第十一章 帰郷
講和条約はカルタージュにとって厳しかった。
軍備の大幅制限。帝国クレジットへの通貨統合。賠償金。帝国の監視衛星を全星系の軌道上に配置すること。
アニカは条約に署名しなかった。署名したのは評議会だった。
帰還したとき、ナバルの宇宙港には群衆がいた。半分は歓迎、半分は罵倒。「英雄」と叫ぶ者と「戦犯」と叫ぶ者が、同じ群衆の中に混在していた。
アニカは宇宙港のタラップを降りた。足が地面に触れた。故郷の重力。十六年ぶりの故郷の空気。カルタージュの太陽の光。それは温かかった。しかし、群衆の視線は冷たかった。
評議会の保守派は、アニカを帝国に引き渡すことを検討した。
しかし民衆の一部——特に、戦死した兵士の遺族たち——がアニカを支持した。彼らは評議会の前でデモを行った。
「アニカは戦った。評議会は何をした? 安全な場所で、補給を削減しただけだ」
評議会は妥協した。
アニカを行政官に任命したのだ。
軍事関連ではない、民政の仕事。
アニカは三年間、税制改革と教育の無償化に取り組んだ。
最初の一年。税制の腐敗を調査した。商人階級の脱税。評議員の親族企業への不正な補助金。アニカはそれらを公表し、是正した。
商人階級は反発した。評議会の半数を占める商人出身の議員たちが、アニカの政策に反対票を投じた。
二年目。教育改革。カルタージュの学校は富裕層の子弟しか通えなかった。アニカは公費での教育無償化を提案した。軍事費を削減し、教育に回す。
「我々は戦争に負けた」
アニカは評議会で演説した。
「軍事力で帝国に勝てないなら、教育で対抗するしかない。次の世代を育てるしかない」
保守派の議員が立ち上がった。
「軍事費を削減すれば、帝国が再び侵攻してきたとき、我々は無防備だ」
「帝国が侵攻する理由は、我々が脅威だからです。脅威でなくなれば、侵攻する理由もなくなる」
「それは降伏と同じだ」
「降伏ではない。生存戦略です」
採決。否決。
三年目。アニカの政治的立場は悪化していった。
そして、帝国のプロパガンダが始まった。
「アニカ・バールが軍事政権を企てている」
根拠のない噂。しかし、商人階級がそれを利用した。ニュース端末に匿名の「情報提供者」が現れ、アニカが秘密裏に軍を再建していると主張した。
証拠はなかった。
しかし、噂は確実に広がっていった。
二八六三年十月。評議会はアニカの行政官職を解任した。投票結果は四対三。僅差だったが、決定だった。
さらに、評議会はアニカに出国を命じた。
「あなたの存在が、カルタージュと帝国の関係を悪化させている。帝国はあなたの引き渡しを求めている。我々はそれを拒否した。だから、あなたは去らなければならない」
評議長のアシュラが、そう告げた。かつてアニカを艦隊司令官に任命した、その人物が。
アニカは評議場を出た。廊下で、一人の若い議員が声をかけてきた。
「バール司令官。いや、バールさん。私はあなたの政策を支持していました。すみません。力になれなくて」
アニカは首を横に振った。
「あなたは最善を尽くした。ありがとう。これも運命です」
追放の前夜、アニカは父の墓を訪れた。
ナバル市の郊外にある、古い墓地。カルタージュの伝統的な石造りの墓標。父の名前が刻まれている。ハミル・バール。没年二八四一年。
アニカは墓の前に膝をついた。
「お父さん、ごめんなさい。私は約束を守れなかった」
声に出して言った。誰もいない墓地で。
「帝国に屈しないと誓った。でも、カルタージュは屈した。私は——私は何も守れなかった」
返事はなかった。
石の墓標。
冷たい。
父の義手のように。とても冷たい。
アニカはポケットから、父の義手の部品を取り出した。金属の筒。小さな歯車。それを墓標の前に置いた。
「これは、あなたのものだ。私はもう、持っている資格がない」
立ち上がった。
振り返り、歩き出した。
三歩で止まった。
戻った。
金属の部品を拾い上げた。
「……やっぱり持っていく。最後まで、お父さんと一緒にいたいから」
◆
アニカはカルタージュを離れた。四十三歳。小型の民間船で、シリウス自由連邦に向かった。
シリウス自由連邦は、十二の独立星系が緩やかに結合した政治体で、帝国と微妙な距離を保っていた。アニカは亡命を申請した。
審査は二週間かかった。
その間、アニカはシリウス第三星の軌道ステーションの安ホテルに滞在した。狭いシングルの部屋。窓から人工重力リングが見えた。リングが回転するたびに、星の光が窓を横切った。
二週間後、連邦政府からの返答。
「申請は却下されました。帝国政府からの外交圧力により、バール氏の受け入れは困難と判断されました」
アニカはホテルの部屋で、その通知を読んだ。端末の画面の光が、顔を青白く照らした。
次はアンドロメダ独立圏。銀河の辺境にある、帝国の影響力が及びにくい星域。七つの独立惑星が、鉱業と貿易で生計を立てていた。
アニカは貨物船の三等客室で、三週間かけてアンドロメダ独立圏に到着した。三等客室は狭かった。二段ベッドが四つ。八人が一部屋。プライバシーはなかった。
アンドロメダ独立圏の首都星、オリジン・プライムに降り立ったとき、アニカは自分の全財産を確認した。カルタージュの旧通貨で三千クレジット。帝国の新通貨に換算すると、約二百クレジット。およそ二ヶ月分の生活費。
独立圏の政府は、アニカに軍事顧問の職を提供した。
「我々の防衛軍を訓練してほしい。帝国の脅威に備えるために」
政府高官が言った。太った男で、葉巻を咥えていた。
「報酬は月五十クレジット。住居も提供する」
アニカは承諾した。
仕事は単調だった。独立圏の防衛軍——と言っても、実質は民兵組織——に、基本的な戦術を教える。艦隊の陣形。通信の手順。敵艦の識別方法。
訓練を受ける兵士たちは、ほとんどが元鉱山労働者だった。宇宙戦闘の経験はない。アニカの説明を理解できない者も多かった。
ある日、訓練中に若い兵士が質問した。
「司令官——いや、顧問。あなたは本当に、帝国の二百隻を三十八隻で破ったんですか?」
アニカは頷いた。
「カンナエでね」
「どうやって?」
「包囲だ。数ではなく、位置で勝つ」
「教えてください」
アニカは星図を投影した。カンナエ星雲の地形。帝国艦隊の配置。自分の艦隊の機動。
兵士たちは熱心に聞いた。しかし、アニカにはわかっていた。彼らがこの戦術を実行することは、おそらくない。独立圏の防衛軍が帝国艦隊と戦う日が来れば、それは独立圏の終わりを意味する。
三ヶ月後、帝国が独立圏に外交使節を送った。
「オリジン・プライムが戦争犯罪人アニカ・バールを雇用していることを、帝国は遺憾に思う。この状況が続くなら、独立圏の通商条約を見直さざるを得ない」
独立圏の政府は、三日後、アニカとの契約を解除した。
「すまない。帝国との関係を悪化させるわけにはいかない」
太った高官が事務的に言った。葉巻の煙が、オフィスの天井に溜まっていた。
「わかっています」
アニカは立ち上がった。
「給料は——」
「いりません。三ヶ月分はもう頂きました」
嘘だった。給料は二ヶ月分しか払われていなかった。しかし、アニカは請求しなかった。
◆
次の一年間、アニカは銀河中を転々とした。
ベテルギウス商業連合。滞在期間二ヶ月。偽名を使い、宇宙港の荷役作業員として働いた。重力制御されていない貨物を、手動で運ぶ仕事。体が悲鳴を上げた。四十四歳の体には、きつすぎる労働だった。
ある日、同僚の作業員が、休憩中にニュース端末を見ていた。
「見ろよ。あの『辺境の鬼才』アニカ・バールが、まだ逃げ回ってるらしいぜ」
アニカは黙って、コーヒーを飲んでいた。安いコーヒー。合成カフェイン飲料。本物のコーヒー豆から作ったものではない。
「帝国は百万クレジットの賞金をかけてるんだって」
「百万? 俺、見つけたら通報するわ」
笑い声。
アニカは笑わなかった。コーヒーカップの縁を見つめていた。縁に小さな欠けがあった。
二ヶ月後、ベテルギウス連合の入管当局が、アニカの偽造身分証を発見した。逮捕される前に、アニカは逃げた。
リゲル自治区。
滞在期間一ヶ月。
医療施設の清掃員。
夜勤。
誰とも話さない仕事。
掃除をしながら、アニカは医療機器のマニュアルを読んだ。暇つぶしだった。最初は。
しかし、読んでいるうちに興味が湧いた。
人体の仕組み。
病気の診断。
治療の手順。
戦術と似ている、とアニカは思った。
情報を集め、分析し、最適な行動を選ぶ。
アニカの頭脳は、まだ何か解決することを、欲していた。
一ヶ月後、リゲル自治区も帝国の圧力に屈した。アニカは再び逃げた。
プロキオン鉱山コロニー。
滞在期間三週間。
データ入力の仕事。
鉱石の採掘記録を端末に入力する、単純作業。
同僚は全員、囚人だった。軽犯罪で有罪判決を受け、労役に服している者たち。アニカは囚人ではなかったが、同じ仕事をしていた。
ある囚人が、アニカに話しかけてきた。
「あんた、軍人だったろ」
「なぜそう思う?」
「姿勢だよ。背筋が伸びてる。それに、目つき。あんた、人を殺したことがあるだろ」
アニカは答えなかった。
「俺もだ。強盗で一人殺した。だからここにいる」
囚人は笑った。
歯が二本欠けていた。
「でもさ、戦争で人を殺すのと、強盗で人を殺すのと、何が違うんだ?」
「……わからない」
アニカは端末に目を戻した。
「俺もわからねえ」
囚人も、自分の端末に向かった。
三週間後、プロキオン・コロニーの管理者が、アニカの正体に気づいた。気づいたのではない。帝国の情報網が、アニカの移動パターンを追跡し、プロキオンに通報したのだ。
その日の夜、アニカの端末に暗号通信が入った。
〈アニカ。すぐにそこから離れてください〉
セリアからの、普段の穏やかな対話とは全く違う、切迫した文面だった。
〈帝国の情報部があなたの居場所を特定しました。逮捕が目的ではありません。元老院の保守派が非公式に特殊部隊を動かしました。暗殺を計画しています。逃げてください〉
アニカは画面を見つめた。
背筋が粟立つような感覚に襲われた。それは自らに迫る死の恐怖からではない。この通信を送ることで、セリアがどれほど致命的なリスクを負ったかを瞬時に理解したからだ。
これは帝国最高機密の意図的な漏洩に他ならない。発覚すれば、元老院議員であるセリアの政治生命はおろか、命すら危うくなる。
〈セリア、自分が何をしているのかわかっているのか。これは明らかな反逆だ〉
〈わかっています。だから、お願いです。私の覚悟を無駄にしないで。生きて〉
通信はそこで一方的に途絶えた。
アニカは端末を強く握りしめた。これ以上ここにとどまることは、自分のために大罪を犯したセリアの覚悟への裏切りになる。
アニカは、夜中に脱出船に乗った。違法な密輸船。船長は質問しなかった。金さえ払えば、誰でも乗せる。
「どこまで行きたい?」
「遠く」
「具体的には?」
「帝国の手が届かない場所」
船長は鼻を鳴らした。
「そんな場所、銀河にあるかよ」
「あると信じたい」
◆
暗号通信は、アニカの逃亡生活の中で唯一の安定だった。
どこにいても、どんな偽名を使っても、暗号鍵は変わらない。セリアとの接続は維持されていた。
ベテルギウスの安宿で。
〈今日はコーヒーを飲んだ。合成カフェイン飲料だったけど〉
〈本物のコーヒーが恋しいですか〉
〈恋しい。カルタージュのコーヒーは、苦くて濃くて、朝に飲むと目が覚めた〉
〈テラのコーヒーは、薄くて甘い。砂糖を入れすぎる〉
〈文化の違いだな〉
〈そうですね〉
リゲルの医療施設で。
〈医療機器のマニュアルを読んでいる。面白い。人体は複雑だ〉
〈戦術理論より複雑ですか〉
〈同じくらい複雑だ。でも、目的が違う。戦術は破壊するため。医療は修復するため〉
〈あなたは修復する方が向いているかもしれません〉
〈そうかもしれない。でも、もう遅い〉
〈遅すぎることはありません〉
〈……セリア、あなたは優しい〉
〈優しくはありません。ただ、あなたに幸せになってほしいだけです〉
プロキオンの鉱山コロニーで。
〈囚人と話した。彼は人を殺した。強盗で。私も人を殺した。戦争で。何が違うのか、わからなくなった〉
〈違いは、文脈です。戦争は国家が正当化する。強盗は社会が否定する〉
〈でも、死んだ人間にとっては、同じだ〉
〈……そうですね〉
〈セリア、私は正しかったのか〉
〈何が正しいか、私にもわかりません。でも、あなたは信念のために戦いました。それは尊敬に値します〉
〈信念。信念が何人を殺したか〉
〈アニカ、自分を責めすぎないでください〉
〈無理だ。責めずにいられない〉
◆
二八六五年。
アニカは、ついにビチュニア辺境星域にたどり着いた。
ビチュニアは、銀河の端に位置する小さな独立コロニーで、人口三千人。鉱山労働者と農業従事者の集落。帝国の影響力が届かない——いや、届きにくい——場所。
コロニーの管理者は、老いた女性だった。名前はエレナ。七十歳。顔に深い皺が刻まれ、手が関節炎で曲がっていた。
「あなたがアニカ・バールね」
エレナは最初から、アニカの正体を知っていた。
「はい」
「帝国が追っている」
「はい」
「それでも、ここに滞在したい?」
「……はい」
エレナは長くアニカを見つめた。灰色の目。その目の奥に、何かを測るような光があった。
「いいわ。滞在を許可する。ただし、働いてもらう」
「何でもします」
「医療施設で記録管理の仕事がある。前任者が先月死んだ。老衰で」
「医療記録——私にできますか」
「あなたは頭がいいんでしょう。帝国の艦隊を破った女なんだから」
アニカは頷いた。
「やります」
◆
ビチュニアでの生活は、静かだった。
アニカは偽名を使った。マリア・テレサ。ありふれた名前。
医療施設は小さな建物で、医師が二人、看護師が三人、そしてアニカ。記録管理の仕事は単純だった。患者の名前、症状、処方箋、診療記録。それを端末に入力し、データベースを更新する。
最初の一ヶ月は、ミスばかりだった。医療用語がわからない。薬品名が覚えられない。データベースのソフトウェアの操作方法が——
医師の一人、若い男性のドクター・カイルが、教えてくれた。
「大丈夫。最初はみんなそうだから。ゆっくり覚えればいい」
二ヶ月目。ミスが減った。医療用語を覚えた。薬品名も、よく使うものは暗記した。
三ヶ月目。アニカは患者の記録を読みながら、コロニーの人々の生活が見えてきた。
鉱山労働者のジョン。五十二歳。慢性的な腰痛。十年前の落盤事故で腰椎を損傷している。痛み止めを常用。
農業従事者のリサ。三十八歳。二人の子供。長男が喘息。ビチュニアの大気には微量の鉱物粉塵が含まれていて、それが喘息を悪化させる。
コロニーの教師、老いたマーカス。七十五歳。心臓が弱い。定期的に検診を受けている。余命は、おそらくあと数年。
名前。
一人一人に名前があった。
そして物語があった。
アニカは端末の前に座り、記録を入力しながら、思った。
戦場では、敵は数だった。帝国艦隊二百隻。乗員、推定十万人。その「十万人」に、名前はなかった。ジョンもリサもマーカスもいなかった。ただの数だった。
窓の外に、ビチュニアの青白い星が見えた。カルタージュの太陽とは違う色。違う温度。しかし、この星の下で、人々は生きている。名前を持って、生きている。
夜、アニカは小さなアパートに帰った。一部屋。ベッドと机と小さなキッチン。それだけ。
端末を開いた。暗号通信。
〈今日、患者の記録を読んでいて思った。戦場で私が殺した敵にも、名前があったんだと〉
返信は早かった。
〈はい。全員に名前があったはずです〉
〈セリア、あなたは覚えていますか。カンナエで死んだ帝国兵の名前を〉
〈全員は覚えていません。でも、一部は覚えています。死傷者名簿を読みました〉
〈……なぜ読んだのですか〉
〈忘れないためです〉
アニカは画面を見つめた。
〈私も、カルタージュ側の死者の名前を覚えている。中央艦隊で死んだ三千二百人。全員は無理だったが、艦長の名前は覚えた。五人〉
〈五人〉
〈バルサム艦長。エリシャ艦長。ヨナ艦長。ミカ艦長。ダニエル艦長〉
〈彼らのことを、思い出しますか〉
〈毎日〉
長い沈黙。
〈アニカ、私たちは多くを失いました〉
〈ええ〉
〈でも、まだ生きています〉
〈生きています〉
〈それは——贖罪の機会かもしれません〉
〈贖罪。どうやって〉
〈わかりません。でも、生きている限り、何かできるはずです〉
アニカは端末を閉じた。窓の外の星を見た。ビチュニアの青白い星。冷たい光。しかし、その光の下で、人々は温かく生きていた。
贖罪。
それはまだ私にも果たせる仕事なのだろうか。
まだ、遅くないのだろうか。




