二人
「言い伝えや」
金持は、静かに笑って答えた。遠くにあった雷鳴は近づいてきて、外では雨が降っていた。やがて、湿気が黒井の部屋を満たしていった。
黒井は目を瞠った。
「冗談や、師匠はんと、お初の主遣いはんと一緒に練習してたんや」
本番が終わったあと、お初の主遣いと師匠が金持の部屋を訪ねて稽古をつけてくれたらしい。そのとき、足の具合も見てもらったそうだ。金持は、次の本番では足遣いに戻れると言っていた。
「君が外された理由は……」
「足やろ、こんなピンピンしてるのにおかしな話やな」
「そうだね、おかしな話だ……」
黒井の胸の奥に不安が広がっていく。金持が注いだ水を飲んで横になった。
「この前、僕になりたいって言っていたよね。あれはどういう意味?」
不安を無視するかのように金持に問いかけた。
「意味もあらへん。あれが本心や」
金持が手を伸ばし、黒井の額に置いた。指先が冷えていて鳥肌が立った。
「黒井はん、張り詰めすぎたんやろ。だから、倒れてしもうたんや」
「そうかもなぁ……竜胆の匂い、僕は好きだよ……」
「……」
ふいに、金持の身体が黒井に重なった。金持の髪に触れると、いつも艶やかな髪が、今日はほどかれていた。黒井は何度も金持の頭を撫でた。金持の親指もまた、黒井の額を優しく行き来していた。そして、冷たく乾いた金持の唇が、黒井の首筋に落とされた。黒井は、撫でていた手を止め、ただ天井を見ているしかなかった。息を吸うと、重い空気が肺に溜まる。胸の上に後悔が乗っているようだった。
「ほんまやで、ほんまに黒井はんになりたい……」
金持は、耳に心地よい声で囁いてくる。
「僕は……」
金持の唇が黒井の首筋から離れた。黒井の顔を窺うように一度止まる。そして、再び喉仏に触れた。金持の髪が黒井の顔を何度もくすぐった。金持は止まらなかった。黒井は、目を閉じ、金持の匂いを身体に染み込ませた。
「僕は……終わりにしたい……」
水差しが落ちた。




