200
人間が魔族になる瞬間など目にしたことが無かったが、実際に目の前で展開されたそれはステラの想像を絶する痛ましい光景だった。
「があああぁぁぁっ!」
魔族とのまぐわいを終えたファリナの絶叫が響き渡る。彼女の心臓が赤く光り、どくどくと激しく脈打っている様子が皮膚の向こうに透けて見えた。血管が膨れ上がり、全身から血が噴き出す。眼球が左右それぞれ別の方向を向き、口からは胃液のようなどろどろした液体が溢れていた。
「…あれって死ぬやつですか?」
「死ぬんじゃないか。普通の人間ならショック死か多量出血でくたばってるぞ」
ファリナの周りは、彼女の体から噴き出した血で赤一色に染まっている。ステラもこれまでの戦いで多くの怪我を負ってきたが、ここまでの量の血を一気に流した経験はない。それでもファリナは意識を保っていた。
「なに…これ、やだ、シャルロ、助けて」
「ファリナが無理やり儀式を強行したんじゃん。正しいやり方は知ってたみたいだけど、そのあとに地獄のような苦しみがくることまでは知らなかったんだ。だから止めたんでしょ。ファリナが強いとはいえ、人間の女の子が耐えられる痛みじゃないんだから」
ファリナは艶のある髪の毛を掻きむしり、根本からぶちぶちと引き抜いた。もう痛みで精神が狂いだしている。まるで顔の中に潜むなにかを引きずり出そうとしているかのように、力任せに頬を引っ掻く。
ミアに恋愛のアドバイスをしていた時の大人の余裕や、ステラと疑似恋愛をしていた時の妙に楽しそうなファリナの面影はもうない。そこにあるのは、血にまみれてのたうち回る何かだった。
「ひどい…。ちょっとあなた、ファリナお姉さまを愛していたんじゃなかったのですか!」
「好きだったよ。でも魔族になりたいっていうのは、ちょっと重すぎるかな。人間なら放っておいてもそのうち死ぬし、飽きたら捨てればいい。けどお互い魔族ってなると、僕と同じくらい長寿になるわけでしょ?それって面倒じゃん。一度喧嘩したら、下手すれば100年くらい気まずい状態が続くんだよ」
「だからファリナが痛みに耐えきれずに死ぬのが分かってて、儀式をするのを止めなかったんだな」
「そう、勇者さんの言う通り」
「クソが。やっぱり魔族は人間とは相容れないな」
「禁断の愛、なんてものはありませんよ。人間は人間としか結ばれないんです。チロルは女の子たちをやつらから守るため、魔王軍と戦います。男は自衛してください」
「チロル、あいつを挟み撃ちに…いや待て。ファリナの様子が変だ」
もう体中の血液を出し切ったのではないかと思うほど出血したファリナは、ぴたりと動きを止めた。ステラはそれを絶命のサインだと思ったのだが、しばらくしてファリナはゆったりと立ち上がった。
「ファリナ、生きてるのか?」
「なんと!凄まじい生命力」
ステラとチロルの呼びかけにファリナは答えない。ガチガチと歯を鳴らし、血走った目で遠くを見つめている。
「聞こえてないのか」
「さっきので鼓膜も破れたのではないでしょうか」
「ファリナ。私が見えるか?」
やはり反応がない。今のファリナには、音も光も届いていないのだろうか。
「ステラお姉さま、あまり不用意に近づかないほうがいいかもしれません。ファリナお姉さまの魔力が、信じられないくらいに膨れ上がってます」
チロルに言われて距離を取った瞬間、ファリナの立っていた地面が割れ、先ほどの爆発で燃え残っていた木々が、まるで命を吸われたかのように一斉に枯れた。
「あっぶねえ!私まで巻き込むつもりか!」
「もはやそこに立ってるのは、ファリナお姉さまではないと思います。魔力の質が、人間のそれではありませんゆえ」
チロルの言わんとしている事を頭では理解できたが、声に出すのが怖かった。ステラの代わりに後を継いだのは、シャルロだった。
「あーあ、魔族になっちゃったよ。あのまま死んでくれるかと思ったのにさ」




