月下のワルツ
「……というわけで。明晩、旧市街の迎賓館で開かれる夜会に、わたくしとキースで潜入しますわよ」
王都撃滅隊の隊長室。
ルイーザが机の上に広げたのは、金箔があしらわれた豪奢な招待状だった。
「他国の要人も招かれる大規模な夜会ですが……裏では、最近王都を騒がせている『違法な軍用魔石』の大規模な密取引が行われるという情報が、公爵から入りましたの」
「なるほどね」
ソファに座っていたキースが、招待状を指先で弾く。
「主催の侯爵は、お堅い表の顔の裏で真っ黒な商売をしているってわけだ。……で? 隊長殿は『グランチェスター公爵令嬢』として堂々と正面から乗り込むとして、俺はどうするんです?」
「当然、わたくしのエスコート(パートナー)として同行してもらいます。あなたなら夜会服の着こなしも社交の作法も完璧でしょう?」
ルイーザが胸を張って答えると、キースは「光栄ですね」と艶やかに笑った。
「了解しました、お嬢様。……たまには血生臭い路地裏を離れて、華やかなお城の舞踏会と洒落込みましょうか」
翌日の夜。
迎賓館の入り口には、王都の有力貴族たちを乗せた豪華な馬車が次々と到着していた。
「……ああっ、やっぱり落ち着きませんわ! この背中のスースーする布地の少なさといい、大剣を背負っていない心細さといい……!」
控室で、ルイーザは落ち着きなくドレスの裾をいじっていた。
彼女が身に纏っているのは、夜空を思わせる深いミッドナイトブルーのイブニングドレス。鍛え上げられたしなやかな背中と、美しいデコルテが大胆に露わになっており、普段の無骨な軍服姿からは想像もつかないほど、息を呑むような華やかさを放っていた。
「キース? わたくし、こんな格好で浮いていませんこと?」
不安げに振り返るルイーザ。
その姿を見た瞬間――控室に入ってきたキースの足が、ピタリと止まった。
彼は仕立ての良い漆黒の夜会服を見事に着こなし、普段の緩く結んだ髪を後ろで綺麗に撫でつけていた。まるでどこかの国の王族かと思うほどの美丈夫ぶりだが、今の彼は、ルイーザから目を逸らすことができなかった。
(……まいったな。綺麗すぎだろ、うちの隊長殿)
普段からからかい半分で「俺のお姫様」と呼んではいるが。
純粋な美しさに洗練されたドレスが合わさった彼女の姿は、暗殺者の冷たい心臓を跳ねさせた。
「……キース?」
「あ、ああ。いえ……」
キースはわざとらしく咳払いをし、いつもの艶やかな笑みを貼り付けた。
「ええ。浮くどころか、今夜の夜会で一番美しいのは間違いなく貴女ですよ、ルイーザお嬢様。……あんまり綺麗すぎて、他の男の視線を集めるのが少し腹立たしいくらいですね」
「なっ……! ま、またそうやってからかって!」
顔を真っ赤にするルイーザに、キースは優雅に歩み寄り、その手を取って恭しく口付けを落とす。
「からかってなんかいませんよ。さあ、行きましょうか」
華麗なシャンデリアが照らす、迎賓館の大広間。
楽団が優雅なワルツを奏でる中、ルイーザとキースが会場に足を踏み入れると、周囲の貴族たちの視線が一斉に二人に釘付けになった。
「あれは……公爵家のご息女か? なんという美しさだ」
「隣にいるエスコートの殿方も、恐ろしく洗練されている。どこの貴公子だ?」
ざわめきをよそに、二人は自然な笑みを浮かべたまま、広間の中央へと進み出た。
「……標的の侯爵は、二階のバルコニー席で他国の商人らしき男と談笑していますわね」
ダンスの輪に加わりながら、ルイーザが扇子で口元を隠して小声で囁く。
「ええ。取引の時間は、夜会が一番盛り上がる一時間後。場所は恐らく、警備の薄い地下のワインセラーでしょう。……外にはガルドたちを待機させてあります」
キースがルイーザの腰に手を回し、流麗なステップで彼女をリードする。
「ルイーザ。アンタはここで、公爵令嬢として侯爵の注意を惹きつけておいてください。……地下の『お掃除』は、俺一人で片付けてきます」
「一人で大丈夫ですの? 相手は重武装の傭兵を雇っているはずですわよ」
心配そうに見上げるルイーザに、キースはダンスのステップに合わせるように、彼女の耳元へ顔を寄せた。
「俺を誰だと思ってるんです? ……綺麗に掃除してきますよ」
その甘く、同時に氷のように冷たい暗殺者の声に、ルイーザは小さく頷いた。
一時間後。
迎賓館の地下にある、薄暗いワインセラー。
他国の商人と侯爵の部下たちが、大量の軍用魔石が詰まった木箱を開け、分厚い札束と交換しようとしていた。
「よし、取引成立だ。急いで馬車へ運べ」
部下が指示を出そうとした、その瞬間。
プツンッ、とワインセラーの灯りが全て消え去った。
「なっ!? なんだ!」
「おい、松明を……」
暗闇の中で、微かな『風を切る音』が響いた。
直後、「ぐふっ」「あがっ……」というくぐもった短い呻き声が連続して上がり、重たい物が床に崩れ落ちる音が響く。
「ひぃっ!? だ、誰かいるのか!」
商人が腰を抜かして叫ぶ。
再び灯りが点いた時。
そこには、十数人いたはずの屈強な傭兵たちが、全員白目を剥いて床に転がっていた。流血は一切ない。全員が、首筋や鳩尾などの急所を『峰打ち』や『麻酔針』で正確に突かれ、気絶させられていたのだ。
そして、その中央。
違法魔石の木箱の上に腰掛け、漆黒の夜会服を纏ったキースが、手の中で艶やかなナイフを弄びながら冷酷に見下ろしていた。
「さて、と。……あそこの広間じゃ、俺の大切な人が退屈してるんでね。手短に終わらせてもらうぜ」
「ひぃぃぃっ!!」
キースがスッと立ち上がった瞬間、商人たちは絶望的な悲鳴を上げた。
表の広間では、ルイーザが優雅に扇子を揺らしながら貴族たちの相手をしている。その足元の深い暗闇で、キースの情け容赦ない『お掃除』が、誰一人気づくことのないまま、わずか数分で完璧に完了したのである。
「お待たせしました、お嬢様。……飲み物を探すのに少し迷ってしまいまして」
ワルツの曲が終わった頃。
ルイーザの元へ、グラスを二つ持ったキースが涼しい顔で戻ってきた。その夜会服には、シワ一つ、血の汚れ一つ付いていない。
グラスを受け取りながら、ルイーザは小さく微笑んだ。
「……ご苦労様。迷子は無事に見つかりましたの?」
「ええ。ネズミどもは全員縛り上げて、裏口で待機していたガルドたちに引き渡しました。押収した魔石と帳簿も、すでに奉行所へ向かっていますよ。あとは、上のバルコニーで呑気にワインを飲んでいる侯爵を、明日白州に引きずり出すだけです」
「完璧ですわね」
ルイーザが扇子の陰でウインクをする。
スパイ顔負けの鮮やかな連携による、誰にも気づかれない完全犯罪の阻止。撃滅隊の面目躍如だった。
「さあ、俺たちの仕事は終わりました。帰りましょうか、お姫様」
帰りの馬車の中。
夜の王都を走る車内は、先ほどの喧騒が嘘のように静まり返っていた。
「ふぅ……っ。やっぱり、こういう窮屈なドレスより、制服の方が落ち着きますわ」
ルイーザが大きく伸びをして、ヒールの高い靴を脱ぎ捨てる。
向かいの席に座るキースは、窓の外を流れる街灯の光に照らされる彼女を、じっと見つめていた。
「……キース? 私の顔に、何か付いていますか?」
「いや」
キースはふっと微笑むと、夜会服の襟元を少し緩め、低い声で囁いた。
「ただ……今夜のアンタは、本当に綺麗だったなって、そう思って」
「っ……!」
いつものおふざけやからかいではない、真っ直ぐで真剣な瞳。
その言葉の熱に当てられ、ルイーザの顔がボンッと音を立てるように限界まで赤く染まった。
「あ、あなたという人は……! そういうことを、平然とした顔で……っ! ばか!」
ルイーザは照れ隠しに、持っていた扇子でキースの肩をポカポカと叩く。
「痛い痛い。本音を言っただけなのに、理不尽だなぁ」
キースは笑いながら、その小さな手をそっと掴み、再びその甲に優しい口付けを落とした。
表では華麗に舞い、裏では容赦なく闇を切り裂く。
二つの顔を持つ撃滅隊の相棒たちは、馬車の揺れに身を任せながら、甘く、そして心地よい疲労感と共に、夜の王都を駆け抜けていくのだった。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




