暴れん坊っぽくない王
王都の喧騒が静まり返る、深夜の王城。
新王オズワルドの執務室の窓から、音もなく二つの黒い影が滑り込んだ。
「――夜分遅くに失礼いたします、上様」
「お呼びにより、参上いたしました」
影の正体は、かつて王都撃滅隊の密偵として暗躍し、現在は新王直属の諜報部隊となった『風鴉』の頭ランスと、その妻カレンである。
「ご苦労様です、二人とも。それで、例の件はどうなりましたか?」
山積みの書類から顔を上げたオズワルドは、絹糸のような金髪を揺らして尋ねた。かつて最高裁判官として赴任したばかりの頃に演じていた病弱な振る舞いはとうに捨て去り、その瞳には王たる鋭い覇気が宿っている。
ランスは片膝をついたまま、重々しい口調で報告を始めた。
「陛下の懸念通りでした。反公爵派の残党である高位貴族たちが結託し、王都奉行キンズリー閣下の『暗殺計画』を企てています」
「……ほう」
オズワルドの端正な顔から、スッと感情が消え失せた。
「奴らの狙いは、奉行所のトップのすげ替えです。キンズリー閣下は私欲が全くなく、法に厳格すぎるため、裏社会の悪党どもから貴族へ流れる『賄賂』のパイプが完全に絶たれてしまっているのです」
「なるほど。自分たちの懐を潤すために、清廉なる法の番人を消そうというわけですか。……呆れた愚か者たちだ」
オズワルドは静かに立ち上がると、執務机の脇に立てかけてあった愛用の杖を手に取った。
「実行犯は、彼らが裏で雇った凄腕の暗殺教団。決行は明後日の夜とのことです」
「詳細な報告、大儀です。……ランス、カレン。今日から明後日まで、キンズリー奉行の身辺警護を厳重に。暗殺教団の相手はあなたたちに任せます」
「はっ! ……しかし陛下、首謀者である高位貴族たちはどうなさるおつもりで?」
ランスが尋ねると、オズワルドは杖の柄を撫でながら、無邪気な子供のように目を細めて微笑んだ。
「決まっています。彼らには、私が直々に『お裁き』を下しに行きますよ」
「……へ、陛下ご自身が、ですか!?」
驚く密偵夫婦をよそに、新王は楽しそうにクスクスと笑う。
「ええ。前々から言っていたでしょう? 私も一人撃滅隊ごっこ(・・・・・・・・)をやってみたかったんですよ。それに、公爵閣下が苦労して残した『法の番人』を、つまらない私欲で殺されては堪りませんからね」
その底知れない笑顔に、百戦錬磨の密偵であるランスたちでさえ、背筋に冷たい汗を伝わせるのだった。
その日の深夜。
王都の一等地にある、首謀者バレット侯爵の豪邸。
地下の隠し部屋では、数人の高位貴族たちが高級なワイングラスを傾け、下劣な笑い声を上げていた。
「ひはは! 明後日には、あの目障りな王都奉行は死体となっていることだろう!」
「ええ。あの遊び人上がりの男が奉行になってからというもの、我々のシノギは減る一方でしたからな。新しい奉行には、我々の息のかかった者を据えましょう」
「あの新王など、飾りにすぎん。実権は我々が握るのだ!」
バレット侯爵が高らかに宣言し、貴族たちがグラスを合わせようとした――その瞬間。
「……夜更けに楽しそうな宴ですね。私も混ぜていただけますか?」
ヒュンッ!!
静かで丁寧な声と共に、部屋の空気を裂くような銀色の閃光が走った。
直後、バレット侯爵が手にしていたワイングラスが、見えない刃に斬り裂かれたように真っ二つに割れ、赤い液体が絨毯にぶちまけられた。
「なっ!? 誰だ!!」
貴族たちが弾かれたように振り返る。
重厚な扉の前に立っていたのは、王冠も豪奢なマントも羽織らず、動きやすい夜会服に身を包んだ青年。
「……貴族の身でありながら法を蔑ろにし、あまつさえ我が忠臣を亡き者にしようと企てるとは」
青年は杖から引き抜いた細剣の切っ先を下げ、冷ややかな瞳で悪党どもを見据えた。
「……余の顔を見忘れたか?」
「お、オズワルド国王陛下……!?」
「いや、まさか、上様……っ!? なぜ護衛もつけずにこのような場所に……っ!」
信じられないものを見るように目を見開く貴族たち。
玉座に座る絶対権力者が、真夜中の隠し部屋に単身で乗り込んでくるなど、常識ではあり得ない事態である。
このままでは、国家反逆罪で一族郎党皆殺しにされる。
極限の恐怖と焦燥に駆られたバレット侯爵は、脂汗をダラダラと流しながら、血走った目でオズワルドを指差した。
「ええい、惑わされるな! こんなところに上様が来るはずがない!」
「バ、バレット卿!? なにを言うのだ、あれはどう見ても……!」
「黙れ! 玉座に座す上様が、夜更けに単身で剣を振るうなどあり得ん!」
政治的生命、いや自らの命を繋ぐための、悪党のあまりにも苦しい、だがそれしかない最期の詭弁。バレット侯爵は私兵たちに向けて、声を裏返らせながら絶叫した。
「その男は上様の偽物だ! 容赦は要らぬ、斬り捨てい!!」
「おおおおっ!!」
侯爵の号令に従い、隠し部屋に控えていた十数人の私兵たちが一斉に武器を抜き、オズワルドへと殺到する。
「……愚かな」
オズワルドは短く吐き捨てると、誰に命じるでもなく、自身の中で静かに唱えた。
「成敗」
直後、オズワルドの姿がブレた。
王宮剣術の極致。一切の力みも、足音すらもない、死の舞踏。
「ぎゃあっ!」
「ひぃっ! 剣が、見えねえっ……!」
悲鳴はほんの数秒で途絶えた。
オズワルドの流麗な連続突きは、私兵たちの急所を正確に穿ち、彼らは手も足も出ないまま、崩れ落ちるように床へ沈んでいった。
「ば、馬鹿な……っ」
腰を抜かして震えるバレット侯爵と貴族たち。彼らはすでに知っていたはずだった。玉座に座るこの青年が、歴戦の撃滅隊すら戦慄するほどの『本物の化け物』であるという事実に。それを己の都合の良いように軽視した代償は、あまりにも重かった。
「さて。偽物に斬られる気分は、いかがですか?」
一滴の血も浴びていないオズワルドが、微笑みながら切っ先を向ける。
「ひ、ひぃぃぃっ! お、お助けを! 命だけは……っ!」
「命乞いなら、あの世で前王太子にでもしてください」
無慈悲な宣告と共に、銀色の閃刃が隠し部屋の闇を完全に切り裂いた。
桜吹雪を守る、見えざる剣
翌日の朝。王都奉行所。
執務室で書類を読んでいたキンズリーの元に、部下の役人が血相を変えて飛び込んできた。
「ほ、奉行閣下! 大変です!」
「朝から騒々しいな。どうした」
「バ、バレット侯爵をはじめとする高位貴族数名が……昨夜、それぞれの屋敷の隠し部屋で、何者かに暗殺されました! 全員、急所を一突きにされており、護衛の私兵たちも全滅です!」
「……なんだと?」
キンズリーは眉をひそめ、報告書を受け取った。
鮮やかすぎる手口。一滴の血痕も残さず、護衛ごと標的を始末するその暗殺術は、かつての『王都撃滅隊』の仕業に酷似している。
だが、撃滅隊はすでに解散し、あの恐ろしい副長も隊長も辺境へ去っているのだ。
(だとすれば……こんな大立ち回りができる規格外の化け物は、この王都に一人しかいねえ)
キンズリーはふと、昨夜から自分の周囲に『風鴉』の密偵たちが不自然なほど護衛についていることを思い出した。
点と点が繋がり、全ての事の顛末を悟ったキンズリーは、呆れたように、しかしひどく愉快そうに笑い出した。
「はっはっはっ! こいつは恐れ入った。まさか、玉座に座る一番偉いお方(上様)が、暗闇で『暴れん坊』よろしくゴミ掃除をしてくださるとはな!」
「閣下……? いったい、誰の仕業なのですか?」
不思議そうに首を傾げる部下に、キンズリーはニヤリと肉食獣のように笑って見せた。
「気にするな。王都に蔓延る『害虫』が、見えねえ大きな剣で駆除されたってだけの話さ。……俺たちは俺たちの仕事を、胸張ってやり遂げるだけだ」
キンズリーは自身の背中――東方の紅桜の刺青が彫られた背中を軽く叩き、窓の外に見える王城を見上げた。
王都の光である法を守るためなら、自ら手を汚し、影に潜ることも、偽物呼ばわりされて剣を振るうことも厭わない最強の新王。
大いなる玉座と、無敵の暗剣に守られたこの王都の平和は、誰にも脅かされることなく、確かな未来へと続いていくのだった。
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