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あんなにもぶ厚い贅肉に覆われていたマダム・シスルの体は、今や見る影もない。彼女の体型に合わせて作られていたドレスはぶかぶか。体と生地の間にできた空間に、人間が3人は入りそうな余裕がある。骨と皮だけの動くミイラになったマダムは、ミアに向かって吠えようとした。
しかしあの衝撃波は、もう出なかった。マダムの口から漏れたのは、掠れたうめき声だけ。耳をすませないと聞き取れないくらいの音量で、何かを呟いている。おそらく怨嗟の言葉なのだろうが、何を言っているかまでは分からない。
「ミア、一体なにをしたっていうんだ。呪いか、呪いなのか」
「私は僧侶ですよ。呪いなんて使えません。食べ過ぎで太ってしまったマダムの肥満を治して差し上げただけです」
「それでこんなことに?」
「ええ。不摂生って恐ろしいですね。ステラ様も気を付けないとダメですよ。お酒ばっかり飲んでますし、食事も脂っこいものがお好きでしょう?」
野菜も食べるようミアから何度か忠告を受けていたが、ステラは耳をふさいできた。酒に野菜は合わない。
敵地の真ん中で、勇者のだらしない食生活について諭す僧侶。そんなふざけた光景にも、衰弱しきったマダムでは文句の一つも言えない。声を出そうとしても、ミアの治癒魔法によって筋肉も脂肪とともに溶かされている。舞踏室を破壊したかつての咆哮は、もう出せないのだ。
「か…かっ…」
「なんか言ってるぞ」
「なんですかマダム・シスル。言いたいことがあるなら聞きますが」
ミアの口元に意地の悪い笑みが浮かんだ。出会った頃の愛らしいミアはどこへ行ったのだ。いや、今でも可愛らしいことに変わりはないが、完全に人が変わってしまっている。愛しのリュカを傷つけられて、ミアの中で何かが弾けたのかもしれない。
「ぁ…っ…ぐぅ…」
ミアは耳に手を添えて、いかにも傾聴しているような素振りを見せる。
「耳は良いほうなのですが、マダムの言っていることは残念ながら聞き取れませんね」
「怖いよぉ、この子」
「さ、ステラ様。斬るなら今ですよ。ステラ様の刃も通さなかった贅肉はもうありません。腕なり首なり、どこでもズバッとやってしまってください」
ミアのいう通り、ステラが最初にマダムと戦ったときに仕留め損ねた理由は、まさにぶ厚い贅肉にあった。剣を突き立てたものの、ぶよぶよの肉壁は刃を一切通さず、ダメージを与えることができなかったのだ。
「リクエストはあるかい、ミア」
「リュカ様の痛みは味わってもらわないと気が済みませんので…。左腕からお願いします」
「かしこまりました、ミアお嬢様」
舞踏会でリュカがやっていたような紳士的な所作で、ミアに一礼をしてから、剣を振り上げた。
マダムの左腕は、まるで木の枝を折るかのように簡単に切り落とせた。手ごたえがなさ過ぎて困惑するくらいだ。
マダムは痛みにのたうち回っているが、悲鳴を出すことすらできずに、口をぱくぱくさせて痙攣するだけ。その様子はまるで、陸に打ち上げられた魚だった。
次いで右腕、足と切り落としていく。最後に残ったのは頭だけになった。
「どうする、これも斬るかい?」
「いえ、リュカ様への謝罪の言葉をまだ聞いていません」
ミアは後方で倒れているリュカをちらりと見た。マダムに骨を折られ、そのあとも追撃を受けたリュカは、口の端から泡を垂らして気を失っている。
「リュカ様には私からあとで伝えておきますので、謝罪の言葉を言ってください。マダム」
首だけになったマダムがミアの要求に応えるのか。どうせマダムに抵抗はできないので、事の成り行きを見守るステラ。
しかしさすがは魔王の配下。ただでは死なないという意思が、まだそこには残っていた。マダムは血の混じった唾を、ミアに吐きかけた。
「うわっ、きたな!」
ミアが手の甲で唾を拭い、そしてマダムの頭を踏みつけた。その動きはあまりに自然すぎて、決着の瞬間とは思えない呆気なさだった。




