月夜に隠した本音
普段の王都撃滅隊の屯所では、ルイーザに対して、キースはそこまで敬語は使わないが、行動においては常に「一歩引いた」態度を崩さなかった。
「キース副長、この報告書ですが、一緒に確認してくださる?」
「お気遣いなく、ルイーザ隊長。公爵家のお嬢様に、泥棒の調書などという薄汚いものを読ませるわけにはいかない。こっちは俺が処理しておくから、隊長は温かい紅茶でも飲んで休んでいてくれ」
キースはそう言って、ルイーザの机から書類をスッと持ち去ってしまう。
態度は静かで落ち着いているが、徹底して『影の裏稼業』から『表の貴族』を遠ざけようとし、決して踏み越えてはいけない一線を自ら引いているようだった。
「……もう。キースはいつも、そうやって見えない壁を作りますのね」
淹れてもらった紅茶のカップを両手で包みながら、ルイーザは少しだけ唇を尖らせた。
公爵令嬢という身分が邪魔をして、大切な仲間の彼に、泥を被る仕事を一人で抱え込まれていることが、どうしようもなく寂しかったのだ。
――だが。
いざ『任務』の合図が鳴り響けば、二人の間のその壁は一瞬にして消え去る。
「――ルイーザ、右上の足場だ! 弓兵が三人いる!」
「ええ、分かっていますわ!」
王都の外れ、凶悪な武装強盗団の拠点である廃砦。
怒号と剣戟が飛び交う戦場のど真ん中で、ルイーザの振るう大剣が旋風を巻き起こしていた。
「死ねぇっ、小娘!」
「死ぬのは貴方たちの方ですわ!」
正面から殺到する巨漢の男たちを、ルイーザは正面から大剣で弾き飛ばす。
その直後、死角である頭上の足場から、ルイーザの頭を狙って毒矢が放たれた。
しかし、ルイーザは上を振り向くことすらしない。
彼女には確信があった。己の背後と死角の闇には、絶対に信頼できる『影』がいると。
「……よそ見は禁物だ」
ヒュンッ!
毒矢がルイーザに届くよりも早く、闇の中から投擲された数本のナイフが、足場にいた弓兵たちの喉を正確に貫いていた。
音もなく飛び降りてきた黒い将校服――キースが、ルイーザと背中合わせになるように着地する。
「正面は任せましたわよ、キース!」
「ああ。影のネズミは俺が全部潰す。思う存分暴れてこい、隊長殿」
そこには、身分の差などというちっぽけな壁は一切ない。
互いの命を完全に預け合い、言葉すら交わさずに死角を補い合う。幾度もの危険な任務と死線を共に潜り抜けてきたからこそ培われた、究極の信頼関係がそこにあった。
一時間の後。武装強盗団は完全に制圧された。
激しい戦闘を終え、隊員たちが後処理に奔走する中、砦の裏手でルイーザは小さな声を上げた。
「キース……! あなた、腕から血が!」
「ああ、これか。最後の残党が隊長を背後から刺そうとしたんでな。少し庇った時に掠っただけだ。大した傷じゃない」
キースの黒い将校服の袖が裂け、そこから赤い血が滲んでいた。
痛みを微塵も感じさせないいつもの態度とは裏腹に、ルイーザは顔色を変え、すぐさま自分の清潔なハンカチを取り出した。
「大したことないわけありませんわ! 貸しなさい、すぐに止血しますから!」
「……よせ、隊長。公爵令嬢が、俺のような裏の男の血に触れるべきじゃない」
「黙りなさい!」
いつものように自らの血の汚れを理由に引こうとするキースの手首を、ルイーザはギュッと強く掴んだ。
その大きな瞳には、今にも零れ落ちそうな大粒の涙が浮かんでいた。
「わたくしのために傷を負った身内を放っておくなんてありえませんわ! 身分なんて関係ありません……っ、あなたが傷つくのは、わたくしが怪我をするよりずっと痛くて、嫌なんですの!」
必死にハンカチを腕に巻きつけるルイーザ。
その愛嬌のある顔をくしゃくしゃにして、不器用に、けれど真っすぐに自分を案じてくれる彼女の姿に、キースは小さく息を飲んだ。
自分は男爵に叙爵されたとはいえ、相手は「公爵令嬢」身分が違いすぎる。
しかし、そんな名目でどれほど壁を作って遠ざけようとしても、彼女はこうして、温かい体温と共に無理やり壁を壊して飛び込んでくる。
「……まったく、敵わないな」
キースは諦めたように吐息を漏らすと、空いた方の手でルイーザの頭をそっと撫でた。
からかうような手つきではない。一人の男としての、思いのこもった手つきだった。
「キース……?」
「俺の命も、この身も、とっくに貴女のものだ。……これ以上甘やかして、俺に身の程を忘れさせないでくれ、ルイーザ」
夜風に紛れて囁かれた、切実な本音。
月明かりに照らされたキースの艶やかな瞳に見つめられ、ルイーザの胸の奥で、トクン、とこれまで感じたことのない甘い音が跳ねた。
互いに立場を理解しながらも、死線を共にするたびに惹かれ合い、隠しきれなくなっていく愛情。
王都の闇を切り裂く撃滅隊の二人の関係は、こうして静かに、けれど確実に熱い絆へと変わっていくのだった。
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