夢魔の誘惑
「ヒドラが一瞬で……!? ええい、物理が駄目なら搦め手だ! 誰か、奴らの精神を破壊できる者はおらんのか!」
暗黒城の玉座でパニックを起こす魔王の前に、妖艶な笑みを浮かべた一人の魔族が進み出た。
豊満な胸の谷間を強調した過激なドレスに、背中に生えたコウモリの羽。魔王軍の参謀格にして、精神支配と誘惑を司るサキュバスの『リリス』である。
「お任せを、魔王様。いかに強靭な肉体を持とうと、男である以上、私の『魅了』からは逃れられません。骨抜きにして、同士討ちさせてご覧に入れましょう」
自信満々に微笑むリリス。彼女の美貌と魔法の前に、これまでどれほどの英雄や勇者が堕落してきたか知れない。彼女は意気揚々と、ターゲットたちの元へ飛んだ。
――その頃、辺境の街の路地裏。
ジークと烈魁皇は、ヒドラとの戦いを終え、巨大な肉まんを頬張っていた。
「うむ。やはり実戦に勝る修練はないな。あのヒドラの毒、私の槍の風圧で押し返したが……」
「左様ッ! 毒の散布前に内部から破裂させるのが最も効率的ッ! しかし、いかんせん手応えが……ん?」
ふと、周囲の路地にピンク色の怪しい霧が立ち込めた。
甘ったるい香りと共に、空間が妖艶な幻術に包まれる。そして霧の中から、悩ましいポーズをとったリリスが姿を現した。
「ふふふ……屈強なる戦士たちよ。闘いばかりの日常に、疲れてはいませんか? 私の胸の中で、極上の夢を見せてあげましょう……♡」
リリスは最強の魅了魔法を乗せた流し目を送り、ジークの極太の腕に豊満な胸を押し当てた。
常人ならば、一秒で理性を吹き飛ばされ、彼女の奴隷と化す絶対の誘惑。
しかし。
ジークの表情には、欲情はおろか、一片の照れすら浮かばなかった。
「……ほう? 魔王軍からの新たな刺客かな?」
「えっ?」
ジークは押し当てられた胸の感触など微塵も気に留めることなく、真顔でリリスを見下ろした。
「美しいドレスだ、レディ。だが、君からは先ほどのヒドラのような『殺気』も、修羅の王のような『闘気』も感じられない……私は、純粋なる強敵との闘争を求めている。大義なき闘いにおいて、ましてや非武装の女性に槍を向ける趣味はない」
ジークは紳士的に、しかし圧倒的な『無関心』をもってリリスをそっと引き剥がした。
「そ、そんな……私の魅了が、全く効いていない……!?」
驚愕するリリス。そこへ、肉まんを平らげた烈魁皇が鋭い眼光を向けてきた。
「フンッ! 先ほどから見ていれば、なんだその姿勢はッ!」
「へっ?」
「無駄に胸を張り、腰をくねらせるその立ち姿! 重心が完全にブレているッ! そのような体勢で、いかなる武術の歩法が踏めるというのだ! 隙だらけにも程があるッッ!!」
「ええええええええ!?」
リリスの誇る究極の「セクシーポーズ」は、四千年の歴史を誇る武術家にとっては、ただの「体幹のブレた隙だらけの構え」でしかなかったのだ。
「闘う意志がないのなら、下がるがいい。我々は忙しい。行くぞ、烈魁皇殿」
「応ッ!」
「あ、待って……! ちょっと待ちなさいよ!!」
ジークと烈魁皇は、文字通り『道端の石ころ』でも見るような目でリリスを無視し、さっさと歩き出してしまった。
残されたのは、魔王軍の幹部にして絶世のサキュバス。
彼女の「女としてのプライド」と「魔族としての自信」は、今、音を立てて粉々に砕け散ったのである。
「う、嘘よ……。この私が、男に……しかもあんな筋肉達磨に完全にスルーされるなんて……。あり得ない! 絶対にあり得ないわ!!」
ワナワナと震えるリリスの目に、屈辱と、そして妙な執着の炎が宿った。
彼女はバサリと羽を広げると、足早に遠ざかる二人の巨漢の背中を全力で追いかけ始めた。
「待ちなさいよアンタたち! 私を、私を無視するなんて絶対に許さないんだから! いつか必ず、私の魅力で骨抜きにして、足元に這いつくばらせてやるわ!!」
「なんだか騒がしいお嬢さんだな!」
「問題はないッ!」
「いや問題大ありやろがい!!!」
いつの間にか一行の最後尾を歩いていたチャチャが、頭を抱えて絶叫した。
「なんなんやこれ! 魔王軍のサキュバスがパーティについてきとるやないか! ウチの胃もう限界やで!!」
しかし、サキュバスのリリスがどれだけ色仕掛けを試みようと、ジークは「風邪を引くぞ」と上着をかける紳士的スルーを決め、烈魁皇は「骨盤の歪みを治すツボ」を押し始める始末。『リリス』もついには泣きながら魔王軍に戻っていった。
カオス極まる冒険はさらに続いていくのであった。
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