修羅の王
第五層。そこは、永遠に血のような夕日が沈まぬ、赤茶けた荒野であった。
足元には無数の武器が墓標のように突き刺さり、生臭い風が吹き抜けていく。宮本武蔵が言った通り、ここは戦うことしか知らぬ者たちが永遠の闘争を繰り広げる『修羅界』の深淵である。
「シィィッ!」
「打岩ッ!!」
荒野を進む一行の前に、次々と歴史に名を残す凄まじい強者たちが立ち塞がった。
両手に巨大な戦斧を持ち、痛覚を持たぬ狂戦士として名を馳せた北欧のヴァイキング、ラグナル・ロズブローク。
雷鳴のような銃撃と曲刀を振るい、七つの海を支配したとされる伝説の海賊王、エドワード・ティーチ。
彼らは皆、死してなお闘争を求め、猛然とジークと烈魁皇に襲いかかった。
激しい打ち合い。武器と肉体がぶつかり合う爆音。しかし、数合の苛烈な打ち合いの末、彼らは皆、満足げに武器を引き、そして一様に同じ言葉を口にした。
『生者よ。これ以上の道楽は許されん。お前たちはここに居てはならない、早く引き返せ』と。
そして今。
ジークの振るう大槍の刺突を、十字を組んだ十文字槍で見事に受け流した一人の武将がいた。
鎧の各所に笹の葉をあしらった、鋭い眼光を持つ男――戦国時代において「笹の才蔵」と謳われた槍の達人、可児才蔵である。
「……ほう。力任せの剛槍かと思いきや、その穂先、見事なまでに理にかなっておる。生き身でありながら、よくぞそこまで練り上げたものよ」
才蔵はジークの武の技量に感嘆の息を漏らし、十文字槍を下ろした。
「貴殿の十文字槍こそ、まさに変幻自在! 絡め取られるかと思ったぞ!」
ジークもまた、爽やかな笑顔で大槍を下ろす。
しかし、才蔵の顔は険しいままだった。
「大柄な異国の武芸者よ。そしてその傍らの拳法使いよ。お主らの武は既に常人の域を絶しておる。だが……ここから先は駄目だ。進んではならん」
「ほう? 何故かな」
「この先におわすのは、我らのような『人』の英霊ではない。修羅界そのものを束ねる王……『阿修羅』だ。あれは、武芸や闘争という枠に収まるものではない。純粋なる『死の暴力』そのもの。急ぎ帰られよ、血が温かいうちに」
歴戦の英雄たちからの、度重なる真剣な警告。
岩陰に隠れていたチャチャが、ジークの外套をグイと引っ張った。
「な、なあジーク……あの歴史上のバケモノ達が揃いも揃って『帰れ』って言うてるんやで!? さすがのウチも嫌な予感しかせぇへん! 今回ばかりは言うこと聞こうや!」
チャチャの悲痛な訴え。
しかし――ジークと烈魁皇の二人は、微動だにしなかった。
それどころか、彼らの口角は、耳まで裂けんばかりに吊り上がっていた。
「 修羅界の王! 純粋なる暴力! 素晴らしい! それこそ我らが求めてやまなかった、絶対的な強者ではないか!」
「いかにもッ! その阿修羅とやらが振るう力……我が中国四千年の歴史が、真っ向から受け止めてみせようッッ!!」
「あかん、完全にスイッチ入ってもうた……!」
英雄たちの警告を笑顔で置き去りにし、歓喜に震える足取りで荒野の最深部へと向かう二匹の脳筋ゴリラ。
チャチャは「もうどうなっても知らんからな!」と泣き叫びながらも、決して彼らの背中から離れることはなかった。
――そして、彼らは辿り着いた。
荒野の中心。すり鉢状になった巨大なクレーターの底。
そこに、岩と鉄を無造作に積み上げた巨大な玉座があり、一人の「存在」が腰を下ろしていた。
「……ッッ!!」
玉座の姿を見た瞬間。
ジークと烈魁皇の全身の毛という毛が逆立ち、かつてないほどの濃密な「死の気配」に細胞が悲鳴を上げた。
赤い肌。三つの顔と、六本の腕。
微動だにせず座っているだけだというのに、その身体から放たれる『圧倒的な強者のオーラ』は、周囲の空間を歪ませ、大気の質量すらも書き換えているように錯覚するほどだった。重力が何倍にも跳ね上がったかのように、チャチャはその場に這いつくばって息を荒らげた。
「な、なんだこれは……! 素晴らしい……! 息をするのもやっとだというのに、魂が歓喜に震えているぞ!」
ジークは極度の重圧に顔を歪ませながらも、黒鋼の大槍を強く握りしめた。
「これが修羅の王ッ……! 構えるだけで、全身の骨が軋むとはッ!」
烈魁皇もまた、道着を汗でぐっしょりと濡らしながら、決死の覚悟で中国拳法の構えをとった。
いまだかつて経験したことのない、次元の違う絶対的強者。
最強の物理力と四千年の歴史が、全霊を懸けて己の存在を王へと叩きつけようと気を練り上げた、その時である。
修羅界の王――阿修羅が、ゆっくりと動いた。
六本の腕のうちの一本が、気怠げに持ち上がる。
「いざッ!!」
ジークと烈魁皇が大地を蹴ろうとした、次の瞬間。
阿修羅の三つの顔の、六つの瞳。
そのどれ一つとして、ジークたちのことなど見ていなかった。
阿修羅はただ退屈そうに、自らの爪の先を見つめている。
絶対的な強者のオーラを放ちながらも、その空間に闖入してきた「人間」という存在に対して、阿修羅は微塵も興味を示さなかった。
見下しているわけでも、見くびっているわけでもない。
ただ、そこら辺の石ころや、羽虫と同じ。
修羅の王は、全身全霊で殺気を放つ二人の武人に対して――完全に、一顧だにしなかったのである。
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