不器用な領主の苦悩と、完璧令嬢の鮮やかなる本領発揮
辺境伯邸での生活が始まり、数日が過ぎたある夜のこと。
セレスティアがふと目を覚ますと、隣室の執務室から微かな明かりが漏れていた。
そっと扉の隙間から覗き込むと、大きな机に向かい、山積みの書類を前に頭を抱えているレオンハルトの姿があった。戦場では大剣を軽々と振るう彼が、羽ペンを握る手はどこかぎこちなく、その眉間には深い皺が刻まれている。
(……やはり、お一人で全てを抱え込んでいらしたのね)
セレスティアはメイドに声を掛け、自ら厨房へ向かい、温かいハーブティーを淹れると、静かに執務室の扉を叩いた。
「夜分遅くに申し訳ありません、アークライト様。少しお休みになられてはいかがですか?」
「レディ・グランチェスター……。すまない、起こしてしまったか」
レオンハルトは疲れ切った顔で息を吐き、ペンを置いた。
セレスティアがカップを差し出すと、彼は湯気に目を細め、ぽつりぽつりと語り始めた。
「俺は、剣を振るい魔物を狩ることしか能がない男だ。だが……この不毛な土地で、文句も言わずに懸命に生きる領民たちのことが愛おしいんだ。どうにかして腹一杯食わせてやりたい、豊かな暮らしをさせてやりたいと、ずっと願っている」
彼は悔しそうに、自らの大きな両手を見つめた。
「けれど、俺にはその知恵がない。王都の商人には足元を見られ、予算の計算一つまともにできない。自分がひどく歯痒い……。これでは、領主失格だ」
自らの弱さを包み隠さず吐露する彼の姿に、セレスティアの胸がぎゅっと締め付けられた。
かつての婚約者だった王太子は、自らの無能を棚に上げ、見栄と虚勢ばかりを張っていた。しかし目の前の不器用な男は、民を愛するがゆえに、己の至らなさに本気で苦悩しているのだ。
「グランチェスター様、いえ、レオンハルト様とお呼びしても?」
セレスティアは真っ直ぐに彼を見つめ、凛とした声で言った。
「良ければその書類、私にお任せいただけませんか?」
「え……?」
「私はこれでも、公爵家で徹底的にまつりごとと経済の研鑽を積んできました。旦那様が領民を想うそのお心、私が形にしてみせます」
驚くレオンハルトを横目に、セレスティアは机の上の書類をパラパラと捲り始めた。
そして、数秒で現状の問題点を的確に洗い出していく。
「やはり。ダンジョンから採掘される希少な魔石が、王都の相場の三分の一以下で買い叩かれていますわ。仲介の商人に不当なマージンを抜かれています。それに、帝国との国境警備に予算を割きすぎていて、農地開拓の資金が圧迫されていますね」
「そ、それは……帝国がいつ攻めてくるか分からない以上、仕方ないことで……」
「いいえ、逆ですわ。帝国が欲しいのは我が国の豊かな資源と食料。ならば、武力で睨み合うのではなく、こちらから経済的に結びつきを強め、攻め込まれないようにすれば良いのです。攻め込めば逆にお前達の損になるぞとわからせるのです。
セレスティアの瞳に、知性の光が鋭く宿った。
王太子のもとで|国政を裏から牛耳っていた《フィクサー》」彼女の「本領」が目覚めた瞬間だった。
「まず、魔石の流通ルートを辺境伯家による直接管理下へ置き、王都を通さず他国へ直接輸出する独自ルートを開拓します。同時に、帝国側の有力貴族に特恵関税を持ちかけ、互いの利益となる交易協定を結びます。彼らが我々の魔石に依存するようになれば、容易に攻め入ることはできなくなりますわ」
よどみなく語られる、あまりにも完璧でスケールの大きな解決策。
レオンハルトは目を丸くし、ただただ言葉を失っていた。
「お任せください、レオンハルト。王太子殿下の面倒な尻拭い……いえ、腐敗した王都の国政を回すことに比べれば、この真っ直ぐで真っ当な統治がされているこの地を豊かにするなど、容易いことですわ」
ふわりと自信に満ちた笑みを浮かべるセレスティア。その姿は、夜の帳の中で咲き誇る一輪の美しい花のようだった。
それからというもの、辺境伯領は劇的な変化を遂げた。
セレスティアの素早く的確な指示により、商人の不正は一掃され、ダンジョンの利益は正当な価格で領の財源へと還元された。
さらに彼女自らが筆を執り、帝国との間に結ばれた交易協定は莫大な富をもたらした。余剰資金は魔法障壁を備えた新農地の開拓や、領民のインフラ整備へと惜しみなく投資された。
レオンハルトは領内の治安維持と魔物討伐に専念できるようになり、辺境領はかつてないほどの活気と豊かさに包まれていったのだ。
数ヶ月後の、ある凍てつく夜。
執務室の窓から、明るく照らされた活気ある街並みを見下ろしながら、レオンハルトはそっとセレスティアの肩に温かい毛皮のコートを掛けた。
「……君は、本当にすごいな。この景色は、俺がずっと夢見ていたものだ」
彼の不器用な手先が、セレスティアの肩に優しく触れる。
「君は、俺たちを救ってくれた。俺の、いや、この領地の女神だ」
普段は無口な彼が、照れくさそうに、しかし真摯な瞳で紡いだ言葉。
セレスティアは顔に熱が集まるのを感じ、少しだけ俯いた。
「女神だなんて、買い被りですわ。私はただ……あなたの愛するものを、共に守り、育てていきたいと思っただけです」
「レディ・グランチェスター……いや、セレスティアと呼んでも構わないだろうか?」
レオンハルトは静かに、壊れ物を扱うかのように優しく、彼女の細い手を取った。
ごつごつとした剣士の大きな手。しかし、その手から伝わる熱は、王都の誰よりも温かく、誠実だった。
「俺は、君を娶れて本当に幸せだ。必ず、君を一生守り抜くと誓う」
「……はい。私も、あなたのおそばにいられて幸せですわ」
冷たい風が吹く過酷な最果ての地。
しかし二人の間には、厳しい冬の寒さを溶かすほどの、甘く穏やかな空気が満ちていた。惹かれ合う二人の心は、今や完全に一つになっていたのである。




