第十四章 告発
二八六七年。
セリア・スピカは帝国元老院により、反逆罪で告発された。
告発のニュースが流れたとき、セリアは自宅にいた。テラ・プリマの郊外にある小さな家。庭に古い木が一本。その木の下で、セリアはコーヒーを飲んでいた。
端末が鳴った。ニュースアラート。
〈元老院議員セリア・スピカ、反逆罪で告発——機密情報漏洩の疑い〉
コーヒーカップが、セリアの手の中で揺れた。
翌日、帝国警備隊がセリアの家に来た。逮捕ではない。「出頭要請」という名目。しかし、実質的には逮捕だった。
セリアは抵抗しなかった。警備隊に従い、元老院の拘置所に移送された。
拘置所は元老院の地下にあった。石造りの独房。窓はない。明かりは天井の一つだけ。
セリアは独房のベッドに座り、壁を見つめた。
罪状は三つ。
第一に、帝国機密情報の漏洩。
第二に、敵性国家の元指導者との密通。
第三に、帝国の安全保障を脅かす行為。
全て事実だった。
セリアはアニカに警告を送っていた。「元老院があなたの暗殺を計画しています。逃げてください」。明らかな機密情報の漏洩。
セリアはアニカと十八年間通信を続けた。敵との密通。
その行為が、帝国の安全保障を——
セリアは考えるのをやめた。考えても、答えは変わらない。
◆
裁判は三週間後に始まった。
元老院の大議場。円形の議場。大理石の柱が天井を支え、傍聴席は三百名分。全席が埋まっていた。裁判所の前にも長蛇の列ができたという。
ニュースメディアのカメラが、議場を取り囲んでいた。銀河中が、この裁判を見ている。
セリアは被告席に立った。銀髪は首の後ろで一つに束ねてあった。軍服ではなく、白い民間の上着を着ていた。襟のボタンは一番上まで留めてある。
裁判長は元老院の法務委員長、ガイウス・クラッスス。七十歳の老人。禿げた頭。鋭い目。
「被告、セリア・スピカ。罪状を読み上げます」
クラッススの声は、議場に響いた。
「第一の罪状。帝国機密情報の漏洩。二八六三年八月、被告は帝国の機密情報——具体的には、アニカ・バールに対する暗殺計画の存在——を、当該アニカ・バールに通報した」
傍聴席がざわついた。
「第二の罪状。敵性国家の元指導者との密通。被告は二八四九年から二八六七年にかけて、カルタージュ連合の元艦隊司令官アニカ・バールと、暗号化された通信を継続的に行った」
ざわめきが大きくなった。
「第三の罪状。帝国の安全保障を脅かす行為。被告の上記行為により、帝国の戦略的優位性が損なわれ、戦争犯罪人の逃亡が幇助された」
クラッススは書類から目を上げた。
「被告、罪状を認めますか」
セリアは被告席の縁を握った。白い指。関節が浮き出ている。
「行為は認めます」
声は静かだった。しかし、議場の音響が、その声を全ての席に届けた。
「しかし、それが罪であるかどうかは——」
「被告」
クラッススが遮った。
「行為を認めれば、罪を認めたことになります。帝国法では——」
「帝国法が間違っているなら?」
セリアの声が、クラッススの声を切った。
議場が静まった。
カメラのシャッター音だけが、パチパチと響いた。
「被告、その発言は——」
「私は帝国に一生を捧げました」
セリアは被告席から一歩前に出た。警備隊が動いたが、クラッススが手で制した。
「カンナエのあと、誰もがアニカ・バールを恐れた。しかし私は恐れなかった。私は彼女を研究し、理解し、打ち破った。ザマの戦いで帝国に勝利をもたらしたのは、この私です」
傍聴席の一部から、拍手が起こりかけた。クラッススが木槌を叩いた。
「静粛に」
拍手が止まった。
セリアは続けた。
「そしてザマの戦いで追撃を止めたのも、私です」
議場が揺れた。ざわめき。ささやき。
「追撃を止めた理由を聞かれたことは、これまで一度もありませんでした。今日、訊かれるなら、答えます」
セリアは議場を見回した。三百の顔。老人の顔。中年の顔。若者の顔。全ての顔が、セリアを見ていた。
「私はアニカ・バールを尊敬しています」
ざわめきが爆発した。
クラッススが何度も木槌を叩いた。
「静粛に! 静粛に!」
ざわめきが収まるまで、一分かかった。
セリアは動じなかった。
「敵として、戦術家として、人間として。彼女は祖国のために戦い、祖国に裏切られ、追われている。帝国がしていることは——」
間。
「正義ではない」
議場の空気が凍った。
◆
検察官が立ち上がった。
検察官の名前はルキウス・セルウィウス。四十五歳。保守派の急先鋒。セリアの政敵の一人。
「スピカ被告」
セルウィウスの声は冷たかった。
「あなたは『帝国がしていることは正義ではない』と言いました。では、正義とは何ですか」
「正義とは——」
セリアは言葉を探した。
「少なくとも、強者が弱者を踏みにじることではありません」
「帝国はカルタージュを踏みにじったというのですか」
「はい」
明確な答え。
セルウィウスは書類をめくった。
「では、カンナエの戦いで八万人の帝国兵が死んだことは? あれは踏みにじられたのではないのですか」
「それは——戦争でした」
「ザマも戦争でした。しかし、あなたは追撃を止めた。なぜですか」
「十分に勝利していたからです。これ以上の殺戮と虐殺は——」
「必要なかった?」
「はい」
セルウィウスは冷笑した。
「あなたの『必要ない』という判断が、その後のカルタージュのゲリラ戦を招いた。講和後も、辺境では散発的な戦闘が続いています。もしザマで完全に壊滅させていれば——」
「繰り返します。それは虐殺です」
セリアの声が、セルウィウスの言葉を切った。
「あなたは戦争と虐殺の違いがわからないのですか、検察官どの」
「わかりますとも」
セルウィウスは笑った。
「戦争は国家が正当化する殺人。虐殺は国家が否定する殺人。しかし、あなたがアニカ・バールに送った警告——それは何ですか。国家が正当に追跡している戦争犯罪人を、あなたは逃がした」
「アニカ・バールは戦争犯罪人ではありません」
「カンナエで八万人を——」
「戦術的勝利です。彼女は——」
セリアの声が震えた。
「彼女は、戦争のルールの中で戦いました。民間人を攻撃しなかった。捕虜を虐待しなかった。彼女は——」
言葉が詰まった。
「彼女は、誰よりも高潔な軍人であり、そして人間でした」
議場が静まった。
セルウィウスは書類を閉じた。
「被告の主張は理解しました。つまり、あなたは敵の司令官に——個人的な感情を持っていた」
「感情ではありません。尊敬です」
「尊敬と愛情の違いは?」
セリアの顔が、一瞬、強張った。
「それは——」
「答えられませんか」
「尊敬は、相手の価値を認めることです。愛情は——」
セリアは言葉を切った。
セルウィウスは畳み掛けた。
「あなたはアニカ・バールを愛していたのではないですか」
議場が爆発した。
ざわめき。
叫び。
カメラのシャッター音。
クラッススが木槌を連打した。
「静粛に! 検察官、質問を変えなさい」
「承知しました」
セルウィウスは別の書類を取り出した。
「では、これを見てください。通信記録のログです。被告の端末から、アニカ・バールの推定座標へ、過去十八年間で三千二百七十四回の通信が送信されています。平均すると、二日に一回」
数字が、スクリーンに投影された。
「これは、単なる尊敬の頻度ですか」
セリアは黙った。
「答えてください、被告」
「……私は、孤独でした」
小さな声。
「何ですか?」
「私は、孤独でした……!」
セリアの声が大きくなった。
「帝国で、アニカ・バールを理解できる人間は、私しかいなかった。彼女の戦術を。彼女の思考を。そして彼女の——孤独を」
セリアは被告席の縁から手を離した。
「私を理解できる人間も、彼女しかいなかった」
議場が静まった。
「私たちは敵でした。しかし、敵だからこそ、理解し合えた。味方は私を『ザマの英雄』としか見ない。敵だけが、私を『セリア・スピカ』として見てくれた」
長い沈黙。
セルウィウスが口を開いた。
「つまり、あなたは個人的な感情で、帝国を裏切った」
「裏切っていません」
「機密を漏洩した」
「一人の命を救おうとしただけです」
「その一人は、八万人を殺した人間です」
「その八万人も、誰かの命でした。しかし、戦争が彼らを数字に変えた。私は——」
セリアの声が震えた。
「私は、もうこれ以上、人を数字にしたくなかった」
◆
裁判は三日間続いた。
二日目。証人尋問。
帝国軍の元将官たちが、次々と証言台に立った。
「スピカ議員は、軍事委員会でカルタージュへの過度の圧力に反対し続けた」
「講和条約の交渉で、スピカ議員はカルタージュ側に有利な条件を提案した」
「スピカ議員は、アニカ・バールの追跡停止を主張した」
全て事実だった。
セリアは反論しなかった。
三日目。最終弁論。
セリアの弁護士——元老院から指定された公選弁護人——は、形式的な弁護しかできなかった。
「被告は、人道的な理由で行動しました。それは——罪を軽減する事情です」
それだけ。
セルウィウスの最終弁論は、一時間に及んだ。
「スピカ被告は、帝国を裏切りました。個人的な感情で、国家の利益を損ないました。このような行為を許せば、帝国の規律は崩壊します。厳罰を求めます」
◆
最終日。セリアに最後の発言の機会が与えられた。
セリアは被告席に立った。
議場を見回した。三百の顔。その中に、味方の顔はいくつあるのか。
おそらく、ない。
セリアは深呼吸した。
「私はこの問いに対する答えを、帝国に求めます」
声は静かだった。しかし、明瞭だった。
「私がアニカ・バールに警告を送ったのは事実です。機密を漏洩したのではない。一人の人間の命を守ろうとしたのです」
間。
「それが罪であるなら、帝国が守ろうとしている秩序とは何ですか。正義とは何ですか」
セリアは議場の天井を見上げた。天井にはテラ帝国建国の英雄たちを描いたフレスコ画がある。古い。色が褪せている。英雄たちの顔は、時間の経過で輪郭が曖昧になっていた。
「あのフレスコ画の英雄たちは、何のために戦ったのですか。帝国の拡大のためですか。それとも、人々の幸福のためですか」
セリアは視線を戻した。
「私は後者を信じたい。しかし、今の帝国は——」
言葉を切った。
「今の帝国は、拡大だけを目的にしている。カルタージュを服従させ、文化を圧殺し、人々を数字に変える。それが——」
セリアの手が、被告席の縁を握った。
「それが、このフレスコ画の英雄たちが望んだ帝国ですか」
議場が静まった。
クラッススが木槌を取った。しかし、叩かなかった。
セリアは続けた。
「私はアニカ・バールを十八年間研究しました。彼女と戦い、彼女を破りました。その過程で、私は彼女を理解しました」
「彼女は——怪物ではありませんでした。一人の女性でした。祖国を愛し、自由のために戦い、そして裏切られた女性でした。そう、今の私のように」
セリアの目が潤んだ。
「私が彼女に警告を送ったのは、彼女が無実だからではありません。彼女は多くの帝国兵を殺しました。それは事実です」
「しかし、繰り返しますが彼女は戦争のルールの中で戦いました。民間人を攻撃せず、捕虜を虐待せず、降伏した敵を尊重しました。彼女は——」
涙が一筋、頬を伝った。
「彼女は、私よりもはるかに高潔でした」
議場の空気が、重くなった。
セリアは涙を拭わなかった。涙を流したまま、話し続けた。
「帝国が彼女を殺そうとしていることを知ったとき、私は黙っていられませんでした。暗殺は——戦争ではありません。虐殺です」
「だから、私は警告を送りました。それが罪なら、私は喜んで罰を受けます」
セリアは被告席の縁から手を離した。
「しかし、歴史が——いつか、この裁判を振り返ったとき——私が正しかったと証明されることを、信じています」
セリアは座った。
議場は、三十秒間、完全に静まっていた。
それから、傍聴席の一番後ろから、一人の老人が立ち上がった。
拍手した。
ゆっくりとした、重い拍手。
二人目が立った。三人目が立った。
傍聴席の半分——約百五十人——が立ち上がり、拍手した。
クラッススが木槌を叩いた。
「静粛に! これは裁判です!」
しかし、拍手は止まらなかった。
一分間、拍手が続いた。
セリアは座ったまま、その拍手を聞いていた。目を閉じて。涙を流しながら。
◆
採決。
元老院議員五十人による投票。
有罪四十七、無罪三。
セリアは有罪となった。
刑は、議員資格の剥奪、年金の停止、田舎の小惑星コロニーへの隠棲。
死刑ではなかった。保守派の一部は死刑を主張したが、セリアの最終弁論が——そして傍聴席の拍手が——量刑に影響を与えた。
判決が読み上げられたとき、セリアは表情を変えなかった。
ただ、小さく頷いただけだった。
◆
議場を出るとき、三票を投じた議員の一人が、セリアの肩に手を置いた。
若い議員。三十代。確か、名前はマルクス・アウレリウス。
「あなたは正しい」
小さな声。
セリアは振り向かなかった。
「しかし正しさだけでは、勝てなかった」
それだけ言って、歩き続けた。
廊下の先に、警備隊が待っていた。セリアを〈カプア〉コロニーに護送するための。
セリアは警備隊に従った。
廊下の窓から、テラ・プリマの街が見えた。高い建物。行き交う飛行船。忙しく動く人々。
帝国の首都。
セリアがザマの勝利のあと、凱旋した街。
その街が、今、セリアを追放する。
皮肉だ、とセリアは思った。
しかし、後悔はなかった。
廊下の角を曲がるとき、セリアは一度だけ振り返った。
議場の扉が、ゆっくりと閉まっていくのが見えた。
扉の向こうに、フレスコ画の英雄たちが、まだ色褪せて立っていた。




