死の浸透作戦
死体の山によって、ついに泥濘は埋め立てられた。
味方の亡骸を文字通りの「道」として踏み躙り、ついに共和国軍がその最大戦力を戦線へと再投入したのである。
地響きが、先ほどまでの歩兵の突撃とは次元の違うレベルで戦場を揺らす。
現れたのは、分厚い装甲で覆われた数十台の「戦車獣」。そして、本来ならば一匹で小国が滅びる『災害級』の巨大モンスター10体。さらに上空からは、温存されていた最後のドラゴンが咆哮を上げて舞い戻ってきた。
生き残った歩兵たちと共に、彼らは怒涛の勢いで辺境伯軍の塹壕陣地へと殺到する。
「……来たな。想定通りだ」
だが、次男クロードの冷徹な眼差しに焦りはない。
先陣を切った巨大モンスターたちと戦車獣が、陣地の最前線へと踊り出た瞬間――彼らの足元が広範囲にわたって一気に陥没した。
「グギャアアアッ!?」
土煙を上げて崩落したのは、クロードが最前線のさらに奥に隠し持っていた「対大型獣用の極深・偽装塹壕」である。身動きの取れないすり鉢状の巨大な溝に、戦車獣もモンスターも折り重なるように転落していく。
「セリア!」
「はいな。皆様、火薬樽の紐を引いて、穴へポイッとよろしくてよ」
長女セリアの号令と共に、塹壕の上から導火線に火のついた大量の黒色火薬樽が雨あられと投げ込まれた。
ドゴォォォォォンッ!!
戦場を揺るがす大爆発。狭い穴の中で巻き起こった爆炎と衝撃波は、強固なモンスターの皮膚や戦車の装甲を内部から破壊する。
だが、それでも災害級の生命力を持つ数体のモンスターは、全身を血に染めながら穴から這い上がってきた。陣地の一部が強引に突破され、共和国兵と巨大獣、そして辺境伯軍が入り乱れる大混戦(乱戦)へと突入する。
しかし、乱戦になればなるほど、辺境伯陣営の「個の力」は輝きを増した。
「さあミラ、巨大獣の解体ショーですわよ!」
「あははっ! お肉切り刻んじゃうぞー!」
狭い塹壕の死角を縦横無尽に飛び回るルイーザとミラが、這い上がってきた巨大モンスターの足を斬り飛ばし、顎を砕く。
さらに後方からは、長男ジークの長槍が歩兵たちを串刺しにして弾き飛ばし、キースの放つ銀閃(投げナイフ)が、戦車獣を操る操縦兵の眉間だけを的確に撃ち抜いていく。主を失い暴走した戦車獣は、味方の陣形を内部から無茶苦茶に掻き乱した。
さらに、辺境伯陣営の猛攻は物理だけではない。
「……風向きが変わりましたね」
後方の天幕で静かに呟いたのは、辺境伯の妻であり、クロードの知略の源である聡明なる母、セレスティアだった。
彼女の指示により、陣地の各所で特殊な香が焚かれる。風に乗って戦場に漂い始めたその紫色の煙は、モンスターの神経を極限まで苛立たせる劇薬だった。
「ギャオオオォォォッ!」
狂乱状態に陥った残存モンスターたちは完全に制御を離れ、味方であるはずの共和国兵を次々と踏み潰し始めたのだ。
地上は完全に辺境伯軍が制圧した。残る脅威は、空から陣地を焼き払おうと急降下してくる最後の一匹のドラゴンのみ。
――その時、死地を前にして、辺境伯レオンハルトが悠然と前へ出た。
「あのトカゲは、俺がやる」
彼は、城壁に取り付けられるはずの巨大な弩の矢――鋼鉄で作られた丸太のような大槍を、なんと素手で持ち上げた。
全身の筋肉が爆発的に膨張し、大気が震える。
「落ちろ!!」
レオンハルトが規格外の膂力で大遠投した鋼鉄の大槍は、轟音と共に空の彼方へ放たれ――急降下してきたドラゴンの頭蓋骨から心臓までを一撃で貫通した。
悲鳴を上げる間もなく、最後の竜は絶命し、巨大な肉塊となって敵陣のど真ん中へ墜落した。
モンスターは全滅。戦車は破壊され、竜は地に落ちた。
完全に辺境伯軍の戦術と武力の前に、共和国の切り札は粉砕されたのだ。
これで決着がついた。誰もがそう確信した。
――だが。
「……前進しろォ! 止まるな! 止まった者は撃ち殺す!!」
泥沼の彼方から、督戦隊の狂気じみた怒声が響く。
見れば、竜の死骸や燃え盛る戦車の残骸を乗り越えて、新たな共和国の歩兵たちが無限の波のように湧き出してくるではないか。
彼らの瞳にはすでに戦意などない。辺境伯軍の圧倒的な力を前に心は完全に折れ、恐怖に顔を引き攣らせ、涙や鼻水を流している。
それでも、背後から味方に撃たれる恐怖と、洗脳に近い国家への服従心だけが、彼らの足を前へと動かしていた。
「な、なんだあいつら……っ! 切り札を全部潰されたのに、まだ来るのか!?」
ジークが血まみれの槍を握り直し、驚愕に顔を歪める。
「銃身が熱で歪み始めましたわ! 火薬もそろそろ底を突きます!」
セリアの焦った声が響く。
どんなにルイーザたちの腕力が規格外でも、一振りで斬れる数には限界がある。
どんなにクロードの罠が完璧でも、敵が十万の死体で穴を埋め立ててしまえば意味を成さない。
心折れた兵士たちの、ただただ命令に従うだけの死の行軍。
個人の武力を嘲笑うかのような「純粋な数の暴力」。
それこそが、人命を一切のコストと見なさない共和国の真の恐ろしさであり、継戦能力において辺境伯軍を凌駕する唯一にして最大の武器だった。
「……チッ、一旦引くぞ! 防衛線を第二陣地まで下げる!」
レオンハルトの苦渋の決断が下る。
圧倒的な勝利を収め続けているはずなのに、辺境伯軍は後退を余儀なくされた。
銃弾の雨を抜け、化け物たちの刃を潜り抜け、共和国兵の死体の山はズリズリと、じわじわと前進していく。
こうして、凄惨たる大混戦は辺境伯軍の局地的勝利に終わったものの、大局的な戦線は押し込まれる結果となった。
焦土と化した辺境伯領の第一防衛線を飲み込み、恐怖に泣き叫ぶ共和国の「終わらない人波」が、ゆっくりと、しかし確実に領地深部へと浸透していくのであった。
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