騒乱の結末
無能な王太子と偽聖女が捕縛された後、主を失い混乱を極めていた王都は、グランチェスター公爵の圧倒的な武力と統率力によって、ひとまずの平穏を取り戻しつつあった。
新たな体制が整うまでの間、公爵が暫定的に王都の治安維持と国政の裁量を行うこととなったのである。
処刑の決定を待つばかりとなった地下牢の奥深く。
冷たい石造りの牢獄に、セレスティアは静かな足音を響かせて歩みを進めていた。背後には、彼女を案じて付き添うレオンハルトの姿がある。
「……来てくれたのだな、セレスティア」
鉄格子の奥にいたのは、かつて豪奢な衣装を着飾っていた王太子ユリウスだった。
泥と血にまみれた服を着て、痩せこけたその姿には、広場で喚き散らしていたような狂気はすでになかった。死を目前にして憑き物が落ちたのか、その表情はひどく穏やかで、ただの疲れ切った青年に見えた。
「面会を求められたと伺いました。私があなたにかける言葉は、もう何もありませんが」
「ああ、分かっている。ただ、最後にどうしても謝罪しておきたくてな」
ユリウスは力なく微笑み、自嘲するように語り始めた。
「私は……ずっとお前が恐ろしかった。どんなに勉学に励んでも、決して追いつけないお前の圧倒的な完璧さが憎かった。お前が私の仕事を完璧にこなせばこなすほど、自分の無能さを突きつけられているようで……どうしようもなく惨めだったのだ」
それが、国を崩壊に導いた男の、あまりにも個人的で矮小な本音だった。
自分を甘やかし、優位に立たせてくれるリリィという存在に逃げ込み、完璧な婚約者を貶めることでしか、己の自尊心を保つことができなかったと、訥々と語り、
「すまなかった、セレスティア。私の逆恨みと弱さが、お前を傷つけ、国を滅ぼした。……お前が去ってから、あの執務室で初めて、お前がどれほどの重圧を背負って私を支えてくれていたかを知ったよ」
「…………」
淡々と懺悔するユリウス。
一方のセレスティアのアメジストの瞳には、同情も怒りも、何の感情も浮かんでいなかった。
生へ向かうものと死へ向かうものの対峙
「そう、今まで……あなたが選んだ道が、今のその結末です」
セレスティアは冷徹に言い放ち、扇を閉じた。
「あなたの謝罪は聞きました。そして私を辺境へ追放してくれたことだけは感謝しておりますわ。おかげで私は、心から敬愛できる生涯の伴侶と出会うことができましたから」
セレスティアは背後に立つレオンハルトを見つめ、ふっと柔らかく微笑んだ。
その、自分には決して向けられることのなかった「心からの愛を込めた笑顔」を見て、ユリウスは自分が手放したものの大きさと、取り返しのつかない時の流れを理解した。しかし、だからどうだというのだ、俺は死ぬ。
セレスティアはもはや振り返ることなく、レオンハルトと共に冷たい地下牢を後にした。ユリウスも彼女を見送ることなく、虚空を見つめていた。
一方、王城の尋問室では、別の罪人に対する裁きが行われていた。
尋問室の事務的な椅子に座るグランチェスター公爵の足元で、泥だらけのリリィが這いつくばり、必死に命乞いをしていた。
「お、お願いです公爵様! 私は悪くありません、全部あの馬鹿な王子が勝手にやったことなんです! 殺さないでください!」
自らの「王殺し」の扇動を棚に上げ、見苦しく命を乞うリリィ。
彼女はふと顔を上げ、歴戦の猛将である公爵の厳つい顔を見つめると、最後の武器である「女の魅力」を使おうと、あざとい上目遣いを作った。
「私、なんでもします! 公爵様のような強くて逞しい方、私ずっと素敵だなって思ってたんですぅ……! 命さえ助けていただければ、あなたの女になります! 毎晩、たっぷりとご奉仕させていただきますから……っ!」
自らの体を差し出してでも、なんとか権力に取り入ろうとする腐りきった性根。
その言葉を聞いた公爵は、ピクリと眉を動かすと、低く唸るような声で笑い出した。
「……ほう。なんでもする、ワシの女になる、と言ったな?」
「は、はいっ! なんでも……っ!」
「よく分かった。ならば、お前にはお似合いの場所を用意してやろう」
公爵は冷酷な眼光でリリィを見下ろし、傍らに控える屈強な騎士に命じた。
「この女を、王都の最下層にある最底辺の買春窟を、紹介してやれ。凶悪犯や重度の病気持ち、日雇いの荒くれ者しか寄り付かない、この世の地獄のような場所だ。そこでせいぜい、お前の自慢の体を使って男たちに『奉仕』するがいい」
「えっ……?」
「あそこは、まともな女なら逃げ出すか、壊れて死ぬかだ。ニ年も生きられれば御の字だろうな。せいぜい長生きして、その身で己の罪をあがなえ」
公爵の無慈悲な宣告に、リリィの顔から一瞬で血の気が引いた。
「い、いやぁぁぁっ! 嫌だ、そんな汚い男たちの相手なんて! 私は聖女なのよ、贅沢な暮らしをするために生まれてきたのよぉぉっ!!」
絶叫し、暴れ狂うリリィだったが、屈強な騎士たちに両腕を掴まれ、無惨に引きずられていく。
己の強欲のために国を売り、王を殺し、他者を踏み躙ってきた女は、二度と這い上がることのできない本当の地獄の底へと落ちていったのである。
数日後。王都の正門前。
辺境伯軍の帰還を見送るため、公爵が立っていた。
「お父様、王都の事、よろしくお願いいたします。復興の計画書と、当面の予算案は執務机の上に残してありますから」
「ああ、分かっておる。この老骨に鞭打って、もう少しだけ働かせてもらうとしよう。……辺境のことは、お前たち夫婦に任せたぞ」
公爵は嬉しそうに目を細め、レオンハルトの大きな肩をバンと叩いた。
「レオンハルト殿。見事な采配であった。これからも、ワシの自慢の娘を頼んだぞ」
「はい、義父上。この命に代えても」
レオンハルトは深く頭を下げ、セレスティアと共に迎えの馬車へと乗り込んだ。
馬車がゆっくりと動き出し、王都の城壁が少しずつ遠ざかっていく。
かつては重圧と苦痛の象徴だったその景色を、セレスティアは晴れやかな気持ちで見つめていた。
「……終わりましたわね」
「ああ。本当に、色々なことがあったな」
隣に座るレオンハルトが、そっとセレスティアの肩を抱き寄せる。
戦場での鬼神のような姿とは全く違う、不器用で、どこまでも温かくて優しい彼の手。セレスティアはその広い胸に頭を預け、目を閉じた。
「早く、私たちの家に帰りましょう、レオンハルト様。私、領地の皆と一緒に食べる、あの温かいシチューが恋しいですわ」
「そうだな。皆も、俺たちの帰りを首を長くして待っているはずだ」
厳しい冬を越え、魔の森を抜け、帝国を退けた先に待つのは、二人が知恵と愛で育んできた、世界で一番温かい黄金郷。
完璧な公爵令嬢と、無口な英雄の辺境伯。
理不尽な追放から始まった二人の物語は、王都の呪縛を完全に断ち切り、愛に満ちた最果ての地で、これからも末長く、幸せに咲き誇り続けるのであった。
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