下町の美味しいお茶と印籠
オズワルド新王が玉座に就いた王都は、かつてないほどの活気と平和を享受していた。
その新王誕生の立役者の一人である先の副王・ミッチェル大公は、次代の王を決めるという大役をすませ、すっかり肩の荷を下ろしていた。
『オズワルドも無事に王となったことだし、グランチェスター公爵も辺境へ去った。……さて、私もそろそろ再び全国漫遊の旅に戻るとしよう。だがその前に、少しだけ王都の下町をぶらぶらしていくとするか』
そんな気まぐれから、豪商の隠居風の着物を羽織ったミッチェル大公は、柔和な好々爺の顔で王都の裏通りをのんびりと歩いていた。
彼が手に持った焼き栗を頬張りながら目を細めると、その両脇に控える二人の屈強な護衛が、油断なく周囲に視線を配っている。
「ご隠居様。あまり人混みの奥へ入られますと、警護に支障が……。それに、明日の出立の準備もございます」
細身の剣士・サイラスが苦言を呈する。
「お言葉ですがご隠居様。我々はあくまで『お忍び』なのですから、あまり目立つような買い食いはお控えください」
巨漢の武漢・クラークもそれに同調した。
「はっはっは、お前たちは真面目すぎるぞ。せっかく王都が息を吹き返したのだ、旅立つ前にこの下町の活気を楽しむくらい良いではないか」
ミッチェル大公は朗らかに笑い、「さあ、あそこの茶屋で少し休もう」と歩き出した。
三人が立ち寄ったのは、大通りから一本路地に入った場所にある、小さな茶屋だった。
飾り気のない粗末な店だが、店主である初老の男と、手伝いの十歳くらいの可愛らしい孫娘が、一生懸命に客の相手をしている。
「へい、いらっしゃいませ! 熱いお茶と、名物のきなこ団子でさぁ!」
「どうぞ、お召し上がりください!」
孫娘が愛嬌たっぷりに運んできたお茶をすすり、ミッチェルはホゥと息を吐いた。
「……うむ。高級な茶葉ではないが、淹れ方が実に丁寧だ。心が温まる味がする」
サイラスとクラークも、ご隠居の隣で小さく頷きながら団子を口に運んでいる。
平和な下町の日常。しかし、そこに水を差す下劣な声が響いた。
「おいおい! いつまでこんな場所で店を開いてるんだ、ジジイ!」
ドカッ! と乱暴に店の椅子が蹴り飛ばされ、柄の悪い数人のゴロツキと、いかにも成金といった風貌の太った商人が現れた。
「ヒッ……ゴ、ゴーマン旦那……!」
店主の老人が怯えて孫娘を背中に庇う。
「ゴーマン旦那じゃねえ! この土地はすでに俺様が奉行所の役人に袖の下を握らせて、再開発の権利を買い取ったんだよ! 今日こそ立ち退いてもらうぜ!」
「そ、そんな無茶な! 私らはここで何十年も……」
「うるせえ! ええい、店をぶっ壊してやれ!」
ゴーマンと呼ばれた悪徳商人が指を鳴らすと、ゴロツキどもが一斉に店を荒らし始めた。孫娘が「やめて!」と泣き叫び、老人が突き飛ばされて地面に倒れ込む。
それを黙って見ていたミッチェル大公には大公は、手元の湯呑みをコトリ、と机に置いた。
「……折角の美味しいお茶が、台無しですな」
静かな、だが周囲の空気を一瞬にして凍らせるような声。
ミッチェルがゆっくりと立ち上がると、ゴーマンは鼻で笑った。
「ああん? なんだテメエは、ジジイ。怪我したくなかったら引っ込んで……」
「サイラス、クラーク。少し、お灸を据えてやりなさい」
ご隠居の短い命令が下った瞬間。
両脇に控えていた二人の護衛が、文字通り『風』のように動いた。
「はっ!」
サイラスの流麗な剣が閃く。ただし抜刀はしていない。鞘に納めたままの剣の腹で、ゴロツキたちの手首や膝の裏を次々と正確に打ち据えていく。
「あがっ!」「ひぃっ!」
「大人しくしろ、三下ども」
クラークが巨腕を振るい、突っ込んで来たゴロツキの胸倉を片手で掴むと、そのまま羽虫のように軽々と放り投げた。
ドガァァン! と、路地の壁に激突して白目を剥くゴロツキたち。
「な、なんだこいつら!? 強ぇ……!」
数十秒も経たないうちに、ゴーマンの連れてきた用心棒たちは全員が地面に転がり、呻き声を上げるだけの肉塊と化していた。
「ば、馬鹿な……!」
腰を抜かして後ずさるゴーマン。だが、彼はすぐに懐から奉行所の「認可状」を取り出し、顔を真っ赤にして喚き始めた。
「て、てめえら、ただで済むと思うなよ! 俺の後ろ盾には、奉行所の役人がついてるんだぞ! お前らみたいな流れ者のジジイ、すぐに牢屋にぶち込んでやる!」
悪党のテンプレのような負け惜しみに、ミッチェル大公は呆れたように首を振った。
「やれやれ。キンズリー奉行の目が行き届かない末端には、まだあのような腐った役人が残っていましたか」
ミッチェルが目配せをすると、クラークが静かに一歩前に出た。
そして懐から、漆黒の美しい装飾が施された、王家の直系であることを示す**『三つ葉の紋章』**が入った印章入れ(インロー)を取り出し、ゴーマンの目の前で高々と掲げたのである。
「ええい!控えおろう!!」
クラークの腹の底から響く怒号が、下町の路地をビリビリと震わせた。
「頭を垂れよ! この紋章が目に入らぬか!!」
「も、紋章……? そ、それは、王家の……っ!?」
ゴーマンの顔から、一瞬にして全ての血の気が引いた。
「こ、このお方をどなたと心得る! 畏れ多くも、先の王都副王であらせられる、ミッチェル大公殿下であらせられるぞ!」
「殿下の御前である! 直ちに平伏せよ!!」
サイラスとクラークの凛烈たる声が響き渡る。
王族。しかも、王都の行政を力強く牽引し、絶対的な権力を持つ伝説の副王その人。
袖の下を渡した末端の役人など、彼の前では路傍の石以下の存在である。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃっ!!」
ゴーマンは認可状を取り落とし、地面に頭を擦りつけるようにして土下座した。気絶しかけていたゴロツキたちも、慌てて這いつくばり、ガタガタと震え始める。
「お、お命だけはぁっ! も、申し訳ございません、殿下ぁっ!」
完全に平伏した悪党どもを見下ろし、ミッチェル大公はフッと穏やかな微笑みを取り戻した。
「ゴーマンとやら。お前の悪事は、キンズリー奉行に直接伝えておきましょう。その認可状の裏書きをした役人も含めて、震えて沙汰を待つことです」
「あ、あわわわわわ……っ」
あまりの絶望に泡を吹いて気絶するゴーマン。
騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた王都の警備兵たちは、ミッチェル大公の姿を見るなり青ざめて敬礼し、大急ぎで悪党どもを引きずって連行していった。
「さて。お騒がせしましたね、店主」
嵐のような出来事に呆然と立ち尽くす茶屋の老人と孫娘に、ミッチェル大公は優しく声をかけた。
「で、殿下……っ! あ、ありがとうございます!」
「実においしいお茶でした。これはお代です」
ミッチェルが机の上にそっと置いたのは、割れた椅子の弁償も兼ねた、大金貨一枚だった。
「ひぇっ!? こ、こんな大金!」
「受け取っておきなさい。これからも、王都の民にこの味を振る舞ってやってください」
ミッチェル大公は孫娘の頭をポンポンと優しく撫でると、サイラスとクラークを引き連れ、再び王都の喧騒の中へと歩き出した。
「さて。お茶を飲んだら、少し甘いものが食べたくなりましたな。サイラス、クラーク。明日の出立の前に、次は東通りの焼き菓子屋へ行くとしましょう」
「はっ。……しかしご隠居様、少しはお忍びの自覚を持っていただかないと」
「そうですぞ。これではまた、身分を明かす羽目になります」
苦言を呈する二人の忠実な護衛に、ミッチェル大公は「はっはっは!」と豪快に笑いながら答える。
「よいではないか! これから始まる長い漫遊の旅の前に、こうして悪党を懲らしめるのも、年寄りの数少ない『娯楽』というやつなのだからな!」
王都の平和を裏から――いや、真っ向から圧倒的な権力と武力で支える、最強のご隠居一行。
彼らの世直し漫遊記は、復興の進む王都を出発点として、これからも朗らかに続いていくのだった。




