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ステラが取った行動は、リュカへの攻撃ではなかった。ミアの腰に手を回して体を抱き寄せると、髪からは甘い香りが漂ってきた。
「ステラ様、なにを⁉」
ミアを壁ぎわに追い詰めて、小さな下顎を指で持ち上げた。噛む力の弱そうな顎だ。そのままの顔をゆっくりと近づけていく。
「ちょ、ちょ、ちょ、なんですかなんですか⁉」
ステラはミアと唇が触れ合う寸前で止め、リュカを振り返った。
カラン、という音が部屋に響く。動揺のあまり、リュカが剣を取り落としたのだ。狙い通り。ジェイドの魔法で操られていようと、中身はリュカだ。目の前で堂々とミアの唇が奪われたと思い込ませれば、心がかき乱されるに違いない。
「あ…ああ…」
予想以上に効いているようで、虚空を見つめていたリュカの目が焦点を結び始めた。
「隙あり!」
床に落ちた剣を蹴り飛ばし、リュカの武装を完全に解除させた。相手は洗練された剣技の達人だが、素手の勝負なら負けない。リュカの懐にもぐりこみ、みぞおちに肘鉄を食らわせる。
「ぐほっ!」
リュカが地面に膝をついて、腹を押さえ込んだ。
「リュカ様が!芸術品のようなお体が、ステラ様の馬鹿力の餌食に!」
「倒せって言ったのはミアだろ!」
「無傷でって言ったじゃないですか!」
「私が了承したか⁉」
うずくまるリュカの背中を擦ってやったが、なかなか顔を上げてこない。力加減を間違えたかもしれない。
「すまんなリュカ。内臓が潰れてたら、あとでミアに治してもらってくれ…うわっ!」
隷属の魔法はまだ解けていなかった。リュカは拳を握りしめ、ステラの顎目掛けて振り上げた。ミアとキスしたと誤解させたことで、ショック療法のように一時的に意識が戻ったが、ジェイドの魔力は強力らしい。剣の攻撃ほどではないが、リュカの拳も速い。しかし拳の戦いなら、ステラに分がある。繰り出された攻撃を避け、リュカの腕を掴んで動きを封じた。
「どうしても私に牙を剥きたいようだなぁ⁉そんなに普段から不満が溜まってるのか。お前、ジェイドの魔法にかこつけて私を殴りたいだけじゃないだろうな、ああん⁉」
恨まれる節がないかと言われれば、少々怪しい。実際にステラは、遺跡での戦いでミアの唇を奪っている。あれは不可抗力とはいえ、リュカの目の前で堂々とキスをした。あの時もリュカの精神はおかしくなってしまった。今回は演技で寸止めしたとはいえ、リュカは2人がまたキスをしたと勘違いしている。嫌がるリュカに無理やり酒を飲ませて、朝まで連れ回したこともあるし、若い娘の商人相手に値切るため、リュカの甘いマスクを利用したこともある。思い返せば、恨まれる理由はいくらでもあった。
だがステラとて、黙って殴られるわけにもいかない。リュカをうつ伏せにして馬乗りになり、一切の抵抗を出来なくした。
「どうだジェイド、王子はもう使い物にならないぞ。大人しく降参しろ」
「降参なんてごめんですわ。大体なによあなたたち。どうして私の邪魔をするの?王子は私に求婚するために、はるばるシルヴァン王国からやってきたのでしょう。私が王子をどうしようが勝手じゃないの」
「ねえよ、そんな王国」
「え?」
「こうなってしまっては作戦も何もないから言ってやる。シルヴァン王国なんて王国はないし、リュカも王子じゃない。全部ミアのでっち上げだ」
魔法で隷属させるような危険な女のところに、作戦のためとはいえリュカを置いておくわけにはいかない。もう全て白紙だ。
「私への求婚も、全部嘘?な、なんでそんな事するのよ」
「ミアの自己満足だよ。リュカに王子の恰好をさせたいっていう、邪な願望だけでここまで来たんだ。まあ、そもそも話を持ってきたのはダミアンだが…」
「ダミアン?」
ジェイドの眉がぴくりと動いた。
「ダミアンのことを知ってるの?」
「ダミアン様なら、ここにいますよ」
作戦の打ち切りを察したミアは、もうダミアンの正体を隠す必要がないと判断したらしい。彼のフードを勝手に脱がせ、絵画のような美しい青年の顔を露わにした。
「ダミアン!戻ってきてくれたの?」
「く、来るな!」
ステラが先ほど蹴り飛ばしたリュカの剣を拾い上げ、ダミアンが剣先をジェイドに向けた。




