仕事人
王都が新王オズワルドの統治下で平和を取り戻しつつある一方、広大なこの街には、いまだ奉行所の光すら届かない「底無しの闇」が口を開けていた。
下町で細々と小さな食堂を営む老爺とその一人娘・おみつ。
彼女の美貌に目をつけた悪辣な両替商『銭屋』と、裏社会のヤクザ組織『黒蛇組』は、ある日おみつを拉致し、老爺に法外な身代金を要求した。
老爺は店を売り払い、方々に頭を下げてようやく金を作った。しかし、銭屋とヤクザはせせら笑いながら金を奪い取ると、口封じのために老爺の目の前でおみつを惨殺。そして、老爺自身にも無慈悲な刃を突き立てたのだ。
「お奉行様に……訴え……てやる……っ」
血の海に倒れ伏す老爺を嘲笑い、銭屋は言い放った。
「やれるものならやってみるがいい。この界隈の奉行所(末端の役人)は、とうに俺たちの金で飼い慣らしてあるんでな」
その言葉通り、事件は「強盗による不運な惨劇」として処理され、黒蛇組の影すら書類には残らなかった。
表の法律では、絶対に救えない弱者の無念。それがこの王都の現実でもあり、闇でもあった。
その夜。
冷たい雨が降る路地裏に、息も絶え絶えの老爺が這いつくばっていた。致命傷を負いながらも、亡き娘の遺体を抱きしめ、泥水を啜りながら一歩、また一歩と這い進んでいたのだ。
そこへ、傘を差した三つの影が音もなく立ち止まった。
「……娘の、無念を……恨みを……晴らしてくだせえ……」
老爺は血に染まった手を震わせながら、泥にまみれた数枚の『銅貨』を差し出した。食堂の売り上げの残りであろう、本当にささやかな、だが老爺の命の全てだった。
「……頼み、しかと引き受けた」
三つの影のうちの一つが、その血塗られた小銭を受け取る。
それを見た老爺は、最期にふっと安らかな笑みを浮かべ、事切れた。
「……見やがれ。どいつもこいつも、権力を笠に着た外道ばかりだ」
簪職人の青年、ヒデが忌々しそうに吐き捨てる。
「表の法で裁けねえなら、裏の掟で裁くまでさ」
三味線(に似た東方の弦楽器)弾きであり、糸職人でもある美女ユウコが冷たく目を伏せた。
「……行くぜ。仕事の時間だ」
最後に口を開いたのは、彼らの元締めとも言える男。
昼間は王都奉行所の末端で働く、うだつの上がらない巡察使(同心)――モンドであった。
三人はそれぞれに手を重ね、恨み銭を分け合い、無言で王都の深い闇へと散っていった。
深夜。黒蛇組の賭場。
ヤクザの組長は、奪い取った身代金を数えながら酒を煽っていた。
「へっへっへ、ちょろい仕事だったぜ。あの親子の金で飲む酒は格別だ」
「――そうかい。なら、その酒がてめえの最期の晩餐だな」
「誰だ!?」
組長が振り返った瞬間、部屋の蝋燭の火がフッと消えた。
暗闇の中、月明かりに反射してキラリと光る『金色の線』が宙を走る。
「……恨み、晴らさせてもらうぜ」
ヒデが手にした、先端を鋭く研ぎ澄ませた黄金の簪である。
「がっ、貴様……っ!」
ドスを抜こうとした組長の首筋に、ヒデの簪が一閃。音もなく、急所である延髄を正確に貫いた。
ビクン、と痙攣した組長は、声一つ上げることなく絶命し、畳の上に崩れ落ちた。ヒデは冷たい目でそれを見下ろし、簪を引き抜いて闇へ消える。
時を同じくして、両替商『銭屋』の豪邸。
銭屋の主人が布団で高いびきをかいていると、天井の梁からスルスルと『一本の糸』が垂れてきた。
三味線の糸である。
糸は生き物のように主人の首に巻き付いた。
「んぐっ!? げ、げぇっ……!!」
目を覚まし、首を掻きむしって暴れる銭屋。だが、梁の上に陣取ったユウコが、その糸を容赦なくピンと引き絞る。
「……地獄の閻魔に、その汚ねえ金を数えてもらいな」
ユウコが糸を弾く。ベンッ、という冷たい弦の音が鳴ると同時に、銭屋の主人の体は宙に吊り上げられ、暗闇の中でもがきながら、やがて完全に動かなくなった。
そして最後の一人。
事件をもみ消し、ヤクザから多額の賄賂を受け取っていた奉行所の末端の悪代官(上司)・クロダの私邸。
「ふふふ……今月も実入りが良いわ。キンズリー奉行の目さえ誤魔化せば、この界隈は私の思いのままだ」
帳簿を見ながらほくそ笑むクロダの部屋の戸が、スッと開いた。
「いやぁ、クロダ様。夜分遅くに申し訳ございません」
へらへらと愛想笑いを浮かべながら入ってきたのは、部下であるモンドだった。
「なんだモンドか。お前のような昼行灯が、こんな夜更けに何の用だ? 賄賂の分け前でもねだりに来たか?」
クロダが鼻で笑う。
「いえいえ、滅相もない。ただ、少しばかり『忘れ物』をお届けに参りましてね」
モンドは揉み手を作りながら、クロダの懐へジリジリと近づく。
「忘れ物だと?」
「ええ。――あの世へ持っていく、六文銭ですよ」
その瞬間。
モンドのへらへらとした愛想笑いが消え去り、その瞳に『凄絶な殺気』が宿った。
「なっ……! 貴様、モンド……っ!」
クロダが異変に気づき、刀に手をかけようとした時には、すでに遅かった。
――シャァンッ!!
モンドの腰の刀が、鞘走る音さえ置き去りにして閃いた。
抜刀術の極致たる、一瞬の居合い斬り。白刃はクロダの腹を深々と貫き、背中まで突き抜けていた。
「あ……がっ……ば、馬鹿な……貴様のような、昼行灯が……」
「……お役目、ご苦労さんでしたね」
モンドが刀を引き抜くと、クロダは大量の血を吐き出し、どさりと仰向けに倒れ絶命した。
刀の血振るいをし、静かに鞘へ納めるモンド。その顔には、奉行所で馬鹿にされている冴えない男の面影は微塵もなく、ただ冷酷な暗殺者(仕事人)の凄みだけが漂っていた。
翌朝。
王都には清々しい秋晴れの空が広がっていた。
「ちょっとモンドさん! いつまで寝ているんですか! さっさと起きて朝ご飯を食べて、お役目に行ってくださいな!」
「そうですとも! 全く、ウチの婿殿ときたら、万年ヒラ役人で出世の見込みもないのですから、せめて真面目に働きなさいな!」
モンドの自宅。
食卓では、嫁のリツと、姑のセンが、朝から口うるさく小言を並べ立てていた。
「はいはい、わかってますよ。あーあ、朝からうるさいなぁ」
モンドはボサボサの頭を掻きながら、大あくびをして味噌汁をすする。
「なにか言いましたか!?」
「いえいえ、今日も味噌汁が美味いなぁと!」
へこへこと頭を下げながら逃げるように家を出るモンド。
周囲の近所衆からも「あそこのお婿さんは、本当に尻に敷かれて情けないねぇ」と笑われている。
モンドは「やれやれ」と肩をすくめながら、いつものようにうだつの上がらない足取りで、奉行所へと向かって歩き出す。
昨夜、王都の闇で三人の悪党が音もなく消え去ったことなど、誰も知らない。
表の法で裁けぬ悪を討つ、影の仕事人たち。彼らは今日も、何食わぬ顔で人波に紛れ、この王都のどこかで静かに息を潜めているのである。




