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冷たい洞窟の地面が、火照った体から熱を奪う。カリンの舌の感触が残る口を、今すぐに水でゆすぎたい。だって、あれは本物のカリンじゃないのだから。
奥のほうに見えた水たまりへと這っていくステラを、オルタナが踏みつけた。
「おっと、どこ行くんだ。まだ終わっちゃいないぞ?」
オルタナがステラの腹を蹴り、蹲っていたところをつま先で裏返してきた。仰向けにさせられたステラの顔に、洞窟の天井から水が滴る。
「もっと見せてくれよ。勇者がキスでとろける顔を…」
オルタナ扮するカリンの舌が、再び口に差し入れられた。指先から力が抜けてゆき、涙があふれるのが止められない。これが何の涙なのか、ステラ自身にも分からなかった。恋人を失った悲しみか。カリンの恰好をした敵に蹂躙される屈辱なのか。
頭が真っ白になり、意識が飛びかけた。キスに飽きれば、オルタナはそのうちステラを殺すだろう。カリンと同じところへ行けるなら、それもいいかもしれない。そんな考えを、ミアの声が吹き飛ばした。
「な、な、なんですかこれ!どういう状況ですか!」
ステラの体には、カリンの姿をしたオルタナが重なっている。つまり、洞窟に現れたミアは本物だ。オルタナの擬態じゃない。
「心配して来てみれば…。ああそうですか。お楽しみの最中でしたか。はいはい、それは失礼しました。どうぞ続けてください」
「ちょ、ミア。帰ろうとしないでぇ…」
オルタナに舌を散々絡められたせいでうまく声が出ないが、ミアはステラの呼びかけに振り返った。
「もしかして襲われてたんですか?」
ステラはこくこくと頷いた。
「うーわ、最低ですね、カリン様。こんな人気のない場所に連れ込んで。あんな乱暴な手段でステラ様を攫っておきながら、結局やることがこれですか」
「先にやってきたのはステラだがな」
「なんですって」
「違う、違うんだって」
「ステラ様が違うと弁明するときは、必ず何も違わないときなんです。私知ってます」
真剣勝負から、淫靡な肉体的接触へ持ち込んだのは確かにステラだった。だがそれは、耳が弱点のリュカに擬態したオルタナが悪い。
「こいつ、耳ばっかり舐めてきやがってさ」
「みっ…、ほんとなにやってるんですか!カリン様にボコボコにされて、挙句の果てに攫われたから、本気で心配して探しに来たのに!」
「違うんだよぉ…」
リュカの姿をしたオルタナの耳を舐めたなどと言えば、激怒されることは間違いない。せっかく助けにきてくれたミアを逃すわけにはいかないので、違うとしか言えなかった。
「しかしお前、どうやってここまで来たんだ。魔力で居場所がばれないように注意は払ったつもりなんだが」
魔法とは無縁のカリンが、魔力という言葉を使ったことにミアは違和感を覚えたらしく、一瞬眉をぴくりと動かした。だが、まだミアはオルタナの存在を知らない。目の前にいるのがカリンだと思い込んでいる。
「ええ、魔力は感じませんでしたよ。この場所が分かったのは、ステラ様の臭いのおかげです」
「臭いだと?」
「血と汗の混じった、かぐわしい香りですよ。それを嗅ぎつけてやってきたんです」
「はっ、お前犬かよ」
「犬じゃありません。猫です。それに臭いを嗅ぎつけたのはこの子ですから」
薄暗い洞窟の中で、二つの瞳がキラリと光った。四本の前足で、音も立てずに現れたのは、獣人姿のリュカだった。
「臭いからすぐ分かりましたにゃあ」
「げっ、なんだこいつ、耳生えてる!男みたいな顔して、そういう趣味だったのかよ」
「おー、よしよし。よくぞステラ様の居場所を突き止めてくれました。あとでたっぷりなでなでしてあげますね」
ミアに顎の下を撫でられ、リュカは目を細めた。
「なんだよお前ら。ステラに愛想尽かしたくせに」
「あんな乱暴にされてるのを見たら、さすがに放っておけないでしょ。カリン様、やっぱりあなたにステラ様は任せられません。返してもらいますからね!」




