巨頭の引退と玉座の継承
王都が戦の前の平穏を取り戻し、王都撃滅隊が解散してから数ヶ月。
王都の執務室で、暫定統治者であるグランチェスター公爵は、山積みの書類を前に深大なため息を吐いていた。
「……そもそも、我が公爵家が王都を仕切っているのは『緊急の対応』に過ぎません。王家の血統が途絶えたとはいえ、いつまでも私が玉座の代わりを務めるわけにはいかないのです」
公爵の望みは一つ。正当な『王』を立てて自らは隠居し、二人の娘たち――長女と、先日キースの元へ嫁いだ次女ルイーザ――が暮らす辺境の地で、のんびりと余生を過ごすことだった。
しかし、玉座を任せられるだけの実力と血筋を持つ者が、そう簡単に見つかるはずもない。
「と、悩んでおります。いかが思われますか、ミッチェル殿下?」
公爵がぼやいた視線の先。執務室のソファには、たまたま王都に滞在していた先の副王、ミッチェル大公が呑気に茶を啜っていた。そして彼の背後には、常に影のように付き従う二人の護衛――細身の剣士サイラスと、巨漢の武漢クラークが、彫像のように静かに控えている。
「はっはっは。公爵閣下ともあろうお方が、ひどくお疲れの様子ですな」
ご隠居然としたミッチェル大公は、茶菓子をつまみながらカラカラと笑った。
「悩む必要がどこにありましょう。あなたのすぐ足元に、最高の逸材がいるではありませんか。……オズワルドですよ」
「オズワルド大公殿下……!」
公爵は膝を打った。
確かにその通りだ。彼は王家の確かな血脈である上に、王立最高裁判官として王都の治安を法の下で守り抜き、有能な実績を残している。何より、あの気弱そうな顔の下に単独で部隊を殲滅するほどの理不尽な武力を隠し持っているのだ。
彼が王になるのは、あまりにも自然な流れであった。
「決まりですな。善は急げと申します、ミッチェル殿下! 逃げられる前に、あの若君を捕まえに行きましょうぞ!」
「やれやれ、強引な御仁だ。……サイラス、クラーク、お供をしなさい」
「「はっ!」」
押し付けられた王冠と、新王の密かな野望
その日の午後。
公爵とミッチェル大公という王都における二大巨頭が、二人の凄腕護衛を引き連れてオズワルド大公の屋敷に押し掛けた。
「……私が、新たな王に、ですか? ゴホッ」
応接室で二人の老獪な権力者に詰め寄られたオズワルドは、絹糸のような金髪を揺らし、困ったようにハンカチで口元を押さえた。
「なりません。私のようなひ弱な若輩者が、玉座に座るなど……。それに、公爵閣下の統治はすでに盤石ではありませんか」
「ご謙遜は不要です、オズワルド殿下。貴方の『ひ弱さ』が仮の姿であることは、とうに存じておりますぞ」
「そうですぞ、甥っ子よ。この国の未来のため、腹を括りなさい」
公爵とミッチェル大公は、オズワルドの辞退を一切許さず玉座を押し付けていく。サイラスとクラークも、背後から無言の圧を放って逃げ道を塞いでいた。
しばしの沈黙の後。オズワルドは観念したように小さく息を吐き、姿勢を正した。
「……分かりました。お二人がそこまで仰るなら、王冠をお受けしましょう。ただし」
オズワルドの青白い顔に、ふっと底知れない笑みが浮かぶ。
「一つ、条件があります」
「条件、ですか。何なりと仰ってください。予算ですか? 領地ですか?」
「いえ。……かつて解散した撃滅隊の『密偵』たち――ランス率いる風鴉の面々を、私の直属の指揮下に置かせていただきたいのです」
予想外の条件に、公爵は目を丸くした。
密偵たちは現在、奉行所の裏稼業として細々と働いているはずだ。新王直属の諜報部隊として召し上げるのは容易いが、なぜそれを第一条件にするのか。
「……何故です? 情報収集なら、正規の近衛兵や奉行所に任せれば済むでしょうに」
公爵が問うと、オズワルドは杖(の中に仕込まれた細剣)を撫でながら、無邪気な子供のように目を細めて笑った。
「いえね。私も……『撃滅隊ごっこ』をやってみたかったんですよ」
「「…………」」
密偵に悪党の情報を集めさせ、玉座を抜け出して自ら『物理的に』悪を殲滅しに行くつもりだ。
この男、根っからの武闘派である。
公爵とミッチェル大公は顔を見合わせ、引きつった笑いを浮かべながら「……承認いたしましょう」と頷くしかなかった。
数日後。
全ての権能と執務をオズワルド新王に譲り渡した公爵は、王都を出立する馬車の前に立っていた。見送りに来たのは、ミッチェル大公と、その両脇に控えるサイラス、クラークの三人だけである。
「本当に、全てを放り出して行くのですな。辺境に行って、どうするおつもりです?」
ミッチェル大公の問いに、公爵は秋空を見上げ、深く、重々しい声で語り始めた。
「……私の人生は、前半はひたすらに鍛錬と勉強の日々でした。そして次は、終わりの見えない政争に明け暮れた。だが、愛する妻を娶り、二人の可愛い娘を授かり、本当に幸せだった……」
公爵の目に、僅かに涙が浮かぶ。
「妻が死してからは、この濁った世界から身を引こうと考えておりました。だが、大戦争が起き、終戦後も荒廃した王都を立て直すため、身を粉にして働かねばならなかった。さらには、自身の利益しか考えぬ古狐(貴族)どもとの、醜い綱引きです」
公爵は大きく息を吸い込み、吐き出した。
「……もう、ウンザリなのです。政治も、権力も、争いも。これからの余生は、静かな辺境の地で、畑を耕し、本を読む。そんな晴耕雨読の生活でのんびりと過ごしたいのですよ」
国の重鎮としての責任を全うした男の、哀愁漂う引退の辞。
ミッチェル大公も深く胸を打たれ、「そうでしたか……。長きに渡る重責、本当にお疲れ様でしたの」と頭を下げた。サイラスとクラークも、名君の引退に深く敬礼する。
しかし。
馬車に乗り込んだ公爵が、扉が閉まった瞬間に浮かべた顔は、先ほどの哀愁など微塵もない、だらしなく蕩けた『ただの好々爺』の顔だった。
(くくくっ……! はーっはっはっは!)
公爵の懐には、数日前に辺境から届いたばかりの、一通の手紙が入っていた。
そこには、長女とレオンハルトの間に『初孫が生まれた』という、歓喜の報せが記されていたのである。さらには、次女ルイーザも辺境へ移り住んだばかりだ。
(晴耕雨読? 誰がそんな退屈なことをするものか! わしはただ孫の世話を四六時中したくてしたくて仕方がないだけなのだ!)
そう、彼が王都の権力も玉座も全てをオズワルドに放り投げ、光の速さで引退を決意した『本当の理由』。
それは、重圧からの解放でも政治への嫌悪でもなく、ただ単に「重度の孫フィーバー」が発症したからに他ならなかった。
「出立せよ! 最速で辺境へ向かうのだ!」
「は、はいっ! 閣下!」
王都の未来を新しき王と頼もしき同志たちに明け渡し、元・暫定統治者の馬車は、愛する娘たちと待望の孫が待つ辺境の地へ向けて、爆風のような勢いで駆け出していくのだった。
とりあえず今までの流れでオールスターなので、色々書けそうだと思い、続けさせていただきます。めっちゃ悪者死にます、これから。




