第二十五話「旅の続き」
翌日の昼前。王宮の一室で、マリアナたちは各地からの返事を待っていた。父たちは別室で宰相や役人たちと話しており、部屋にいるのはマリアナとラドルフ、ララノヴァの三人だけだった。
「……」
マリアナは窓の外を眺めていたが、やがて鞄へ手を伸ばし、いつもの旅行記を取り出した。
「久しぶりだね」
「数日開いていないだけですわ」
「君にしては久しぶりだよ」
「それは……そうかもしれませんわね」
マリアナは少し笑い、表紙を開いた。頁をめくる。逆流する大瀑布、七色に光る洞窟、空を渡る銀色の魚、雲の上を埋め尽くす花々、歌うエルシェナ山、満月の夜にだけ現れる白い道、砂の中から姿を現すラグナシア。もう自分の目で見た景色がいくつもあり、そして、まだ見ていない景色もそれ以上に残っている。マリアナの指が、一つの頁で止まった。
「あら」
ラドルフが隣から覗き込む。
「次に行きたい場所?」
「昔から行きたい場所の一つですわ」
見開きいっぱいに、一つの森が描かれていた。夜。空には月も星もほとんど見えないのに、森全体が淡い光に包まれている。木々の幹や葉が光っているのではない。無数の小さな光が枝の間を飛び、地面すれすれを走り、時には高く空へ舞い上がる。旅行記の中でも、マリアナが何度も眺めてきた頁だった。
「森が光るの?」
「ええ。それも、ただ光っているわけではないそうです」
マリアナは文章を指で追う。
「光は同じ場所に留まらず、木から木へ移っていくそうですわ。急に地面近くへ降りたかと思えば、一斉に空へ昇ることもある、と」
「生き物?」
「分かっておりませんの」
そこがマリアナにはたまらなく魅力的だった。旅行記の作者自身がこの森を訪れているのに、何が光っているのかまでは分からなかったらしい。虫かもしれないし、植物かもしれない。あるいは、まったく別の何かなのかもしれない。
「ここですわ」
マリアナが一節を示す。
「作者は最後に、こう書いておりますの。『もしかすると、あれは妖精たちのお祭りだったのかもしれない』と」
ラドルフが頁を見る。
「妖精?」
「もちろん、本当にそうだとは書いておりませんわ。ただ、そう思いたくなるほど不思議な光景だったのでしょうね」
マリアナは挿絵へ目を戻した。この頁も、幼い頃から何度読んだか分からない。文章の内容だってほとんど覚えている。それでも。
「何度読んでも、この頁だけは想像が追いつきませんの」
「そんなに?」
「ええ。滝なら、逆さに流れるところを何とか想像できました。空を飛ぶ魚も、雲の上の花も。でも、森全体を動き回る光というのは……」
マリアナは少し考える。
「どう動くのでしょうね」
それを考えるだけで表情が明るくなる。ラドルフも挿絵をしばらく眺めていた。
「私も見てみたいな」
マリアナが顔を上げる。
「本当ですの?」
「ああ」
「妖精のお祭りかもしれませんわよ?」
「それなら、なおさら見たい」
マリアナが嬉しそうに笑った。
「ララノヴァは?」
突然話を向けられたララノヴァが、旅行記を覗き込む。
「そうですね」
少し考えてから答えた。
「私も、これは実際に見てみたいです」
「では、三人で参りましょう」
「この騒ぎが終わったら?」
「ええ」
マリアナは頷いた。
「すぐでなくても構いませんわ。光る時期は先でございますし、道の状態も調べなければなりませんもの」
ラドルフが笑う。
「楽しみにしておくよ」
「私もですわ」
マリアナはもう一度、光る森の頁を見る。王都へ戻ったのは旅を終わらせるためではない。今起きていることを片づけたら、また続きを見に行く。
*
午後。マリアナたちは再び父たちと合流していた。昨日の混乱を受け、政務院から出される緊急通達は、当面すべて宰相自身が確認し、署名してから送り出すことになっていた。
各地から届く報告は、ようやく撤兵や検問解除の知らせが中心になっていた。
「このまま収まりそうですわね」
「そう願いたいところですな」
宰相が答えた。ところが、一人の役人が新しい報告を持って入ってくる。
「メティルディン男爵家が、兵を撤収させておりません」
「理由は?」
「ナラブリット子爵家の兵が、領境へ向かっているとの情報を受けたためです」
ディフォン公爵が眉を寄せた。
「ナラブリット側は?」
役人が手元の報告を確認する。
「そちらからも、すでに報告が届いております」
内容はほとんど同じだった。メティルディン男爵家が撤退せず進軍しているため、こちらも兵を戻せない。
「またか」
ラドルフが呟く。宰相がすぐに立ち上がった。
「双方へ早馬を出せ。西方の狼煙台には進軍停止の合図を」
「はい!」
だが、その直後。
「急報です!」
別の役人が駆け込んできた。
「メティルディン男爵家の部隊が領境を越えました!」
「どこへ?」
「シクルル村へ向かっています」
「ナラブリット側は?」
「そちらも同じ村へ」
マリアナの表情が変わった。
「接触するまで、どれくらいですの?」
役人が地図を見る。
「このまま進めば、日が落ちる前には」
宰相が即座に命じた。
「狼煙を回せ。早馬も一騎では足りん。街道ごとに出し、伝令所で馬を乗り継がせろ」
役人たちが走り出す。マリアナは地図を見た。二つの部隊、その間にある小さな村。
「間に合いますわよね」
誰もすぐには答えなかった。ラドルフが低い声で言う。
「間に合わせないと」
王都の狼煙台から煙が上がった。その合図は次の狼煙台へ、さらに西へ。同時に、何頭もの早馬が王都を飛び出していった。




