第五話 牙
ジモンが、入れられたのは、村外れの、古い納屋だった。
頑丈な石造り。窓は、小さく高い。元は、家畜小屋か何かだったのだろう。村に、牢などというものはない。暴れる青目様の被害を免れた、数少ない建物の一つだった。
両手を、後ろ手に、縛られている。
見張りが、二人。扉の外に立っているのが、気配でわかった。怯えているのが、伝わってくる。得体の知れない男を見張れと言われて、嫌々、立っているのだ。
ジモンは、壁に、背を預けて、座っていた。
縄は、いつでも抜けた。今の体なら、難しくない。だが、抜けてどうする。逃げれば、ファフニールが追ってくる。あの男から逃げ切れるとは、思えなかった。
それに——逃げる気には、なれなかった。
ミラがいる。ナギがいる。世話になった村が、半分、潰れている。青目様は、ファフニールが倒した。だが、なぜ、あれが急に暴れ出したのか。森で見た、あの男たち。ゴルド。あれが無関係とは、思えなかった。
確かめたいことが、ありすぎた。
闇の中、頭の上の、小さな窓から、かさり、と、音がした。
ジモンは、顔を、上げた。
黒い、影が、するりと、入り込んでくる。羽。文鳥に似た、小さな体。
ムニンだった。
『無事か。』
「ああ」ジモンは、小声で答えた。「お前は」
『問題ない。』ムニンは、ジモンの肩に止まった。
「青目様だ」ジモンは、声を潜めた。「あれは——そもそも何だ。村の連中は、守り神だと言ってた。お前、あれが何か、わかるか」
『自律型致死兵器システム』ムニンは続けた。『推測。過去の高度な文明の遺物。』
「研究所と、同じか」
ジモンは、低く、言った。あの、四百年無人の研究所。読めない文字。一瞬で服を編む機械。あれと、青目様。同じ匂いが、した。
『違う。我々より古い技術体系。』ムニンは、それだけ、答えた。
ジモンは、頷いた。
それから、ふと、思い出して、聞いた。
「あの、竜の男は。ファフニールと、名乗った男だ。あいつは何だ?人間とは違うのか?」
『異常個体。』ムニンの答えは、即座だった。『あの個体も文明レベルに不釣り合い。』
「俺じゃ、勝てないか」
『無謀。』ムニンは、容赦がなかった。
「……はっきり、言うな」
ジモンは、苦笑した。あの戦いを、見ていれば、わかる。あれは、化物だ。
「ムニン。村の様子を、見てきてくれ」ジモンは、小声で、言った。「俺は、ここを、動けない。」
『……了解。』ムニンは、短く答えた。
黒い影が、高い窓から、するりと、外へ、抜けた。
ジモンは、壁に、背を、預けたまま、待った。
縄は、解いていない。後ろ手のまま、じっと、している。ただの、囚人として。だが、神経だけは、外の闇へ、研ぎ澄ませていた。
しばらくして、頭の中に、ムニンの声が、戻ってきた。
『報告。』ムニンの声は、低かった。『仮面の男。一人。青目様の方へ、向かっている。』
「誰だそれ? 何をしてる? あのファフニールは気づいてるのか?」
『気づいて、いない。』ムニンの声に、わずかな驚きが滲んだ。『仮面——隠形効果あり。』
ジモンの、指が、わずかに、強張った。
研究所。仮面。気配を、消す技術。また、あの匂いだ。自分の、知らないところで、何か、得体の知れないものが、繋がっていく。
『……男が、青目様に、触れた。』ムニンの声が、低くなった。
「何を、する気だ——」
その時。
外で。
地鳴りが、再び、始まった。
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「……馬鹿な」
広場の中央で、ファフニールの、金色の眼が、見開かれた。
断ったはずの腕が。砕いたはずの装甲が。青白い光に包まれ、繋がっていく。倒れていた巨躯が、軋みを上げて起き上がる。
頭部の、横一文字の線が——赤く、灯った。
先刻よりも、深く、濃い、赤に。
「誰が——」ファフニールは、剣の柄に、手をかけた。「何が——起こった?」
仮面の男は、答えなかった。
すでに、青目様の、影に、紛れ、物陰へと、退いている。手の中の、装置が、淡く、光っていた。
完全な、掌握では、なかった。
だが、男には、それで十分だった。男は、二つの命令だけを刻むことに成功していた。
最優先排除対象——あの、竜の、戦士。
排除対象から、除外——この、私。
青目様が、動いた。
その、すべての、殺意が——ファフニール、ただ一人に、向いた。
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戦いは、先刻とは、別物だった。
青目様は、もう、無差別では、なかった。
逃げ惑う村人には、目もくれない。崩れた家にも、見向きもしない。ただ、ファフニール、一人だけを——執拗に、狙った。
「……ちっ」
ファフニールは、舌打ちをした。
おかしい。動きが、変わった。先刻は、ただ、暴れているだけだった。だが、今は——明確な、意志を、持って、自分を、殺しに、来ている。まるで、誰かが、外から、操っているように。
ファフニールは、剣を、抜いた。
「遺骸断滅——」
斬撃が、青目様の、腕を、断つ。
だが。
繋がる。即座に。先刻より、速く。青白い光が、傷を、塞ぐ。
「なに——」
ファフニールの、動揺を、突いて。
青目様の、もう一方の、腕が、ファフニールの、剣を——掴んだ。
否。狙ったのは、剣ではない。
剣を、握る、ファフニールの、腕。
その、手首を。
「——!?」
万力のような、握力。骨の、軋む音。
ファフニールが、咄嗟に力を込める。だが、相手は、SS級の巨躯。膂力で、竜人を上回る。
そして、青目様は——理解していた。
この、竜の戦士の、脅威が。どこから、来ているのかを。
あの、剣だ。
あの剣さえ、奪えば。
巨躯が、ファフニールの、腕を、引き、捻り上げた。
「ぐ——っ!」
ファフニールの、指が、剣の柄から、引き剥がされる。
ネメシスが、宙を、舞った。
くるくると、回転しながら、広場の、隅へ。瓦礫の、間に、甲高い音を立てて、突き刺さる。ファフニールから、遠く、離れた、場所に。
その、瞬間。
ファフニールから、力が——消えた。
ただの、竜人に、戻った、その体へ。
青目様の、拳が、振り下ろされた。
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衝撃が、村を、揺らした。
ファフニールの巨体が、地面に叩きつけられ、家屋を二つ、突き破って止まった。
血が、飛んだ。
千年を生きた、神託の戦士。お伽噺の英雄。それが——一撃で、地に伏した。
「うそ……」遠くで、ミラが、悲鳴を、上げた。「竜戦士、様が……!」
青目様は、止まらなかった。
倒れたファフニールに、なおも巨躯を向ける。とどめを刺す気だ。命令された、とおりに。最優先の排除対象を、確実に消すために。
ファフニールは、動かなかった。
意識が、あるのか、ないのか。剣は、遠い。届かない。立ち上がる気配も、ない。
物陰で、仮面の男が、静かに頷いた。
古びた白い仮面は、何の感情も映さない。勝者の昂揚も、殺意の熱も、そこにはなかった。作業を一つ、終える。ただ、それだけの——機械じみた静けさ。
完璧だった。
最強の神託の戦士を、戦闘力ではなく、ただ剣を奪うことで、無力化した。
あとは、あの、竜の戦士が、潰れるのを、見届ければいい。
そして——
仮面の、奥で。
男の、視線が、ふと、納屋の方へ、流れた。
あの、妙な、男のことが、わずかに、引っかかった。
だが、すぐに、意識から、外した。
その、納屋の、扉が。
内側から、音もなく、開いたことに。
男は、まだ、気づいていなかった。




