」
誰も彼を助けには来ない。
狂気と暴力で国を縛り付けた独裁者の最期は、自らが使い潰そうとした「民衆」という怒りの波に呑み込まれる、惨めで無残な結末であった。
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