老剣客の遅い春
「――というわけで、今日からこのクロエ君と一緒に暮らすことになったぞ」
翌朝。コリンは息子のディランが主を務めるアッシュ道場へ顔を出し、ニコニコと朗らかな笑顔で事後報告を行った。
紹介されたクロエは、コリンの一歩後ろに控え、「ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします……っ」と、頬を真っ赤に染めてモジモジと身をよじっている。
「は、はい……?」
筋骨隆々で朴訥なディランは、目の前の光景に頭が真っ白になった。
(父上……正気ですか!? 自分より歳下、いや、下手すれば孫ほどの年齢の娘さんではないですか!)
どう見ても「雇い入れた使用人」というよりは、「初々しい新妻」の雰囲気を全身から漂わせているクロエ。そして、そんな彼女を傍に置いてデレデレ(単に好々爺として微笑んでいるだけなのだが、ディランの目にはそう映った)しているコリン。
(まさか父上が、こんな若い後妻をもらうとは……! いや、しかし長年一人身で寂しかったのかもしれない。息子として、ここは祝福すべきなのか……!?)
生真面目なディランは、一人で悩むのだった。
一方、クロエの熱烈な好意にも、息子の壮絶な勘違いにも全く気づいていないコリンは一つの決心をしていた。
(とはいえ、この家に彼女を置くからには、きっちりと筋は通さねばなるまいな)
コリンは隠居生活のために貯めていた蓄え(公爵家からの恩給)を懐に入れると、クロエの親が金を借りていた悪徳業者の元へ単身で乗り込んだ。
前日の「竹箒での掃討」ですっかりコリンを恐れていた業者たちは、達人が自らやってきたことに震え上がったが、コリンは穏やかに借金の証文通りの金を卓に置いた。
「これでお主らとクロエ君の縁は完全に切れた。今後一切、彼女には関わらぬことだ。よいな?」
「ひ、ひぃっ! もちろんでさぁ!」
こうして、コリンは誰に文句を言われることもなく、合法的にクロエの身の安全と自由を買い取ったのである。
――しかし、この行動がさらに周囲の勘違いを加速させることとなる。
「……というわけでして、キンズリー閣下。我が父が、若い娘を嫁にしたようなのです。金で身請けまでして……。息子として、どう振る舞えば良いものか……」
王都奉行所の執務室。
頭を抱えるディランから相談を受けた王都奉行・キンズリーは、呆れるどころか、バンッ! と机を叩いて大笑いした。
「はっはっはっは!! あの堅物のコリンの爺さんに、まさか再び遅い春が来るとはな!」
「笑い事ではありません、閣下……」
「いやいや、めでてえ事じゃねえか! あの爺さん、わざわざ悪党のところへ行って借金まで肩代わりしてやったんだろ? そりゃあ男が女を『嫁にする』ための、立派なケジメってもんだ」
粋な遊び人でもあるキンズリーは、ニヤリと笑ってディランの肩を叩いた。
「せっかく爺さんが男のケジメをつけたんだ。周りがとやかく言う野暮はなしだ。むしろ、ディラン。お前の方から『きちんと祝言をあげてはどうですか』って、背中を押してやりな」
「……はあ!? しゅ、祝言だと!?」
その日の夕方。
隠居所へやってきたディランからキンズリーの提案を聞かされたコリンは、飲んでいた茶を盛大に噴き出した。
「お前何を勘違いしているのだ! 私はクロエ君を、身寄りのない可哀想な娘として、住み込みで世話を焼いてもらうために……」
「しかし父上。クロエ殿のあの献身ぶり、どう見ても父上を慕っておられます。借金も綺麗に清算し、若い娘を一つ屋根の下に囲っておいて『何もない』では、かえってクロエ殿の世間体が……」
ディランが真面目腐った顔で説教をしていると、襖の奥から、お盆を持ったクロエがポロポロと大粒の涙をこぼしながら現れた。
「こ、コリン様……っ。私を、お嫁さんにはしてくださらないのですか……?」
「ク、クロエ君!?」
「借金まで肩代わりしていただいて……私、コリン様のためなら身も心も捧げる覚悟でしたのに……っ」
クロエはその場にへたり込み、顔を覆って泣きじゃくった。
「私を嫁にしてくださらねば、親に売られた私には、もう帰るところもありません! コリン様に捨てられるくらいなら、いっそここで舌を噛んで死ぬしか……」
「ま、待ちなさいクロエ君! 早まるな!」
かつて数多の刺客や剣豪を葬ってきた達人も、恋に盲目となった十六歳の娘の捨て身の泣き落としの前には、完全に形無しであった。
コリンは頭を掻きむしり、大きなため息を吐いた。
水のように形を変え、いかなる状況にも自然体で適応する『融通無碍』の境地にあるコリンは
(……やれやれ。老い先短い身とはいえ、助けた命を見捨てるわけにもいかんな)
コリンはスッと姿勢を正すと、泣いているクロエの小さな手を優しく握った。
「……私のような枯れ切った年寄りで、本当に後悔しないのだな?」
「っ……! はい! 絶対に、後悔なんてしません!」
クロエが涙で顔をくしゃくしゃにしながら力強く頷くと、コリンは渋く、だがどこまでも温かい笑みを浮かべた。
「そうか。それも良かろう。……命ある限り、お前を大切にすると約束しよう」
「コリン様ぁっ……!」
クロエがコリンの胸に嬉し泣きしながら飛び込み、コリンも「やれやれ」と苦笑しながらその背中をポンポンと撫でた。
「父上……。おめでとうございます」
生真面目なディランが、両手をついた。
こうして、王都の裏表で最強と謳われた老剣客の隠居所は、年の差を超えた若く可愛らしい『新妻』を迎え、誰も予想しなかった遅すぎる春の香りに、ポカポカと包まれていくのだった。
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