泥だらけのプロポーズ
王都は、かつての美しさと活気を完全に取り戻していた。
撃滅隊による悪の徹底的な排除、王都奉行所による正常な法の執行、そしてオズワルド大公らによる厳正な裁き。さらに闇に潜む密偵や仕置人たちの暗躍もあり、王都を蝕んでいた腐敗の根はことごとく断たれた。
グランチェスター公爵の統治は盤石なものとなり、街には再び人々の明るい笑い声が溢れるようになった。
しかし、王都が「平時」の姿を取り戻したということは、一つの事実を意味していた。
王都撃滅隊は、非常事態に即応し、法を越えて悪を討つための『超法規機関』である。彼らが持つ『悪即斬』の権能は、平和な時代においてはあまりにも強大で、危険すぎた。
そう――王都撃滅隊は、見事にその役目を終えたのである。
秋も深まる頃、撃滅隊の屯所で厳かな解散式が行われた。
だんだら模様の制服を脱ぎ、各々の居場所へと帰っていく隊員たちを笑顔で見送った夜。隊長室では、ルイーザとキースが二人きりで静かに向かい合い、ささやかな盃を交わしていた。
「……終わりましたわね、キース」
「ええ。長くて、血生臭くて、最高の任務でしたよ、隊長殿」
グラスを合わせ、琥珀色の酒を煽る。
数え切れないほどの死線を共に超え、互いの背中を預け合ってきた二人。その胸の内には、言葉にし尽くせないほどの深い愛情と、離れ難い思いが渦巻いていた。
だが、二人の間にはどうしても越えられない『壁』が存在していた。
「キース。……貴方はこれから、どうするつもりですか?」
「俺は、レオンハルト様のいる辺境へ戻ります。猟師をしたり、野菜を作ったりしながらのんびり暮らして……必要な時だけ、また辺境の影として働く元の暮らしに戻るつもりです」
キースの答えに、ルイーザは寂しそうに目を伏せた。
彼女は、大貴族グランチェスター公爵家の令嬢。対してキースは、辺境伯に拾われた孤児であり、一代限りの名誉男爵に過ぎない。平時において、二人が結ばれることなど、貴族社会の常識が絶対に許さないのだ。
「……そうですか。辺境の冬は厳しいと聞きます。どうか、お体に気をつけて」
「隊長殿も。……これからは大剣じゃなく、綺麗なドレスを着て、光の当たる道を真っ直ぐ歩いてください」
キースがいつものように艶やかに微笑むが、その瞳の奥には隠しきれない寂寥が滲んでいた。
「ええ。……今まで、本当にありがとう。私の誇り高き副長」
決して「行かないで」とは言えない。
互いの幸せを祈りながら、二人は静かに、そして永遠の別れを告げたのだった。
それから一月後。
雪の足音が近づく辺境の小さな村で、キースは粗末な農作業着に身を包み、黙々と畑の土を耕していた。
かつて王都の闇を震え上がらせた凄腕の暗殺者は、すっかり泥に塗れた一人の農夫へと戻っていた。
「……ふぅ。そろそろ大根が……ん?」
静かな辺境の風景には全く似つかわしくない、車輪の音が響いてきた。
顔を上げると、土煙を上げて一台の豪奢な馬車が猛スピードで走ってくるのが見えた。馬車はキースの畑の前で急停車し、バタンッ! と勢いよく扉が開く。
「キーーースッ!!」
中から飛び出してきたのは、上等なフリルのついたドレスに身を包んだ、ルイーザだった。
「は……? た、隊長殿!? なぜ辺境に……!」
驚きのあまり持っていた鍬を取り落とすキース。
ルイーザは息を弾ませながら畑の畔まで駆けてくると、両手に腰を当てて胸を張った。
「来ちゃいましたわ!」
「来ちゃいましたわって……公爵令嬢が護衛もつけずに一人で何をしてるんです! お父上や奉行の旦那が心配しますよ!?」
「関係ありませんわ! だってわたくし、公爵家から籍を抜いてきましたから!」
「……はい?」
あまりの爆弾発言に、キースは間の抜けた声を上げた。
「王都を救ったこれまでの武勲と引き換えに、お父様に願い出たのです! 公爵家からの離籍と、爵位の返上を!」
「……ぶっ、ははははっ!」
キースはたまらず腹を抱えて吹き出した。
「普通、逆じゃないですか? これだけの武勲を立てたら、褒美として爵位や領地を賜るもんでしょう。全てを返上する馬鹿がどこにいますか」
「ここにいますわ! 全てはこのためです!」
ルイーザは顔を真っ赤にしながら、ビシッとキースを指差した。
「わたくしは今やただの平民ですわ! お金も地位も、帰る場所もありません! ですから……貴方がわたくしをお嫁さんにして、一生養ってくれなければ、路頭に迷ってしまいますわよ!」
それは、かつての気高き大剣令嬢による、人生の全てを懸けた脅迫だった。
身分の壁が邪魔なら、自らその壁を壊してしまえばいい。彼女らしい、不器用で、真っ直ぐで、あまりにも愛おしい強行突破。
キースの胸の奥から、熱いものが込み上げてきた。
「……本当に、敵わないな。アンタには」
キースは優しく微笑むと、泥だらけのズボンのまま、ルイーザの前に片膝をついた。
「キース……?」
「地位も名誉も捨てて俺のところへ来てくれた、世界で一番美しくてお転婆なお姫様。……こんな泥だらけの男でよければ、一生、俺の隣で笑っていてくれませんか」
「っ……!」
ルイーザの大きな瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
彼女は「はいっ!」と力強く頷くと、泥だらけのキースの胸に、躊躇うことなく思い切り飛び込んだ。
「うわっ、ちょっとルイーザ! 俺、今畑仕事の途中で、土塗れ……っ!」
「そんなこと、どうでもいいですわ!」
ルイーザがキースを強く抱きしめると、彼女が着ていた上等なドレスには、べったりと黒い泥がついてしまった。
それを見たキースが呆れたように笑い出し、ルイーザもまた、涙と泥で顔をくしゃくしゃにしながら、声を出して笑い合った。
――王都の闇を切り裂き、悪を震え上がらせた最強の二人。
「一騎当千の化け物」と呼ばれた大剣令嬢と、「底知れぬ暗殺者」と恐れられた副長の姿は、もはやどこにもない。
辺境の冷たい風の中、泥だらけになって抱き合い、ただ無邪気に笑い合う一組の男女がいるだけだった。
その後、王都で数々の武勇伝を残した彼らが、辺境の地で誰よりも仲睦まじい『おしどり夫婦』として、生涯を温かく穏やかに添い遂げたことは、言うまでもない。
(完)
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白かった!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!
次回作もどうぞよろしくお願いします。




