忍び音の時鳥(ほととぎす)
境内に誂えた盛砂の上で、直道の逞しい腕が鍬を振り下ろす。
途端に歓声が上がり、見物の女房たちが騒いでいる。
白い砂の上に、凛とした背中がよく映える。首……顔……唯のひとつも逃すまいと、瞬きすら惜しんで彼を見つめる。
前を見据える真剣な瞳に魅了される者がどれほどおろうかと、腹が立つ。そのくらいに男前である。
恙無くお田植えの奉納を終え、神田へと移動する。
色鮮やかな衣を身につけた早乙女らが、ずらりと並ぶ。横には太鼓や笛などの楽がおり、扇をひらりと掲げる主の合図で賑やかな音を奏で始めた。
早乙女らが揃って泥の中を進む。一歩進むごとに、裳裾が翻り、白い足が覗く。
主がその足に見惚れているのが面白くないのか、姉が袖の陰で主の手をぎゅっと抓っておられる。……睦まじいことで。
ようやく主の思いが届き、今日はお二人で田遊びの鑑賞をなさっている。文を届けるのもそろそろ役目が終わりだろうか。
「見事な田楽であった」
早乙女らの見事な田植えと賑やかな楽の音に興が乗った主がおもむろに衣を脱いだ。
青空の下、色鮮やかな衣がふわりと風に靡く。
受け取った侍従が丁寧に楽士の元へと運ぶ。続けて豊かな絹の布を幾尋も取らせる。
歓声が上がり、早乙女たちが掲げた布の色彩が水田に鮮やかに映えた。
◇
賑わう人々から少し離れ、時鳥の鳴き声に夏の訪れを感じながら、涼を求めて歩き出した。
ふと見ると、垣根に真っ白な卯の花が咲いている。
「今宵は忍び音を漏らす時鳥を愛でるとしようか」
「直道」
「その手には乗らぬ」
「つれないな……」
垣根に揺れる真っ白な花に目をやり、眩しそうに目を細めた直道が歌を口ずさむ。
「我が宿の 垣根や春を 隔つらん
夏来にけりと 見ゆる卯の花……」
(垣根に植えられた卯の花が春の終わりを告げ、もう夏だと知らせている)
歌を詠み終えると、直道はふっと視線をこちらへ目を向けた。その瞳に宿る熱い色と、少しばかりの物欲しそうな色遣いに胸が跳ねる。
「暑くてかなわぬ……この先の遣水で少し休みたい」
人に囲まれたのだろう、直道の衣が少し乱れている。その乱れから覗く肌の色香にあてられ、目を逸らした。
◇
水鳥が慌てたように飛び去る。
木陰に座り、遣水に足を浸す直道を静かに見つめていた。
ふと、屋敷の方から騒ぐ声が聞こえる。姉が主と喧嘩をしているようだ。
──ぽちゃん。
何かが飛んできた。木板のような……脇息か。なんということを。
やれやれと、拾いに遣水へ入る。水は意外に深く、袴の裾を捲り上げた。
水から上がり、失せ物を探しにきた小姓に濡れた脇息を渡すと、彼は深く礼をして去っていった。
ふと視線を感じ振り向けば、熱い眼差しでこちらを睨む直道がいた。
差し出された懐紙に手を伸ばす。だが、直道は紙を離そうとしない。
静かな視線が交錯する。
おもむろに直道がその場に膝をつき、私の足首を固く掴んだ。
指を1本ずつ丁寧に拭い始める。その真剣な眼差しに心が震えた。
「白いな……卯の花のようだ。早乙女の足などより、余程色香を感じる」
私のかかとを掌で包み込み、懐紙越しに隅々まで磨くように拭っていく。その吐息が足の甲にかかるほど近い。
「……垣根や春を、隔つらん」
低い呟きとともに、直道がさらに顔を寄せる。
乾いた唇で私の袴の裾を咥え、じりじりと、食むように生地を繰り上げていく。
「何を……」
肌が露わになるたび、直道の吐息が狂おしく熱を帯びていく。
「熱くてかなわぬ」
抑えきれぬとばかりに、露わになった柔らかな肌へ激しく吸い付かれた。
「……んっ」
──ぽちゃん。
そこへもう一つ、水へと重い音が落ちた。今度は枕である。
「……またか!」
太もものさらに深いところへと手を伸ばしかけていた直道が、苦々しく舌を打ち、その手をきつく握りしめた。
ハッと正気に戻り、腿を隠すように慌てて裾を直し立ち上がった。
「お二人のお邪魔になる。私はこれで」
濡れた足のまま逃げ出そうとする袖を、直道が背後から強く引き寄せる。
触れ合う耳元で、狂おしいほど低い声が落ちた。
「……昼はこれくらいで逃してやる。だが今宵は、時鳥にどれほど忍び音を漏らさせるか……覚悟しておけ」
押し付けた唇の熱を残したまま、直道は跳ね飛んできた枕を苛立ちまぎれに拾い上げ、屋敷の方へと歩き去っていった。
残された私は、腿に遺された直道の吐息の熱と、今宵訪れるであろう逢瀬の予感に、ただ立ち尽くすほかなかった。
◇
自室に戻った唯輔は、考えあぐねていた。
かように姫のごとく、ただ几帳の陰で静かに待てというのか。
昼つ方、盛砂の上で魅せた直道の姿が瞼に焼きついて離れない。汗に濡れた首筋、振り上げた逞しい腕、凛とした背——。
(……会いたい)
誰の目にも触れさせたくない。結局のところ、自分はあの男を誰にも渡したくはないのだ。
袖を握りしめ、自嘲気味に深く溜め息を吐いたところへ、主からの使いが訪れた。
◇
夕闇の中、衣擦れの音とともに一人の男が現れた。
御簾越しにもわかる美しい佇まい──唯輔だ。思わず目を丸くする。来て……くれたのか。
「主より、神事の見事な務めへの労いでございます」
「…………」
御簾の裾に酒と絹が滑り込む。
……手すら見せぬつもりか。
この距離。このどこまでも澄ました態度。使者としての顔を崩さぬ唯輔が、いっそ清々しいほどに小憎らしい。
「身に余る光栄」
酒器を受け取ろうとして手を伸ばす。
──その指先が触れた瞬間、直道の理性が弾けた。
一歩踏み込み、御簾をばさりと捲り上げる。
驚きに目を見開く唯輔の手首を強く掴むや、逃さぬよう自らの暗がりの中へと引きずり込んだ。
重なり合う体温と、乱れる衣の音。耳元へ唇を寄せ、低く掠れた声で囁く。
「……忍び音を奏でよ、時鳥」
腕の中で息を呑む唯輔を強く、強く掻き抱き、昼間の名残を残すその足を容赦なく弄る。
「垣根はもう要らぬ。……神事の務めへの労いをくれ」
昼間につけた足の痕に、再び深く吸い付く。執拗に痕を刻みつけてやると、唯輔がふっと目を細め、こちらの頭に優しく手を添えてきた。
「……背を」
「何……?」
「……こちらへ、背を」
◇
戸惑いながらも背を向けた直道の背後に、そっと寄り添う。
目の前にある、男らしく大きな背。盛砂の上で誰よりも凛々しく聳えていた、愛しい背中。
その大きさを慈しむように、首筋から逞しい肩へと白い指先を滑らせ、その幅を確かめるように撫でていく。
衣の脇の開きからすっと手を忍ばせると、背に浮かぶ骨の起伏をゆっくりとなぞり、そのまま胸元へと手を回した。
「……唯輔……っ」
厚い胸板を背後から包み込むように撫で回せば、直道が身を竦め、くぐもった息を漏らす。
そのくすぐったそうな反応に胸の奥が満たされ、思わず頬が緩む。
昼、あの冷たい水辺で私の脚を愛でた男。
ならば私は──あの盛砂の上で誰よりも凛々しかったこの背を、この身体を、惜しみなく愛で返す。
昼のあの尊大な口ぶりはどこへやら、大人しく背を向けている姿のなんと愛おしいことか。
胸をキュッと締め付けられるような愛しさに浸りながら、指先をさらに下へと滑らせていく。
引き締まった腰のくぼみを通り、下腹のあたりへ。
重ねた衣の上からでもわかる、男らしい体温が指先にじんわりと伝わってくる。
その逞しさと温もりをただ夢中で堪能していた──その頭上で。
ごくり、と直道の喉が鳴る。
下腹が固く緊張するのが指先に伝わってきた。
──あぁ、思いがけず煽ってしまったか。
だが、伝わる熱があまりに愛おしく、どうにも離れ難い。
名残惜しさに引き寄せられるように、そっと下腹を撫であげた。
──この先に訪れるであろう、熱い夜の予感に背筋がぞくぞくと震える。
忍ばせていた手をすっと引き抜き、そのまま震える手で襟元を掴んで、邪魔な衣を一枚、また一枚と肩から滑り落とした。
やがて剥き出しになった逞しい背に、そっと唇を重ねた。
──その途端、直道の背が跳ねるように強張った。
「……背、か……っ!」
到底耐えきれなくなった直道が、勢いよく私を押しひっくり返した。
覆い被さる身体の重みと、荒い息遣いが肌を打つ。
「……かような労いなど、受ければまた……熱くてかなわぬ」
「直道……んっ」
見上げる私の顔に、降るような口付けの嵐が浴びせられる。
澄ました仮面を剥ぎ取られた私の吐息と、直道の抑えきれぬ熱が交錯する。
逢瀬の夜はどこまでも深く、終わることなく闇に溶けていった。
第一話『桜狩り』の外伝として、半年前の出会い話をpixiv/ムーンライトノベルズに投稿しました。
作品名【『桜狩り』外伝・出会いの秋──和歌で解く二人の恋】もしくは作者名【きびだんご】で検索してください。




