通された仁義
王都の裏路地に、秋の冷たい風が吹き抜ける。
盲目の按摩であり、凄まじい居合の達人でもある男、イチ。彼が王都へやってきた本当の目的は、名を上げるためでも、金を稼ぐためでもなかった。
数年前、故郷の村で生き別れになった、たった一人の『妹』を探すためであった。
その事を新王オズワルドの命によりイチを監視していた密偵『風鴉』の者が突き止めたのだ。
おい、イチさん、一つ按摩を頼むよ」ヴァレリアンの相棒、細工職人のユーゴが声をかけた。
「へい、へい、喜んで」
道端に床机を置いて肩を揉み始めるイチに、「流石にうめえもんだ、ヴァレリアン先生に聞いていた通りだね」
「あんたさんは?」
「ヴァレリアン先生の相棒のユーゴってもんだ、あんた王都中の噂になってるぜ、すげえ腕だってね」
「へえ、で、あつしに声をかけた本当の訳を教えてもらっても?」
「妹さんの居場所がわかったよ」
一瞬動きが止まる、噴き出る殺気
「妹は……どこにいるんでごぜえますか」
イチが静かに問う。
「……王都の裏社会を牛耳る、最大の巨大組織。そこの息がかかった遊郭だ。どうやら、流れの香具師(ペテン師)に甘い言葉で騙され、借金のカタとして無理やり王都で身売りさせられたようだな」
イチが突いていた杖が、ピシリと微かに鳴った。
だが、ユーゴは重々しい声で続ける。
「早まるな、相手の組織は、ただのゴロツキの集まりじゃねえ」
その巨大組織は、王都の闇にあまりにも太く根を張っていた。
彼らが存在することで、かえって無秩序な凶悪犯罪が抑え込まれているという『必要悪』の側面があり、オズワルド新王の権威や、キンズリー奉行の法をもってしても、おいそれとは手を出せない。下手に組織を潰せば、王都の裏社会が血の海と化すからだ。
しかし同時に、その組織は古くからの『任侠道(仁義)』を固く守る、昔気質の極道たちでもあった。
「……お主が出る幕ではないよ、イチ」
暗闇からもう一人、大柄な男が姿を現した。
闇医者のヴァレリアンである。彼は密偵から事情を聞き、裏社会の人間としてこの厄介な問題の仲介に出向いてきたのだ。
「相手の組長には、俺から話をつけてやる。お前さんが単身で斬り込めば、王都中を巻き込む戦争になるからな。……妹さんは、必ず無事に返してやる」
ヴァレリアンの静かだが力強い言葉に、イチはしばらく沈黙した後、深く、深く頭を下げた。
王都の歓楽街の奥深くにある、厳重な警備に守られた豪邸。
そこが、王都最大の裏組織を束ねる組長――ドン.ジェリコの居城であった。
「……ほう。ウチの遊郭にいる娘が、流れの香具師に騙されて無理やり売られた娘だと?」
豪華な応接室のソファに深く腰掛けたドン・ジェリコは、葉巻の煙を吐き出しながら、向かいに座るヴァレリアンを鋭い眼光で睨みつけた。
顔に大きな刀傷を持つその男からは、裏社会の頂点に立つ者特有の、圧倒的な威圧感が放たれている。
「ああ。生き別れの兄貴が、目を皿にして探している大事な妹だ。……あんたのところの若い衆が、出処の怪しい娘だと知らずに買い取っちまったらしい」
ヴァレリアンは臆することなく、真っ直ぐにジェリコを見据え、事の顛末を伝えた。
「ジェリコの旦那。あんたの組織がこの王都で一目置かれているのは、堅気には手を出さず、筋を通す『任侠道』を重んじているからだ。……騙された娘を泣かせて小銭を稼ぐのは、あんたの流儀に反するんじゃねえのか?」
沈黙が、部屋を支配した。
ジェリコの背後に控える屈強な側近たちが、無礼な口を利くヴァレリアンに向かって一斉に殺気を放つ。
だが。
「――控えろ、お前たち」
ジェリコは側近たちを低い声で制止すると、手にしていた葉巻を灰皿にゆっくりと押し付けた。
その顔には、隠しきれない静かな『激怒』が浮かんでいた。
「……ヴァレリアン先生の言う通りだ。女子供を騙して売り飛ばすような外道の香具師に、ウチの若い衆が乗せられていたとはな」
ジェリコが拳を握りしめると、革の手袋がギリィッと軋む音を立てた。
「ウチのシノギは、あくまで双方合意の上の商売だ。弱い者を騙して泥水を啜らせるような真似は、俺の『仁義』が許さねえ。……天下のドン・ジェリコも、舐められたものだ」
ジェリコはすぐに側近の一人を呼び寄せ、短く命じた。
「例の遊郭にいる娘を、今すぐ身受けの証文ごと丁重に解放しろ。指一本でも傷をつけていたら、そこの元締めを海に沈めろ。……娘は、先生の指定する場所へ無事にお返しする」
「……恩に着るぜ、ジェリコの旦那」
ヴァレリアンが安堵の息を吐き、立ち上がろうとした時だった。
「待て、先生」
ジェリコが、懐から分厚い札束の入った革袋を取り出し、テーブルの上へ放り投げた。
「俺から、一つ『仕事』を依頼したい。……ウチの看板に泥を塗り、仁義を踏みにじったあの腐れ香具師。……俺の代わりに、始末してくれ」
裏社会のトップからの、直々の殺しの依頼。
表沙汰にすれば組織の恥になるため、外部の凄腕である仕置人に汚れ仕事を任せるというわけだ。
ヴァレリアンはテーブルの上の革袋を手に取ると、中身を半分だけ抜き取り、自身の懐に滑り込ませた。
「……半金、確かに受け取った。残りは仕事が終わってからでいい」
ヴァレリアンは口角を上げ、氷のように冷たい『仕置人』の顔で不敵に笑った。
「その香具師……もう、死んだものと思ってくれ」
「頼んだぜ、先生」
ジェリコもまた、任侠の男らしい獰猛な笑みを浮かべて頷いた。
妹の無事な帰還という最高の知らせと、外道な香具師への冷酷な死の宣告。
相反する二つの結果を懐に忍ばせ、闇医者ヴァレリアンは、静かに極道の屋敷を後にするのだった。
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