鮮血の辺境伯は、不器用で温かい
王都を出発して十日。
馬車の窓から見える景色は、豊かな平原から切り立った岩肌と深い森へと変わり、空気は日増しに冷たさを帯びてきていた。
「おい、本当にこの先に街なんかあるのか?」
「知るかよ。俺たちはこの厄介払いされた公爵令嬢を送り届けたら、とっとと王都に帰るんだ。辺境の魔物なんて相手してられるか」
馬車の外から聞こえてくる下品な声に、セレスティアはそっと目を閉じた。
ユリウスが「護衛」という名目でつけて寄こした十数名の王室警備兵たちは、警備は名目だけで、その実、彼女が逃げ出さないようにするための監視役だった。しかも、兵としても質の低い者ばかりである。
(あの程度の練度で、辺境の魔物に対処できるはずがありませんのに)
彼らの給金と装備費を計算し、予算を削って適正価格に戻した際、大層恨まれたことを思い出す。無能を絵に描いたような警備兵たちに連れられての道中は、物理的な寒さよりも精神的な疲労が大きかった。
馬車が『魔の森』の縁を迂回する険しい峠道に差し掛かった、その時だった。
「ヒヒィーン!!」
馬がいななき、馬車が急ブレーキをかけて激しく揺れた。
窓から外を覗くと、薄汚れた革鎧を着た柄の悪い男たちが数十人、行く手を塞ぐように現れていた。街道を荒らす盗賊団だ。
「おい! 金目のものと、その馬車の中の女を置いていけ! 大人しくすれば命だけは……」
「ひっ! と、盗賊だァーッ!!」
盗賊の首領が言い終わるよりも早く、情けない悲鳴が上がった。
あろうことか、王室警備兵たちは剣を抜くことすらせず、馬車を捨てて一目散に元来た道へと逃げ出してしまったのだ。
「お、あの馬鹿共……逃げやがったぞ?手間が省けて何よりだな」
あまりの呆気なさに、盗賊たちはニヤニヤと下品に笑いながら馬車の扉を開こうとしている。
馬車の中に一人取り残されたセレスティアは、小さくため息をついた。
(仕方ありませんわね。少々ドレスが汚れますが、私が片付けるしかありませんわ)
セレスティアは魔法学園でもトップクラスの成績を修めている。この程度の盗賊、彼女の攻撃魔法の敵ではない。
静かに詠唱を始め、魔法を発動しようとした――その瞬間。
ドドドドドッ!
地鳴りのような馬蹄の音が響き渡り、土煙を上げて黒馬を駆る一団が猛スピードで突っ込んで来た。
「な、なんだ貴様ら――ギャアッ!」
先頭を走る漆黒の馬に乗った男が、一瞬にして間合いを詰め、大剣を一振りした。
文字通り「一瞬」だった。凄まじい風圧と共に剣の腹で打たれた盗賊の首領は、空高く吹き飛ばされて気を失う。
それに続く十数騎の騎馬兵たちも、一切の無駄がない洗練された動きで盗賊たちを次々と打ち据え、瞬く間に全員を縛り上げてしまった。その間、わずか数十秒。
(……見事な手際ですわ)
扉を開けて外に出たセレスティアは、圧倒的な武力を前に感嘆の息を漏らした。
すると、先頭で大剣を振るっていた男が馬から降り、こちらへと近づいてくる。
長身で、厚い胸板と鍛え抜かれた肉体。
無造作に流した銀糸の髪の隙間から覗くのは、鋭い狼のような黄金左目と、夜明けの空のような蒼い右目のヘテロクロミアだった。全体としては無骨な印象をうけるが、その双眸の神秘的な雰囲気とその顔立ちは彫刻のように整っており、息を呑むほどの美丈夫である。
「大事はないか?私はこの領を預かるレオンハルト・ヴァン・アークライトと申す。あなたはレディ・グランチェスターとお見受けするが、いかに」
彼こそが、帝国や魔物から恐れられる『鮮血の辺境伯』――レオンハルト・ヴァン・アークライトその人だった。
「はい、私はグランチェスター公が長女セレスティアにございます。危ないところをお助けいただき感謝申し上げます」
レオンハルトは、名乗りを上げた後、完璧な美貌を持つセレスティアを前にして、少しだけ目を見開いた。しかしすぐに表情を引き締めると、不器用そうに視線を逸らし、低い声で言った。
「……そろそろ、こちらに着くかと思ってな。迎えに来た」
そのぶっきらぼうな言い回しに、セレスティアは思わず目を瞬かせた。
わざわざ領地の境界近くまで、多忙な辺境伯自らが迎えに来てくれたというのか。しかも、絶妙なタイミングで盗賊から救ってくれたのだ。辺境伯は冷酷無比であるとの噂と全く違う対応に驚きながらも、美しいカーテシーとともに、
「本日から、よろしくお願いいたします」と挨拶をすると、
「あ、ああ……こんな過酷な土地へ、よく来てくれた。……ありがとう」
初対面の挨拶に混じった「ありがとう」という言葉。
彼は、王都から追放されるように嫁がされたセレスティアに対して、申し訳なさを感じているようだった。噂に聞く「冷酷で残忍な男」とはほど遠い、不器用だが誠実な人柄が窺える。
「謝らないでください、アークライト様。私は自分の意志で、ここへ参りましたから」
セレスティアが微笑むと、レオンハルトは気まずそうに顔を背けたが、その耳の先がほんのりと赤くなっているのを、彼女は見逃さなかった。
その後、レオンハルトの護衛のもと、一行は無事に辺境伯の屋敷へと到着した。
王都の公爵邸のような絢爛豪華さはないものの、石造りの堅牢な屋敷は歴史を感じさせ、隅々まで手入れが行き届いていた。
「ここが、君の部屋だ。足りないものがあれば、何でも言ってくれ」
案内された部屋の扉を開け、セレスティアは驚きに目を見張った。
広々とした室内は、王都の流行を取り入れたというわけではないが、最高級のふかふかの絨毯が敷かれ、大きな暖炉には上質な薪がパチパチと温かい音を立てて燃えている。
ベッドには肌触りの良さそうな毛皮とシルクのシーツが重ねられ、窓辺には厳しい寒さの中でしか咲かないという、可憐な氷雪花が小瓶に生けられていた。
豪華な装飾品は見当たらない。だが、この過酷な気候の中で、これほどまでに暖かく、清潔で、過ごしやすい空間を作るために、どれほどの心配りと準備があったか。
政治と経済に精通したセレスティアには、この部屋の「真の価値」が痛いほどよく分かった。
「……とても、素敵な部屋です。アークライト様がご用意してくださったのですか?」
「俺は、気の利いたことはできん。ただ……君が少しでも、この地で安らげるようにと」
無口な彼が言葉を探しながら、絞り出すようにそう答える。
自分のようなワケありの令嬢を、忌避するどころか、これほど大切に迎え入れようとしてくれているのだ。
(ああ……なんて、心の温かい方なのでしょう)
王太子からは「氷のように冷たい」と蔑まれてきたセレスティアの胸の奥に、ぽっと温かい灯りがともった気がした。
「ありがとうございます、アークライト様。私、この部屋がとても好きですわ」
心からの感謝を込めて、セレスティアは今日一番の満面の笑みを向けた。
その美しすぎる笑顔に、レオンハルトは完全に言葉を失い、またしても耳を真っ赤にして固まってしまうのだった。
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