第四話 青目様
それは、夜明け前に、起きた。
ジモンが目を覚ましたのは、地鳴りのような音のせいだった。
遠く、村の中心の方から。重いものが、何かを踏み砕くような。続いて、悲鳴。一つではない。いくつもの悲鳴が、闇を裂いた。
「……なんだ」
ジモンは、跳ね起きた。
板の間で、ナギも、身を起こしている。ミラが、寝ぼけ眼を、こすった。
「地震?」
「違う」ナギの声が、硬かった。すでに、立ち上がっている。「これは——足音だ。何か、でかいものが、暴れてる」
足元で、ムニンの、黒い目が、灯った。
『高出力エネルギー検知。』
ジモンにだけ、聞こえる声。
『村の中心。大型の——機械。』
ジモンの、背筋が、冷えた。
機械。遺物。それが、何を指すのか、ジモンには、わかった。
外で、また、悲鳴。そして、轟音。家が、潰れる音。
「青目様だ……!」
外から、誰かの、叫び声が、聞こえた。
「青目様が、お怒りだ! 青目様が——暴れてる!」
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村は、地獄に、なっていた。
ジモンが、外に飛び出したとき、最初に目に入ったのは、燃える、家だった。
崩れた藁葺き。倒れた柱。逃げ惑う村人。泣き叫ぶ子供。その、すべての向こうに——
黒い、巨体が、立っていた。
青目様。広場の奥で、百年、苔むして、動かなかった、あの黒い影。それが、今、動いていた。
家の三つ分はある、黒い金属の巨躯。苔と蔦を、まとったまま。継ぎ目という継ぎ目から、青白い光が漏れ、頭部の、横一文字の線が——赤く、灯っていた。
それが、腕を、振るった。
家が、一軒、木屑のように、吹き飛んだ。
「うそ……」隣で、ミラが、立ち尽くした。「守り神様が、なんで……」
ジモンは、その光景を、見ていた。
守り神。村人が百年、祈ってきた守り神。それが今、村を踏み潰している。村人を、薪のように撥ね飛ばしている。そこに、慈悲も怒りもなかった。ただ、動くものを壊している。機械が淡々と、そうするように。
『脅威度、再評価。』ムニンの声が、低い。『暴走状態。』
「ナギ!」ジモンは、振り返った。「村の連中を、逃がせ! 森の方へ! あいつから、離れろ!」
「言われんでも、やる!」ナギは、もう、動いていた。腰が抜けて動けない女を、抱え起こしている。「ミラ! 西の、井戸端に、人を集めろ! あそこなら、まだ——」
その時だった。
青目様の、赤い線が、ジモンたちの方を、向いた。
ジモンは、咄嗟に、ミラを、突き飛ばした。
直後、二人の立っていた場所を、黒い腕が薙いだ。地面が抉れる。土と石が、礫のように飛んだ。
「——っ!」
ジモンは地を転がり、すぐ立ち上がる。体は覚えていた。修練の成果だ。考えるより早く、動いていた。
だが、相手が、悪すぎた。
立ち上がったジモンの、目の前に、黒い、巨大な脚が、振り下ろされる。
避けられない。
そう、思った瞬間——
風が、唸った。
横合いから、何かが、割り込んだ。人影。それが、青目様の脚を、真正面から——受け止めた。
地面が、陥没した。衝撃で、ジモンの体が、後ろへ、飛ばされる。
土煙の中。
ジモンは、見た。
一人の、男が、立っていた。
長身。古びた外套。その背に、巨大な剣を負っている。男は、青目様の家三つ分の脚を、片腕で押し返していた。
人間離れした、膂力だった。
そして、その男の、横顔が、ちらと、見えた。
人ではなかった。いや、人の形はしている。だが、首から肩にかけて、硬い鱗のようなものが覗いていた。瞳が、縦に裂けている。金色の、爬虫類のような眼。
男が、低く、言った。
「下がっていなさい、人間よ」
声は、岩のように、重かった。
「ここからは、私の役目だ」
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男は、強かった。
家ほどもある拳が、唸りを上げて振り下ろされる。男は、避けなかった。半歩、踏み込む。拳の内側へ。鋼の腕が、すぐ脇を、地面ごと抉って通り過ぎた。
その隙に、男の掌が、青目様の肘の継ぎ目を打つ。素手で。鈍い金属の悲鳴。装甲が、拳の形に陥没した。
陥没した奥に、規則正しい溝が、覗いた。蔦の下に隠れていた、回路のような幾何学。獣の肉では、ない。明らかに——造られたものだ。
重い衝撃が、地を伝い、離れて立つジモンの足の裏まで、届いた。
巨躯が、たたらを踏む。
すぐに、もう一方の腕が、薙ぎ払いに来た。男は低く沈んで、くぐる。返す動きで、膝の関節へ、肘を叩き込む。骨ならば、砕けていた。
急所だけを、的確に選んで打っている。関節。継ぎ目。光の漏れる隙間。巨躯の構造を、知り尽くしているかのようだった。
背の剣は抜かない。素手のまま、巨躯の動きを、一手ずつ削いでいく。
踏み荒らされた土から、焦げたような匂いが、立ちのぼっていた。なのに、戦う男の背からは、汗の一つも流れていない。息も、乱れていない。まるで——ただの、作業のように。
ジモンは、ミラを庇いながら、その戦いを、見ていた。
「……まさか」隣で、ナギが、呻くように、言った。信じられない、という顔で、竜人を見つめている。「あれは——神託の竜戦士か?」
「えっ」ミラが、目を、見開いた。「あの、お伽噺に、出てくる戦士? 本当に?」
「わしも、見るのは、初めてだ」ナギの声が、掠れた。節くれだった手が、知らず、傍の崩れた柱を、握りしめている。
ジモンは、戦いを、見つめた。
傍らで、ムニンの目が、せわしなく明滅している。その小さな視界の中では、青目様も、あの男も、流れる数値の連なりに、還元されているのだろう。ジモンには、見えない世界だった。
竜人の男は、確かに強い。だが——青目様も、しぶとかった。砕いても砕いても、関節の青い光が、傷を塞いでいく。決定打が、入らない。
男が、ついに、背の剣に、手をかけた。
抜く。
その剣を、ジモンは、見た。
ファフニールの背丈ほどもある、両刃の大剣だった。柄は、黒い革と古びた金属で、幾重にも巻かれている。刀身は、青みを帯びた鈍い鋼。その表面には、根元から切っ先まで、蔓草とも文字ともつかない紋様が、びっしりと刻まれていた。
燃える家の火を、照り返している——いや、違う。刀身そのものが、奥の方で、かすかに息づくように光っていた。
ただの剣では、ない。ひと目で、わかった。
男が、剣を、構えた瞬間、青目様の、動きが、変わった。
明らかに、その剣を——警戒している。
「なんだあの剣?」ジモンは、呟いた。
『……高位の兵装。要警戒。』ムニンの声が、頭に届いた。どこか、慎重な響きがあった。
竜人の剣が、閃いた。
「〈遺骸断滅 ネメシス・ブレイク〉」
青目様の、腕が、一本、根元から、断たれた。今度は、青い光も、それを、繋ぎ直せなかった。
巨躯が、よろめく。
男は、休まなかった。次の一閃で、脚を。さらに、胴を。確実に、青目様を、追い詰めていく。
やがて——
青目様の、赤い線が、明滅し、力を、失った。
巨躯が、ゆっくりと、傾ぎ、地響きを立てて、崩れ落ちた。
頭部の、横一文字の、赤い光が——消えた。
静寂が、降りた。
村の、あちこちで、すすり泣きと、呻きが、聞こえる。だが、巨躯は、もう、動かなかった。
竜人の男は残心しつつ、慎重に剣を収めた。
「……片付いた、か」男は、ふう、と、息を吐いた。そして、振り返った。「怪我人を、集めろ。手当てを——」
その、金色の眼が。
ジモンを、捉えた。
止まった。
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男は、ゆっくりと、ジモンの方へ、歩いてきた。
村人を見るときとは、明らかに違う足取りだった。一歩ごとに、空気が重くなる。ミラが、ジモンの袖を握った。
男は、ジモンの、正面で、止まった。
近くで見ると、さらに大きい。見上げる形になる。金色の、縦に裂けた瞳孔が、ジモンを上から下まで、なぞった。
何度も。同じ場所を、繰り返し。
その眼の奥が、戸惑うように、揺れた。
「……妙だな」男は、低く、言った。「お前。見えないな」
「見えない? 目が悪いのか」ジモンは、頬を引き攣らせた。
だが、男は、笑わなかった。
金色の瞳孔が、ますます、細くなる。何かを、探している。探して、見つけられずに、いる。
「この眼は、神より授かった魔眼——〈竜眼〉」男は、低く言った。半ば、自分に、言い聞かせるようだった。「見通せぬものは、何一つ、ない。……お前を、除いて」
ジモンには、その言葉の、意味が、わからなかった。
ただ——見られている、とは、感じた。皮膚の下まで、覗き込まれるような。値踏みではない。もっと、底の知れない、何かに。
男が、剣に、手をかけた。抜きはしない。ただ、いつでも、抜ける、位置に。それだけで、ミラが、息を、呑んだ。
「斬るのか」ジモンは、聞いた。
「斬りはせぬ。今は」男は、言った。「だが——このまま、見逃すわけには、いかぬ」
男は、人垣の中の、一人へ、目を向けた。でっぷりと太った、身なりのいい男——村長だった。
「この者を、捕らえておきなさい。村の者に、命じるがよい」
村長は、一瞬、ためらった。だが、竜の戦士の、金色の眼に射られ、唾を、飲み込む。逆らえる相手では、ない。それを、即座に、見て取った男の、顔だった。
「な——」ミラが、叫んだ。「待って! この人は、何もしてない! さっき、村の人を、庇って——」
誰も、ミラを、見なかった。
「爺ちゃん!」ミラが、人垣を、掻き分けた。ナギの腕を、掴む。「爺ちゃんも、何か言ってよ! ジモンさんは——」
ナギは、答えなかった。
ミラの手を、振りほどきもしない。ただ、ゆっくりと、目を——逸らした。地面の、一点へ。
「……どうして」ミラの声が、裏返った。「どうして、みんな——!」
村長が、村の男たちに、顎を、しゃくった。
「連れて行け」
低い、決定の、声だった。
ジモンは、抵抗、しなかった。
村の男たちが、おずおずと、近づいてくる。縄を、手にしている。ジモンは、両手を、上げた。
逃げることは、できた。今の体なら、この男たちを、振り切るくらい、容易い。
だが——逃げれば、本当に怪しまれる。それに、あの竜人の男。逃げ切れるとは、思えなかった。
ジモンは、縄を、かけられながら、竜人の男を、見た。
「……あんた、名前は」
男は、ジモンを、見下ろした。
少し、間を、置いて、答えた。
「偉大なる神の使徒。ファフニール」
男は、背を向けた。
ジモンは、引き立てられていった。
ミラの、何か叫ぶ声が、背中に、聞こえた。
人垣の中に、ナギの姿が、あった。だが、老人は、とうとう、一度も、ジモンと、目を合わせなかった。
肩から、いつのまにか、ムニンが、消えていた。
捕らえられる、寸前。ジモンが、わずかに、目配せをすると、ムニンは、音もなく、闇に、紛れていた。
縄を、打たれながら、ジモンは、思った。
——わけが、わからない。
転生して。村に拾われて。ようやく目標ができたと思ったら。今度は、守り神が暴れて、竜人に捕らえられて。
自分は、いったい、何者なんだ。
答えは——まだ、どこにも、なかった。




