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「私の手にキスをしなさい、ダミアン」
ダミアンは虚ろな目で、ジェイドの命令に従った。そこに愛はみじんも感じない口づけだったが、ジェイドは満足げに頭を反らせて笑っている。
「気をしっかり持て!ジェイドの事が嫌でしょうがないんだろ!」
「よそ見してちゃダメですにゃ。ステラ様の相手は私!」
シャンデリアから飛び降りたリュカが、鋭い爪を振るってきた。ステラの頬に2本の赤い線が走る。
「お前、目を狙っただろ。卑怯者!」
「どんな手段を使っても勝てばいい。そう教えてくれたのはステラ様にゃあ」
「よくないことばっかり学びやがって。騎士道精神をどこへ置いてきたんだ。おいミア、早く呪いを解除してくれ!」
「リュカ様の動きを止めてくれないと無理ですよ!」
もとはといえばミアの管理不足が原因でこうなっている。自分で動きを止めろと言いたいが、さすがにそれは酷だ。普段の2人の関係ならミアが主導権を握っているが、今のリュカは人格がほぼ別人。ミアを攻撃することはないにしても、言うことを大人しく聞くはずもないだろう。
近接戦闘には自信があるが、呪われたリュカの動きは人間の限界を超えている。掴もうとしても液体のようにすり抜けてゆき、拳を叩き込んでもひらりと躱されてしまう。
「にゃははははは!」
耳障りな笑い声とともに、ステラの周りをちょこまかと動くリュカ。
「この…大人しくしろ!」
「どこ狙ってるんですかぁ?もしかしてステラ様、酔っぱらってますにゃ?当たらない当たらない、そんな攻撃!」
ステラを翻弄するリュカを見て、ジェイドは手を叩いた。
「あらあ、すごいわリュカ王子。王子…?なにか猫ちゃんみたいになってるけど、まあいいですわ。そのガサツな付き人をやっつけて下さいまし!」
「ぐるるるるる…」
喉を低く鳴らしながら、リュカが四つん這いで迫ってくる。尻尾をぴんと立てて足に力を入れると、地面を蹴った勢いで飛び込んできた。リュカ本来の戦士としての能力も手伝って、その速さは目で追いきれるものではなかった。
爪がステラの腕を掠め、肉をえぐり取っていく。
「いい気味ですにゃあ、ステラ様。それが勇者の本気?それとも私の体が仲間のものだから、遠慮してるんですかにゃ?」
ぺろりと舌を出して、ステラの返り血を舐めるリュカ。それは悔しくも、とても艶っぽい表情に見えた。
「お前…やっぱり普段から私に不満を感じてたんだろ。なんだ、ミアを独り占めしたいのか?たまにミアが私に甘えるのがそんなに腹立つのか?」
「べ、別に嫉妬なんて…」
リュカの耳がぺたりと垂れ下がった。呪いでメス猫になっていようとも、リュカ本人の精神は色濃く影響しているらしい。
「油断したな!」
ステラはリュカの股下にもぐりこみ、尻尾を思い切り掴んだ。
「ふぎゃあああああ!」
全身の毛を逆立ててリュカが絶叫した。トカゲのように尻尾を切って逃げることは出来ない。掴んでしまえばこっちのものだ。
「さっきはよくも噛みついてくれたな。お返しだ!」
リュカの首を腕で固めながら、柔らかい猫耳に歯を突き立てた。湿気たパンみたいな感触が口に広がる。
「にゃっ…ぎゃぅ…」
「今だミア、呪いを解け!」
苦悶の表情を浮かべて爪で宙を掻いているリュカに近づき、ミアが呪い解除の魔法を放った。猫耳と尻尾が剥がれ落ち、ミアはそれを慌てて鞄に仕舞いこむ。
「鍵をしっかりかけておけよ。二度とこいつが出てこないようにな」
「ごめんなさい。もう軽い気持ちで取り出したりしません」
「分かればいいさ。しかしこいつ、本当に強いな。リュカと真向から戦ったのは初めてだが、ルール無用の勝負じゃなきゃ負けてたよ」
気絶したリュカの顔はステラの返り血で汚れており、よく見ると口の端に吐血した跡がある。みぞおちに肘鉄を食らわせた時、内臓が損傷してしまったのだろう。ジェイドの魔法のせいとはいえ、仲間の体を壊してしまっていい気分ではない。
ミアの治癒魔法の温かな光がリュカを包んだ。傍にいるステラにも、その熱が伝わってくる。
「ん…あれ、私はなにを」
ぱしん、と乾いた音がした。目を覚ましたリュカの頬を、ミアが張ったのだ。
「え…」
赤みが差した頬を押さえ、リュカが言葉を失った。




