絹織物問屋の御一行
復興の槌音が響く王都の表通り。
ルイーザとキースは、非番のパトロールと称して賑わう市場を歩いていた。
「平和ですわね、キース。こうして活気ある街並みを見ていると、私たちの戦いも無駄ではなかったと思えますわ」
「ええ、そうですね」
微笑むルイーザの横で、キースはふと足を止めた。
人混みの向こうから歩いてくる『三人組』とすれ違った瞬間、暗殺者としての本能が警鐘を鳴らしたのだ。
一人は、豪商のご隠居と思われる、穏やかな好々爺。
その両脇を、屈強な二人の男が甲斐甲斐しく護衛している。一見すれば、ただの裕福な商人の一行だ。
だが、キースの目には全く違って映った。二人の護衛の歩法には一切の隙がなく、ご隠居の微笑みの奥には、底知れない覇気が隠されている。
(……只者じゃない。どこの組織の幹部だ?)
キースが振り返ろうとした、その刹那。
「――王都の治安維持、ご苦労様です。副長殿」
「っ……!」
キースは背筋に氷を当てられたような悪寒を覚え、弾かれたように振り返った。
この俺の背後を取るなど、余程の達人でなければ絶対に不可能。しかしそこには、先ほどまでご隠居の横にいたはずの護衛の一人が、音もなく立っていたのである。
「驚かせて申し訳ない。私たちは、あの老人の護衛でしてね」
男は柔和に笑いながら、キースの手にずっしりと重い革袋を押し付けた。
「元々は地方で絹織物問屋を営んでおりましたが、帝国との戦乱で国が荒れたと聞き、何かこの国のためにできぬかと王都へ参りました。それに……少々ご挨拶をしなくてはならない方が、最高裁判官として王都に赴任されたと聞きましてね」
「……挨拶、だと?」
オズワルド大公のことを言っているのか。キースが探るように目を細めると、男は恭しく一礼した。
「あなた方、王都撃滅隊の活躍は聞き及んでおります。これはせめてもの好意、復興と治安維持の資金にお役立てください」
男はそれだけ言い残すと、瞬きする間に人混みへと溶け込み、ご隠居たちの元へと戻っていった。
「キース? どうしましたの、急に立ち止まって」
「……いや。とんでもない『化け物』が、世の中にはまだまだいるもんだなと思ってね」
キースは手の中の革袋――大量の大金貨が詰まったそれを見つめながら、冷や汗を拭った。
それから数日後。
王都撃滅隊の屯所に、凶悪な人攫い集団に関する急報が飛び込んできた。
潰したはずのマフィアの残党が、スラムの孤児たちをかき集め、他国へ奴隷として売り飛ばそうとしているというのだ。
「許せませんわ……! 子供たちを狙うなんて、人間のクズです! 第一部隊、直ちに出撃しますわよ!」
ルイーザが大剣を背負い、キースやガルドたちと共に、人攫いのアジトである廃教会へと急行した。
「踏み込むぞ!」
扉を蹴り破り、突入したルイーザたち。
しかし、そこで彼らが目にしたのは、予想とは全く違う光景だった。
「ひぃぃっ! な、なんだこいつら、強すぎる!」
「た、助けてくれぇっ!」
数十人はいるはずの凶悪な人攫いどもが、たった『三人』の男たちによって次々と宙を舞い、床に叩きつけられていたのである。
「あれは……先日のご隠居!」
キースが驚きの声を上げる。
教会の祭壇の前で子供たちを背に庇いながら立っていたのは、先日市場ですれ違った『絹織物問屋のご隠居』だった。
「サイラス、クラーク。やっておしまいなさい」
ご隠居が穏やかな、しかし威厳のある声で命じる。
「はっ!」
護衛の男――サイラスと呼ばれた細身の剣士が、流麗な剣捌きで悪党どもの武器を次々と弾き飛ばす。
もう一人の護衛――クラークと呼ばれた巨漢の男が、素手で悪党の胸倉を掴み、豪快に投げ飛ばして壁を粉砕する。
圧倒的。
撃滅隊の精鋭であるガルドやシオンですら息を呑むほどの、洗練された見事な強さだった。キースとルイーザは、助太刀することすら忘れて、その美しい連携に見入ってしまった。
しかし、人攫いどももしぶとく、隠し持っていたクロスボウを一斉に構え始めた。
「チィッ、矢を放て! 蜂の巣にしてやる!」
さすがに多勢に無勢か。キースがナイフを抜き、ルイーザが大剣を構えて加勢しようとした、その時。
「――もういいでしょう」
ご隠居がスッと手を挙げ、戦いを制止した。
その言葉を受け、巨漢の護衛クラークが、懐から『ある物』を取り出し、人攫いどもに向けて高々と掲げた。
それは、漆黒の美しい装飾が施された、王家の直系であることを示す『三つ葉の紋章』が入った印章入れ(インロー)だった。
「控えい!控えい!控えおろう!!」
クラークの腹の底から響くような一喝が、廃教会をビリビリと震わせる。
「頭を垂れよ! この紋章が目に入らぬか!!」
その紋章を見た瞬間、ルイーザはハッと息を呑み、その場に片膝をついた。王都の裏社会で生きる悪党どもすら、その紋章が意味する『絶対的な権力』を知らない者はいない。
「このお方をどなたと心得る! 畏れ多くも、先の王都副王であらせられる、ミッチェル大公であらせられるぞ!!」
「「「なっ……!?」」」
ミッチェル大公。オズワルド大公の身内であり、かつて王都の行政を力強く牽引し、民から絶大な支持を得ていた伝説の王族。
「ええい! 頭が高い! 殿下の御前であるぞ!」
クラークの怒号に、人攫いどもは完全に戦意を喪失し、武器を取り落として床に額を擦りつけた。
「ひ、ひぃぃっ! お、お命だけはぁっ!」
「まさか、本物の大公殿下だなんて……っ!」
完全に制圧された悪党どもを見下ろし、ミッチェル大公はフッ、と優しく微笑んだ。そして、呆然と立ち尽くすキースと、片膝をついて首を垂れるルイーザの方へと歩み寄った。
「面を上げなさい、ルイーザ隊長」
「み、ミッチェル大公殿下……っ。まさか、殿下ご自身がこのような危険な真似を……」
「はっはっは、少し王都の風を感じたくてね。それに、我が甥が裁判官として立派にやっているか、見極めに来たのですよ」
ミッチェル大公は、怯える孤児たちの頭を優しく撫でると、キースの方を向いてウインクをした。
「さて。悪党どもの始末と、この子たちの保護……王都撃滅隊の皆さんに頼みましたよ」
「……はっ。御意のままに」
キースが恭しく頭を下げると、ご隠居――ミッチェル大公と二人の護衛は、満足そうに頷き、どこへともなく悠然と立ち去っていった。
残された廃教会には、平伏したまま震え続ける悪党どもと、呆気にとられる隊員たちだけが残された。
キースは苦笑しながら、ナイフを鞘に納めた。
「どうやらこの国には、俺たち撃滅隊が出る幕もないほどの『化け物』が、まだまだたくさん隠居しているらしいな」
気弱な顔をして軍隊を一人で殲滅する最高裁判官に、身分を隠して悪党を素手で叩きのめす先の副王。
圧倒的な実力と権力を持つ規格外の老人たちの背中を見送りながら、キースとルイーザは、この王都の底知れない奥深さに、ただただ感嘆の息を漏らすのだった。
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