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動物が相手を毛繕いするのは、愛情表現の一つだ。だが、それ以外にも意味がある。それは格差関係の明確化である。格下の動物が格上の毛を舐めて綺麗にするという行為は、人間でいうところの靴を舐める事に似ている。

 

 女豹と化したリュカの毛皮を舐めさせられている男は、まさに格下だ。人間と獣人など関係ない。そこに種族の壁などなく、あるのは生物的にどちらが強いかという事実だけだ。とは言ってもリュカは人間なので、正体を知っているステラからすれば、人間同士の特殊なプレイにしか見えないのだが。

 

 「もういいですよ、大変よくできました」

 

 圧倒的な力の前に、恥も外聞も捨てた男の頭を押しのけたリュカが、満足げに笑う。

 

 「そうだ、確かステラ様、仰っていましたよね?獣人になるなら、せっかくだから語尾も変えればいいと」


 他人のふりを決め込もうとしていたところで話を振られたので、仕方なく頷く。

 

 「猫っぽい見た目のミアが、にゃんとか言えば可愛いかなって」

 

 実際にそんな語尾で喋る獣人など存在しない。こういう店ではキャラ付けのためにやっている獣人もいるにはいるが、それは客に媚びるためだ。ステラもほんの冗談で言っただけだし、ミアにも冷たくあしらわれたその案を、リュカは鵜吞みにした。

 

 リュカはミアの耳、人間のほうではなく付け耳のほうを撫でながら、人間のほうの耳元で囁いた。

 

 「ミア様のそのお姿、とても可愛らしいですにゃん」

 

 「がっ…」

 

 ミアが何か吐いた。そして倒れた。

 

 まるで悪い魔法にかかっているように、女豹のリュカは積極的だった。コスチューム一つで、人はここまで変わるものなのか。これ以上放っておいては危険だ。ミアに追撃が加えられる前に止めなくては。

 

 「リュカ、そこまでだ。今の君はなんというか、危ない。いい意味なんだけど、なんか危険だ。ミアを守ってくれたのは感謝するが、もう満足だろ?ていうか君が必要以上にときめかせたせいで、ミアがぶっ倒れてるじゃないか」

 

 せっかく男の魔の手から守ったのに、リュカの囁きのせいで、ミアは勢いよく床に転がってしまった。側頭部を強かに打っていたが、大丈夫なのだろうか。


 「そんな事言わずに、ステラ様もこちらへいらっしゃってください。堅苦しい鎧なんて脱いで、今夜は楽しみましょうにゃん」

 

 何かがおかしい。リュカは本物の猫のように四つ足でカウンターに乗り上げ、ステラの首元に顔を近づけた。顎の下の臭いを嗅ぐように、すんすんと鼻を動かしている。まるで酔っぱらった時のステラのごとく、自我のコントロールが出来なくなっているのではないか。腰をくねらせ、ステラの肩に顔を乗せてくるリュカに、誇り高き戦士の面影はない。

 

 リュカの口から漏れた熱い吐息が、ステラの耳にかかった。

 

 「ひっ⁉」

 

 ステラは思わずリュカを押しのけてしまった。絶対にリュカの身に異変が起きている。酒も飲んでいないのに、ここまで人が変わるのは異常だ。ミアが気絶していて良かった。こんなリュカの姿はミアに見せたくはない。


 「にゃに…するんですか」

 

 リュカは拗ねたように口を尖らせる。

 

 「言葉までおかしくなってるじゃないか!変な語尾を提案した私が悪かったから、もとに戻ってくれ!」

 

 リュカの意思が、獣人に乗っ取られている。この状況は、そう理解せざるを得ない。原因として考えられるのは、あの付け耳としっぽと毛皮しかないだろう。ステラが踊り子のエルシィにもらった衣装に魔法がかけられていたように、リュカが着ているそれにも特殊な魔法がかかっている。その可能性がきわめて高かった。

 

 「まったくリュカめ。適当に店主から借りてきた衣装に、まさか魔法がかかっているとはな。運が悪いというかなんというか。ま、良いものを見せてもらったが、これ以上好き勝手はさせないぞ。その毛皮、剥いでやる!」


 ステラはリュカの胴体を掴もうとしたが、まるで空気のように手の間をすり抜けていった。猫の体は液体のようにしなやかで、小さい隙間もすり抜けられると聞いたことがあるが、そんな体質まで再現されているのか。一体どんな魔法がかけられているんだ。

 

 「遊びましょうにゃん、ステラ様。捕まえてみてください!」

 

 「待て、このメス猫ぉ!」

 

 リュカは腰を低くして反動を付けると、一気に飛びあがった。天井まで届きそうなくらいの跳躍力だ。吊り下げられた照明に掴まり、空中ブランコの要領で勢いをつけて、カウンターの向こう側へ飛んでいく。

 

 本物の獣人のスタッフや店主が、散り散りに逃げていった。なにが騒ぎを起こすとまずいだ。お前が一番暴れているじゃないか、とステラは心の中で毒づいた。

 

 バックバーに並べられた酒瓶を次々となぎ倒してゆくリュカ。瓶が割れて、床にぶちまけられた酒をペロペロと舐めている。すでにおかしくなっているのに、そこに酒が入ったらもう最悪だ。ステラはカウンターを飛び越え、リュカのしっぽを思い切り掴んだ。

 

 「ふぎゃぁぁぁ!」

 

 聞いたことのないような声でリュカが鳴いた。しっぽはすぐに引っ込められ、さっと身をひるがえしたリュカがステラと対峙する。しっかり四つ足で。もう完全にネコ科だ。つい数十分前までは、戦士だったじゃないか。

 

 「ぐるるるるるるる…」 


 低く喉を鳴らして威嚇してくるリュカに、敵意が無いことを示すために両手を上に上げた。あの毛皮を剥がすことが出来ればおそらく魔法も解けるのだが…。

 

 冗談みたいな形で決裂した勇者パーティー。その間にいきなり割って入って来た男がいた。

  

 「まいどー、オーナーさん。例のもの取りに来ましたよ…ってなんだこれ⁉」

  

 しわの寄ったシャツに、ハーネスというスタイルの30代くらいの男は、なんとも説明しにくい状況を見て驚きの声を上げた。

 

 「危険だから離れてろ。このメス猫は私の仲間なんだが、訳あって今は敵対している」

 

 「メス猫なんてひどいですにゃぁん」

 

 「その甘えた喋り方をやめろ。正気に戻った時、めちゃくちゃ恥ずかしいぞ」

 

 ステラとリュカのやり取りを聞いて、男は合点したように手をポンと打った。

 

 「あー、なるほどなるほど、そういうことね。この子呪いにかかってんすよ」

 

 「呪いだと?」

 

 「僕、ロメオって言います。呪いのアイテム専門の収集家やってます」


 ロメオはポケットに手を入れてゴソゴソしていたが、目当てのものは見つからなかったらしい。


 「いけね、書いてもらった紹介状どっかに落としてきたかも。まあここのオーナーさんは懇意にさせてもらってるし、今更いらないっしょ」

  

 商人が別の土地で商売を行う場合、有力な貴族や地主などから書いてもらった紹介状が必要になる。これが身分を証明するアイテムにもなるのだが、どうやらロメオはそれを無くしたようだ。

 

 「専門家ならこの状況、なんとかしてくれないか?」

 

 「もちろんもちろん。任せてください。僕の使う魔法は、呪いの解除専用っすから」

 

 ロメオが細い杖をポケットから取り出した。そんなところに入れているせいで、杖が不格好に曲がってしまっている。

 

 本当にこの男にリュカにかかった呪いが解けるのか怪しかったが、ロメオが杖を一振りすると、たちまちリュカの体から黒い煙が上がった。

 

 「にゃぁぁぁぁぁぁ…」

 

 リュカの鳴き声は先細り、ついには聞こえなくなった。ぐったりと脱力したリュカの頭から、付け耳が自然に外れた。次いでしっぽが抜ける。残るのは毛皮のみだ。

 

 「ちょいと失礼」

  

 ステラはリュカの毛皮を引き裂いた。露になった肌着をロメオに見られないように、リュカの体を隠す。

 

 「ね、呪いの解除なんて簡単でしょ?」

 

 ロメオは得意げに鼻を鳴らし、杖をポケットに押し込んだ。

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