第九話「届いた手紙と、月の道」
アルシェラ高原から麓の町へ戻って二日後。旅の疲れを癒やしながら次の行き先を考えていたマリアナのもとへ、一通の手紙が届いた。
「お嬢様。セレナディアからです」
「まぁ!」
ララノヴァから封筒を受け取る。差出人を確かめるまでもなかった。表には、見慣れたラドルフの文字がある。マリアナは窓際の椅子へ座ると、すぐに封を切った。
『マリアナへ。手紙をありがとう。無事に旅を続けているようで安心した。こちらは予想していた通り、戻った初日から仕事の山だった。父上には随分呆れられたよ。ただ、君を連れ戻せなかったことよりも、私まで一緒になって旅をしていたことの方が問題だったらしい』
マリアナの口元が少し緩んだ。
「ラドルフ様、叱られてしまったようですわ」
「当然かと。公爵家のお仕事を置いて、お嬢様を追いかけていらしたのですから」
「……それはそうですわね」
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『雲の上の花畑。残念ながら今回は見に行けなかったけれど、君の手紙を読んで、少し残念だと思った自分に驚いている。少し前までなら、花が咲く高原と聞いても、それだけだったはずなのにね。
もし本当に綺麗だったなら、どんな景色だったのか教えてほしい。できれば、君がどう思ったのかも。
それから。私にも見せたかったと書いてくれたことが、一番嬉しかった。
気をつけて旅を続けておいで。
ラドルフ』
最後まで読んでからも、マリアナはしばらく手紙を膝の上に置いたままだった。
「お嬢様?」
「……嬉しいですわ」
素直にそう思った。
「何がですか?」
「私が見たものを、ラドルフ様も知りたいとおっしゃってくださったことが」
マリアナは窓の外へ目を向ける。遠くに見えるアルシェラ高原の頂は、今日は薄い雲に隠れていた。
「本当に綺麗でしたもの」
「ええ」
「白い雲がずっと下に広がっていて、夜が明けると花が一斉に開いて……朝露が全部光るの」
話し始めると止まらなかった。空の色、冷たい朝の空気、開いていく花、雲の向こうに浮かんでいた山々。ララノヴァはしばらく聞いていたが、やがて小さく笑った。
「そのままお手紙に書かれてはいかがですか?」
「……そうですわね」
マリアナはすぐに便箋を取り出した。以前なら、誰かへの手紙にこんな長い文章を書いたことはなかった。けれど今は、伝えたいことがいくらでもあった。見たものを誰かに話したい。そして、その相手として最初に浮かぶのがラドルフであることを、マリアナはもう不思議には思わなかった。
*
手紙を書き終えたあと、マリアナは旅行記を開いた。
「さて」
「次をお決めになるのですね」
「ええ」
何枚か頁をめくる。雪山、巨大な樹木、赤く染まる谷。憧れの景色が次々と現れる。
やがて、マリアナの手が止まった。
「……ここがよさそうですわ」
「サルカディナ海岸でございますか?」
「ええ」
開かれているのは、満月の夜、海の中に白い道が現れる頁だった。
『サルカディナ海岸――月渡りの道。
月は二十八日で満ち欠けを一巡する。満月の夜と、その前後一夜ずつ。ひと月にわずか三夜だけ、夜半になると海が左右へ退き、沖合のアルジシ島まで白い石の道が姿を現す。
道が現れているのは、およそ二時間。月光を受けた白石は淡く輝き、黒い海の中央に一本の白い道が浮かぶ』
何度も読み返した文章だった。
マリアナは頁の隅に指を置きながら、頭の中で日数を数える。
「次の満月まで、十一日ほどですわね」
「ここからでしたら、順調に進んで八日ほどでございます」
「間に合いますわね」
マリアナの顔が明るくなる。
「では、次はここにいたしましょう」
「承知いたしました」
マリアナはもう一度、頁に描かれた白い道を見る。
「ずっと見てみたかったのです。月明かりの中を、海の真ん中まで歩いていけるなんて」
「戻る時間にはお気をつけくださいませ」
「まだ着いてもおりませんわ」
「今から申し上げておいた方がよいかと思いまして」
マリアナは笑った。そして書き終えたばかりの手紙へ、一文だけ付け足した。
『次はサルカディナ海岸へ参ります。満月の夜、海の中に白い道が現れるそうですの。今度はラドルフ様とも一緒に見られたら嬉しいですわ』
今度は迷わなかった。




